祈祷会
ハイデルベルク信仰問答講解60

「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5:16)

(1)正しく神を知る
今日取り上げる第47主日では、主の祈りの第一の祈願である「御名をあがめさせたまえ」との祈りについての解説がなされています。まず第122問を見ましょう。「問:第一の願いは何ですか。答:『御名をあがめさせたまえ』です。すなわち、第一に、私たちが、あなたを正しく知り、あなたの全能、知恵、善、正義、慈愛、真理を照らし出す、そのすべての御業において、あなたを聖なるお方とし、あがめ、賛美できるようにさせてください、ということ。第二に、私たちが自分の生活のすべて、すなわち、その思いと言葉と行いとを正して、あなたの御名が私たちのゆえに汚されることなく、かえってあがめられ賛美されるようにしてください、ということです」。
ハイデルベルク信仰問答は、御名をあがめるということの第一の意味が「神を正しく知る」ことにあると教えています。私たちが神を正しく知るための最善の道は、御言葉と、その説き明かしである説教を聞くことです。この神を正しく知ることと、その手段が神の御言葉においてであることの教えは、すでに第94問から第96問、第98問の十戒の第一戒と第二戒に関するところで次のように教えられていました。第94問では「問:第一戒で、主は何を求めておられますか。答:わたしが自分の魂の救いと祝福とを失わないために、あらゆる偶像崇拝、魔術、迷信的な教え、聖人や他の被造物への呼びかけを避けて逃れるべきこと。唯一のまことの神を正しく知り、この方にのみ信頼し、謙遜と忍耐の限りを尽して、この方にのみすべてのよきものを期待し、真心からこの方を愛し、畏れ敬うことです」。第95問では「問:偶像崇拝とは何ですか。答:御言葉において御自身を啓示された、唯一のまことの神に代えて、またはこの方と並べて、人が自分の信頼を置く何か他のものを考え出したり、所有したりすることです」。また第96問では「問:第二戒で、神は何を望んでおられますか。答:わたしたちが、どのような方法であれ神を形作ったり、この方が御言葉において命じられた以外の仕方で礼拝してはならならない、ということです」。そして第98問でも「この方は御自分の信徒を、物言わぬ偶像によってではなく、御言葉の生きた説教によって教えようとなさるのです」と言われています。このように御言葉に基づく正しい神礼拝という文脈で、ハイデルベルクは十戒と主の祈りを一体的に理解していることが分かります。宗教改革者ルターがこの祈りを解説して次のように言っている通りです。「あなたの御名についてのすぐれた説教を私たちに与えてください。どうか、私たちがあなたの御名が人々の間であがめられるような方法で、御言葉の説教を聞き、受け入れることができますように」。
そのように神を正しく知らしめる説教は「あなたの全能、知恵、善、正義、慈愛、真理を照らし出す、そのすべての御業において、あなたを聖なるお方とし、あがめ、賛美できるようにさせ」るものです。説教はその語られた言葉の結ぶ実によって吟味され、見分けられなければならず、たとえそれが雄弁で人々に感動を与える説教であっても、それが神の御名をあがめることに結びつかないならば、それは正しい説教ではなく、悪い説教になるのです。この点についてバルトが次のように言っています。「聖書を読む代わりに、ただ聖書の頁をめくることをやめよう。聖書と共に生き、聖書に語らせる代わりに聖書を引用する私たちの習慣を慎ませてください。私たちが聖書に注意を払うのをやめないように祈らせてください。聖書が私たちをうんざりさせはじめたり、あなたの御言葉があらゆるところで私たちの心や口で退屈なことにならないように祈らせてください。聖書が、悪い説教や悪い信仰問答や悪い神学になりませんように。すべて聖書の言葉は単純であり、全く必要なものです。悪い説教は、この崇拝とはうらはらのものです」。
 
(2)天におられる父
「第二に、私たちが自分の生活のすべて、すなわち、その思いと言葉と行いとを正して、あなたの御名が私たちのゆえに汚されることなく、かえってあがめられ賛美されるようにしてください、ということです」。続いてハイデルベルクは御名をあがめる祈りの第二の意味が、私たちの生活の全てをもって御名が賛美されることであると教えています。神を知ることと、神にあって生きることがここでは不可分な関係で結び合わされているのです。私たちが自分自身の生活のすべてを挙げて、思いと言葉と行いとを正して神を賛美する。それはまさしく主イエス・キリストの贖いによって作り替えられた「新しい人」である私たちの礼拝的な生活、頌栄的な生活にほかなりません。このことについてハイデルベルク信仰問答の第90問、第91問では次のように教えられていました。「第90問:新しい人の復活とは何ですか。答:キリストによって心から神を喜び、また神の御旨に従ったあらゆる善い行いに心を打ち込んで生きる、ということです」。「第91問:しかし、善い行いとはどのようなものですか。ただまことの信仰から、神の律法に従い、この方の栄光のために為されるものだけであって、私たちがよいと思うことや、人間の定めに基づくものではありません」。
「御名をあがめさせたまえ」との祈りは、神を正しく知り、神を礼拝することが、主の日の礼拝を中心としつつ、そこから日々の生活へ、そして私たちの地上の生の全領域にまで広げられ、そこにおいて私の生き方そのものをもって神を喜び、神の聖なる御名を賛美し、その御名の御栄光を心からほめたたえていくことにおいて具体的に現されていくものなのであり、私たちが日毎に主の祈りを祈りつつ、御名をあがめさせたまえと祈る時、それはまさしく「私たちをして、あなたの御名を聖とさせてください」という祈りに生きることに他ならないのです。福音書において主イエスは次のように言われました。「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい」(マタイ5:16)。そしてまたパウロも私たちに語っています。「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい」(Iコリント10:31)。この御言葉を胸に刻みつつ、御名の栄光をほめたたえながら、主の祈りによって信仰と祈りの姿勢を整えていきたいと願うものです。

 



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