ハイデルベルク信仰問答による説教3 2011/12/04
『人の回復』

エペソ4:17-24

 今晩は私たちが知るべき己れの罪と悲惨さから、私たちが向かうべき本来の姿の回復へと向かわせる福音の道筋を、ハイデルベルク信仰問答に沿って教えられていきたいと思います。

(1)人間本来の姿と遠く離れてしまった姿
 正しく生きようと願うのに、そのように生きることのできない矛盾をはらんだ私たち人間の姿を、ハイデルベルク信仰問答はローマ書3章の御言葉に従って「神と隣人を憎む方へと生まれつき心が傾いている」と言い表しました。それでは果たして人間とは生まれつき邪悪な存在なのか、この根源的な問いかけが扱われるのが今日の第三主日、第6問と第7問です。第6問では「問:それでは、神は人をそのように邪悪で歪んだものに創造なさったのですか。答:いいえ。むしろ神は人を良いものに、また御自分にかたどって、すなわち、まことの義と聖において創造なさいました。それは、人が自らの造り主なる神をただしく知り、心から愛し、永遠の幸いのうちを神と共に生き、そうして神をほめ歌い讃美するためでした」と、神がご自身にかたどって創造された人間の本来あるべき姿が示されています。そこでは創造主なる神を正しく知り、この神を愛し、この神と共に、神を礼拝しつつ生きることこそが、人間の一番人間らしい姿であることが語られています。私たちは人間の幸せを、人より多く所有する、人より上に昇ること、人よりも勝ち抜くことと考えますが、しかし本当の人間の幸せは神を礼拝しつつ、神と共に生きるところにあるのです。
 ところがそのような神と共に生きる幸いから離れてしまったところに、人間の悲惨があります。エペソ4章18節、19節にこうある通りです。「彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。道徳的に無感覚となった彼らは、好色に身をゆだねて、あらゆる不潔な行いをむさぼるようになっています」。ここでパウロが言う「異邦人」とは、まさに神から離れた罪人の姿です。その由来を信仰問答は次のように言います。「問:それでは、人のこのような腐敗した性質は何に由来するのですか。答:わたしたちの始祖アダムとエバの、楽園における堕落と不従順からです。それで、わたしたちの本性はこのように毒され、わたしたちは皆、罪のうちにはらまれて生まれてくるのです」。ここで示されるのは創世記3章に記される最初の人間アダムとエバの罪への堕落の姿です。この最初の人間の罪を「原罪」と言いますが、私たちは皆、一人の例外もなく、このアダムの原罪を受け継いでいる。ここに最初の人間の栄えある姿とそこから堕ちてしまった人間の悲惨の姿があるのです。まさにパスカルの言う「位を簒奪された王の悲惨」の姿です。

(2)人間の現実
 さらに信仰問答は、この罪の原因が生み出した今の私たちの姿を第8問でこう言い表します。「問:それでは、どのような善に対しても全く無能であらゆる悪に傾いているというほどに、わたしたちは堕落しているのですか。答:そうです。わたしたちが神の霊によって再生されないかぎりは」。ここまではっきりと言い切られるとぐうの音も出ない、という感じです。少しは、それでもと反論し、口を差し挟みたくなりますが、しかしそんな猶予も与えられないほどにはっきりと人間の罪の現実が示される。それは決してこの信仰問答がいたずらに自虐的な本なのでなく、聖書そのものの語っているところだということを認めなければなりません。
 その上で、繰り返し確認しておきたいと思いますが、信仰問答が私たちに自らの罪と悲惨とを徹底して教えるのは何のためであったか。これをいつでも忘れずにいたいと思うのです。それはあの第1問が語った「生きるにも死ぬにも、ただ一つの慰め」を私たちが自分自身のものとするためなのです。この信仰問答の心をいつでもしっかりと握っておきたいと思うのです。

(3)救いへの招き
 信仰問答はこの第三主日で徹底して人間の罪の由来とその現実を教えながら、しかしそこですでに、やがて明らかにされる罪からの救いへの招きの声を挙げています。第8問の終わりに「わたしたちが神の霊によって再生されないかぎりは」と語ることによって、神によって私たちが罪と堕落の中から再び生かされ、主イエス・キリストにある新しい生へと生かされる道筋へと私たちを招いているのです。私たちが再び生かされるべき姿、私たちが回復されるべき神のかたち、それは御子イエス・キリストのお姿に他なりません。エペソ4章20節以下でパウロはこう語っています。「しかし、あなたがたはキリストのことを、このようには学びませんでした。ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているならばです。まさしく真理はキリストにあるのですから。その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を着るべきことでした」。
 ここに私たちに与えられる新しい人の姿、しかもそれは私が私以外の存在になるというのではなく、神によって造られた本来の人間の姿、罪と堕落の中から神の霊によって再生された新しい人の姿への回復の道筋が示されています。それはまさしくイエス・キリストに似たものとされていくという道筋です。主イエス・キリストを信じて救われるというのは、主イエスというお方の教えを信じて、人としての生き方が良くなるとか、人生の問題が解決するとか、人生を生きていく知恵が与えられるとか、心の支えが出来るとか、確かにそういうものを含んでいるとはいえ、しかしそれらを圧倒するものです。主イエス・キリストを信じて救われるとは、私が本当の人間になるということ、神にかたどって造られた御子イエス・キリストの似姿に変えられ、このお方と一つに結び合わされ、このお方のものとされていくということなのです。その救いへの主イエスが今日も私たちを招いていてくださるのです。

 



日本同盟基督教団 徳丸町キリスト教会
〒175−0083
東京都板橋区徳丸6−24−10
TEL 03−3935−3405
FAX 03−3935−3445

メールでのお問い合わせ
管理人


Copyritht ©The Evangelical Alliance Mission Tokumarucho Christ Church All Rights Reserved.