ハイデルベルク信仰問答による説教6 2012/01/15
『ただ一人の仲保者』

Iテモテ2:4〜6

 今晩は、私たちの救いのために義と聖と贖いとになってくださった私たちのためのただ一人の救い主イエス・キリストのお姿を、信仰問答の言葉に手引きされながら御言葉を通して教えられてまいりたいと思います。

(1)私たちのための神のみこころ
 ハイデルベルク信仰問答は先の第五主日で、罪の中にあってもはや自分自身によって神の御前に義の要求を満たすことのできない私たちが、神の御前にもう一度取り戻し、神と私たちとの間を取り持ってくださるために、私たちの身代わりとなって神の義を満たしてくださる仲保者が必要であると教えました。そこで続く今日の第六主日のところでは、この神と人との間に立ってくださるまことの仲保者がいかなるお方であるかが順を追って明らかにされていきます。
 しかし私たちとしては最初に聖書の御言葉によって、この仲保者が神の御子イエス・キリスト御自身であることを確かめておきたいと思います。Iテモテ2章4節から6節を読みましょう。「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです」。ここでまず私たちがはっきりと心に留めなければならないのは、父なる神が望んでおられる私たちのためのみこころは「すべての人が救われて、真理を知るようになること」だということです。私たちに対してどこまでも義を要求される神は、決して私たちを忌み嫌い、遠ざけようとなさるお方ではない。むしろどうにかして罪の中に溺れている私たちを助け出そうと願い、そこで取り得た唯一の手段が愛する御子イエス・キリストを私たちの身代わりとして送ってくださるということだったのです。このことを忘れると救いの教えは、単なる理屈合わせとなってしまう危険があるのです。父なる神が御子によって私たちに与えてくださる救いを、人間の理屈に合わせるための辻褄合わせのような思弁を働かせるものとしてはなりません。そのことをまず心しておきたいと思います。

(2)まことの人、まことの神
 その上で今日の第6主日を見ますと、まず第16問と第17問でただ一人がまことの人であり、まことの神でなければならない理由が述べられます。第16問、「問:なぜその方は、まことの、ただしい人間でなければならないのですか。答:なぜなら、神の義は、罪を犯した人間自身がその罪を償うことを求めていますが、自ら罪人であるような人が他の人の償いをすることなどできないからです」。第17問、「問:なぜその方は、同時にまことの神でなければならないのですか。答:その方が、御自分の神性の力によって、神の怒りの重荷をその人間性において耐え忍び、わたしたちのために義と命とを獲得し、それらを再びわたしたちに与えてくださるためです」。多くのハイデルベルク信仰問答の研究者が、この部分がハイデルベルクの弱点だと指摘します。人間の側から必要な仲保者一般の姿を演繹して行く方法論が救いの教理の説き方としてふさわしくないというのです。その指摘についてはいろいろと考えるべきところがあるのですが、ここでは先程の理屈合わせ、辻褄合わせに陥らないことが大切だということを心して、結論となる次の第18問を見ておきましょう。「問:それでは、まことの神であると同時にまことのただしい人間でもある、その仲保者とはいったいどなたですか。答:わたしたちの主イエス・キリストです。この方は、完全な贖いと義のために、わたしたちに与えられているお方なのです」。
 御子イエス・キリストは私たちの救いを願ってくださる父なる神のみこころの完全なあらわれとして、ただ一人私たちの完全な義と贖いとなってくださるための、私たちのために与えられた救い主である。これは私たちがいつでも繰り返し思い起こし、感謝と賛美と礼拝をささげる根本の動機となる恵みの事実です。私たちは、私たちに与えられた仲保者イエス・キリストのお姿を私たちの作り出す小さな枠組みの中に押し込めるのではなく、むしろ御子イエス・キリストをお与えくださった父なる神の大きな大きな愛のみこころの中にしっかりと見つめ、そこに向かって献身して生きていくものでありたいと思うのです。

(3)聖なる福音によって
 最後に、私たちのためのただ一人の仲保者であられるイエス・キリストと私たちがどのようにして知ることができるのか。第19問は次のように言います。「問:あなたはそのことを何によって知るのですか。答:聖なる福音によってです。それを神は自ら、まず楽園で啓示し、その後、聖なる族長たちや預言者たちを通して宣べ伝え、律法による壌牲や他の儀式によって象り、御自身の愛する御子によってついに成就なさいました」。ここでの「知る」とは単に知識として知るということ以上のこと、つまり主イエス・キリストとの出会いと言い換えてもよいでしょう。私たちは主イエスとどのようにして出会うのか。信仰問答はそれを「聖なる福音によって」というのです。第19問の答えは、ヘブル書1章1節、2節に基づいて記されていますが、この聖なる福音を、今日伝えるのがこの主日礼拝における御言葉の説教であり、それを確かなものとするのが聖礼典です。信仰問答第65問を見ましょう。「問:ただ信仰のみが、わたしたちをキリストとそのすべての恵みにあずからせるのだとすれば、そのような信仰はどこから来るのですか。答:聖霊が、わたしたちの心に聖なる福音の説教を通してそれを起こし、聖礼典の執行を通してそれを確かにしてくださるのです」。
 イエス・キリストとの出会い、それは御言葉の説き明かしである説教において起こる。これは宗教改革の教会の大切な確信でした。ハイデルベルク信仰問答と同時代に作られた第二スイス信仰告白には「神の言葉の説教が神の言葉である」という有名な告白があります。それは牧師の語る言葉が何か魔術的で超自然的な力を持っているということでなく、その説教を通して今も生きておられるただ一人の仲保者が私たちと出会ってくださるがゆえのことなのです。ここに教会が福音を宣べ伝える一番の理由があります。聖なる福音を委ねられた教会は、この福音を宣べ伝え続けることによって、ただ一人の救い主、ただ一人の仲保者イエス・キリストとの出会いへと人々を招くために建てられ、また遣わされていくのです。

 



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