ハイデルベルク信仰問答による説教5  2012/01/08
『救い主とはだれか』

IIコリント5:21

 今晩は、罪と悲惨の中にあって自分の力では神に立ち返ることのできない私たちに対して、神が備えてくださった救いのもっとも中心である「救い主」がいかなるお方であられるのか、このことについて信仰問答に導かれながら御言葉に聞いていきたいと思います。

(1)神の義を満たす方
 ハイデルベルク信仰問答は第2問において、私たちがただ一つの慰めの中で喜びに満ちて生き、また死ぬためには三つのことを知らなければならないと教えました。その第一が「どれほどわたしの罪と悲惨が大きいか」、第二が「どうすればあらゆる罪と悲惨から救われるか」、そして第三が「どのようにこの救いに対して神に感謝すべきか」ということでした。今日から学ぶ第五主日、第12問から第三十一主日、第85問までが「第二部 人間の救いについて」とあるように、私たちの救いに関わる教えが語られる、いわば信仰問答の一番大切なところに入っていくことになるのです。
 すでに第11問までで、私たちが生まれつき罪と悲惨の中にあること、罪ある私たちに対して神は御自身の義に基づき永遠の刑罰を下されることが教えられました。そこで続く第12問では次のように言われます。「問:わたしたちが神のただしい裁きによってこの世と永遠との刑罰に値するのであれば、この刑罰を逃れ再び恵みにあずかるにはどうすればよいのですか。答:神は、御自身の義が満たされることを望んでおられます。ですから、わたしたちはそれに対して、自分自身によってか他のものによって、完全な償いをしなければなりません」。ここでまずはっきりさせられるのは、「神は御自身の義が満たされることを望んでおられる」ということです。前の第11問で神は憐れみ深い方であると同時に義なる方であって、御自身の義を曲げることも罪を見過ごすことも決してなさらないと教えられました。私たちが救われるためには神の義が満たされる必要がある。そのために私たちは「自分自身によってか他のものによって、完全な償いをしなければならない」のです。
 しかしこの時「自分自身によってか他のものによって」と語られる点が重要です。本来ならばこの償いは罪を犯した人間に要求されるべきことですが、神はここで「他のもの」の償いの可能性を示唆しておられます。つまりここですでに仲保者キリストへと向かう伏線が張られているのです。神がどこまでも義を貫き、その刑罰に服することによる償いを要求されるのは、実に神御自身が御子イエス・キリストにおいて自らの要求に応じようとしておられるからなのです。

(2)償いの出来ない人間
神への償いを「自分自身か他のものによって」しなければならないと信仰問答は教えるのですが、そこで第13問で「問:しかし、わたしたちは自分自身で償いをすることができますか。答:決してできません。それどころか、わたしたちは日ごとにその負債を増し加えています」として、まず人間が自分自身の力で神の義の要求を満たす可能性が否定されます。人は決して己れの力によって神の前に義なる者となることはできない。これが宗教改革の教会が徹底的に教えられた人間の姿です。人の罪の現実は決して軽い程度のものでなく、汚れや病いといったものでもありません。どれほどの善行を積み上げても、私たちは自分自身の罪の償いをすることなどできず、そればかりか、なお神の御前に罪の負債を増し加えているとさえ言われるのです。
 では人間でだめなら他の被造物ならどうでしょう。第14問。「問:それでは、単なる被造物である何かがわたしたちのために償えるのですか。答:いいえ、できません。なぜなら、第一に、神は人間が犯した罪の罰を他の被造物に加えようとはなさらないからです。第二に、単なる被造物では、罪に対する神の永遠の怒りの重荷に耐え、かつ他のものをそこから救うことなどできないからです」。人間の罪は人間によって償われなければならない。他のものがその代わりになることはできないのです。

(3)神であり、人であられる仲保者
自分の力ではだめ、他の被造物によってもだめ、となれば、一体私たちの罪は誰によって償われることができるのか。第15問は言います。「問:それでは、わたしたちはどのような仲保者また救い主を求めるべきなのですか。答:まことの、ただしい人間であると同時に、あらゆる被造物にまさって力ある方、すなわち、まことの神でもあられるお方です」。ここにおいてただ一人私たちの罪を償うことのできる「仲保者」が指し示されるのです。「仲保者」とは、神と人との間に結ばれた「契約の仲保者」であり、この契約が全うされることの「保証人」を意味しますが、この仲保者は「まことの、ただしい人間であると同時に、あらゆる被造物にまさって力ある方、すなわち、まことの神でもあられるお方」とされます。
 信仰問答は、まだこの段階ではこの「まことの、ただしい人間であると同時に、真の神でもあられるお方」が一体誰なのかを明言しませんが、しかしそれははっきりしています。ただ一人の救い主とはだれか。それは神のひとり子、人となって私たちのところにお出でくださった御子イエス・キリスト、このお方です。この神の御子イエス・キリストが神と私たちとの間の仲保者として、神の義に基づく罪への刑罰をすべてその身に引き受けてくださり、それによって神への償いとなってくださいました。使徒パウロが今日開かれているIIコリント5章21節で次のように語っているとおりです。「神は罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって神の義となるためです」。神は私たちが受けなければならない神の裁きの身代わりとして、御自身の義を満たすために、愛する御子を処罰されました。御子がその罰を受けることによって私たちの償いをなし、それによって本来私たちに期待されていた律法の要求をも全うしてくださいました。このようにして神の義の要求は満たされ、神への償いは全うされたのです。こうしてキリストの獲得してくださった義が私たちに聖霊によって転嫁されることによって、自分の力では己をとすることのできない私たちが、今、御前に罪赦され、義なる者とされているのです。これが聖書の教える救いであり、イエス・キリストがただ一人の救い主であられることの中身なのです。

 



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