祈祷会
ハイデルベルク信仰問答講解64

「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」(マタイ6:12)

(1)我らの罪を赦したまえ
今日取り上げる第51主日では、主の祈りの第五の祈願である罪の赦しの問題が扱われます。まず第126問を見ましょう。「問:第五の願いは何ですか。答:『我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ』です。すなわち、私たちのあらゆる過失、さらに今なお私たちについてまわる悪を、キリストの血のゆえに、惨めな罪人である私たちに負わせないでください、私たちもまた、あなたの恵みの証しを私たちのうちに見出し、私たちの隣人を心から赦そうと固く決心していますから、ということです」。
今日の第126問で扱われる罪の赦しの祈りは、信仰者の過去と現在、教理の言葉で言えば義認と聖化の両方に関わるものです。従ってここでの罪も「私たちのあらゆる過失、さらに今なお私たちについてまわる罪」と言われます。まず「私たちのあらゆる過失」とは何でしょうか。アダムとエバの堕落以来、私たち人間は一人残らず生まれながらにして罪の中にあって「どのような善に対しても全く無能であらゆる悪に傾いている」(第8問)のであり、「私たちは日毎にその負債を増し加えて」(第12問)いたのでした。しかしそのような私たちを父なる神は、御子イエス・キリストの贖いによってその罪を赦してくださいました。ハイデルベルクの第56問が次のように教えている通りです。「問:『罪の赦し』について、あなたは何を信じていますか。答:神が、キリストの償いのゆえに、私のすべての罪と、さらに私が生涯戦わなければならない罪深い性質をも、もはや覚えようとはなさらず、それどころか、恵みにより、キリストの義を私に与えて、私がもはや決して裁きに会うことのないようにしてくださる、ということです」。このように、私たちの過去のあらゆる罪、生まれながらの罪人としての性質を身に負った古き人は罪赦され、義と認められ、救われて、その罪は主イエスの十字架の血によって贖われたのでした。
しかしそれで私たちの罪との戦いが終了するかといえばそうではありません。ハイデルベルクが「今なお私たちについてまわる罪」と言っているように、聖化の途上にある私たちにとっては救われた今もなお罪との戦いは続くのであり、それゆえに私たちは日々、御前に感謝と悔い改めをなし、そして礼拝のたびごとに罪の告白を御前に為し、赦しの宣言をいただくのです。そうして一日一日、一歩一歩と進んでいく信仰の営みの中で、私たちは「私たちの罪深い性質を次第次第により深く知り、それだけより熱心に、キリストにある罪の赦しと義とを求めるようになる」(第115問)のであり、「そうして私たちがこの生涯の後に、完成という目標に達する時まで、次第次第に、いよいよ神のかたちへと新しくされてゆく」(同)のです。

(2)我らが赦すごとく
次に、私たちが主の祈りを祈る時にしばしば抱く素朴な疑問として、この第五の祈願の前半部と後半部の繋がり方をどのように理解するかということがあるのでしょう。その繋がり方次第では、「私が他人の罪を赦したので私の罪も赦して下さい」と他者の赦しが自らの赦しの条件のようになり、「私の罪が赦されるためには、まず私が赦さなければならない」とこれを律法のようにしてしまったり、あるいは主に罪を赦して頂くことに先んじて、私が他の人を赦すことができるかのような錯覚に陥ってしまうことがあります。そこではっきりとさせておかなければならないことは、私たちが隣人の罪を赦すことができるから、私も主によって赦されるのではなく、また私が隣人の罪を赦すことができなければ、私も主によって赦されることはない、ということでもないということです。この点についてハイデルベルク信仰問答は次のように言います。「私たちもまた、あなたの恵みの証しを私たちのうちに見出し、私たちの隣人を心から赦そうと固く決心していますから、ということです」。つまり、隣人の罪の赦しは、自分自身の罪の赦しの原因や条件なのではなく、自分自身の罪が赦されたことの感謝を伴う決断的な応答であるということです。この「私たちの隣人を心から赦そう」とする固い決心、決断は私たちの内に自然と生じてくるものではありません。むしろそれはハイデルベルクが正しくも「あなたの恵みの証し」と言っているように、罪赦されて救われた者たちの中に主が与えてくださる恵みです。そういう恵み、かつては自分自身のことしか考えられず自己中心の中にあった私が、主イエス・キリストを信じて歩み始めた時に、気付くと隣人を心から赦したいと思う思いが備えられるようになっていく。それこそが私自身がすでに罪赦されてあることの確かなしるしであり、証しなのだというのです。ゆえに隣人の罪の赦しは自らの罪の赦しの応答であり、恵みの証しであり、決断的な応答であるということができるのです。赦すことのできる人は赦された恵みを経験する人です。悔い改めと告白の祈りの中で、この自分自身が主によって罪赦されたという赦しの体験、恵みの経験が、私をして隣人を赦す愛へと促すのであり、主の御前に罪赦されていることを確信する時に、私たちは隣人の罪を赦すことへと心動かされていくことができるのです。

 



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