祈祷会
ハイデルベルク信仰問答講解63

「この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。」(Iテモテ6:17)

(1)日用の糧を願う祈り
今日取り上げる第50主日では、主の祈りの第四の祈願である「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ」との祈りが扱われます。まず第125問を見ましょう。「問:第四の願いは何ですか。答:『我らの日用の糧を今日も与えたまえ』です。すなわち、私たちに肉体的に必要なすべてのものを備えてください、それによって、私たちが、あなたこそ良きものすべての唯一の源であられること、また、あなたの祝福なしには、私たちの心配りや労働、あなたの賜物でさえも、私たちの益にならないことを知り、そうして私たちが、自分の信頼をあらゆる被造物から取り去り、ただあなたの上にのみ置くようにさせてください、ということです」。
主の祈りの前半三つの祈願が、父なる神の栄光、御国、御心を求める祈りであったのに対して、後半の三つの祈願は「我ら」のための祈り、日ごとの糧、罪の赦し、悪からの救い出しを願う祈りとなっており、その最初に来る祈りが、私たちが生きるために必要な日ごとの糧、日ごとのパンを求める祈りなのです。しかしハイデルベルク信仰問答は、この願いが単に日ごとの糧であるパンや食物に限定されたものでなく、「私たちに肉体的に必要なすべてのものを備えてください」とあるように、「肉体的に必要なすべてのもの」を求める祈りであると説明しています。これは、天地万物を創造し、それを今も統べ治め、そこに生きる命を育み養いたもう父なる神の摂理の御手に対する信頼から生まれる祈りにほかなりません。主イエスが山上の説教で「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか」(マタイ6:26)と語っておられる通りです。ハイデルベルクもこの神の摂理の御手について第27問で次のように教えていました。「問:神の摂理について、あなたは何を理解していますか。答:全能かつ現実の、神の力です。それによって神は天と地とすべての被造物を、いわばその御手をもって今なお保ちまた支配しておられるので、木の葉も草も、雨も日照りも、豊作の年も不作の年も、食べ物も飲み物も、健康も病いも、富も貧困も、すべてが偶然によることなく、父親らしい御手によって私たちにもたらされるのです」。

(2)神を知るための祈り
このようにして父なる神に日ごとの糧を祈りながら、そこで求められているのは日ごとの糧以上のものでした。すなわち「それによって、私たちが、あなたこそ良きものすべての唯一の源であられること、また、あなたの祝福なしには、私たちの心配りや労働、あなたの賜物でさえも、私たちの益にならないことを知り、そうして私たちが、自分の信頼をあらゆる被造物から取り去り、ただあなたの上にのみ置くようにさせてください、ということです」とあるように、私たちがこの祈りを祈ることによって神を知り、神にのみ信頼を置くようになるということです。ここで私たちが知るべきことの第一は「あなたこそ良きものすべての唯一の源であられること」、第二は「あなたの祝福なしには、私たちの心配りや労働、あなたの賜物でさえも、私たちの益にならないこと」と教えられています。冒頭の第一テモテの御言葉が、私たちの置くべき望みが、地上の富ではなく、その富の源である神であることを教えているように、私たちは地上に生きながら、しかし地上の目に見えるものによって生きるのではなく、そこから祝福の根元へと遡って、良きものすべての源であられる神にあって生きるようにと導かれているのです。その視点を見失った時、人の労働は神の御心から離れたものとなり、罪に堕落してエデンの園を追われた最初の人アダムの額に汗しての生きるための労働へと変質していってしまうのです。しかし一度、主イエスの十字架の贖いによって救われた人間にとっては、労働はその創造本来の意義を回復して、神の栄光と隣人の益を目指しての実りある働きとなることが出来るのです。

(3)主を信頼して生きる
父なる神に日ごとの糧を求めて生きる生き方は、決してすべて神頼みで怠惰に生きることを意味するものではありません。むしろ「自分の信頼をあらゆる被造物から取り去り、ただあなたの上にのみ置くようにさせてください」という祈りの中で生み出される積極的で忠実なものです。「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから」(Iコリント15:58)とある通りです。
私たちの信仰生活はこの世のものを否定するものではありませんし、聖と俗とを分ける二元論でもありません。「神が造られた物はみな良い物で、感謝して受ける時、捨てるべき物は何一つない」(Iテモテ4:4)のです。ですから私たちは「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(申命記8:3)ことをわきまえつつ、日ごとのパンを求めることが許されており、またそうすべきなのです。そこで肝心なことは、そうやって営まれていく日々の生活、養われていく日々の営みが、神への信頼の中で続けられていくことの安心の中に生きることがゆるされているという大いなる恵みです。私が自分自身の生活すべてに責任を負うとすれば大変な重荷です。しかし主にある信仰者には自らの人生のすべてをそのままお委ねしていくことのできる信頼すべき天の父なる神がおられるのです。この神の恵み深い摂理の御手を覚えつつ、まことの命によって生かされていく私たちの日々でありたいと願います。「金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない』」(ヘブル13:5)。

 



日本同盟基督教団 徳丸町キリスト教会
〒175−0083
東京都板橋区徳丸6−24−10
TEL 03−3935−3405
FAX 03−3935−3445

メールでのお問い合わせ
管理人


Copyritht ©The Evangelical Alliance Mission Tokumarucho Christ Church All Rights Reserved.