祈祷会
ハイデルベルク信仰問答講解59

「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父。』と呼びます。」(ローマ8:15)

(1)「父よ」との祈り
今日取り上げる第46主日では、主の祈りの冒頭にある「天にましますわれらの父よ」との呼びかけの部分についての解説がなされています。まず第120問を見ましょう。「問:なぜキリストはわたしたちに、神に対して『われらの父よ』と呼びかけるようにお命じになったのですか。答:この方は、私たちの祈りのまさに冒頭において、私たちの祈りの土台となるべき、神に対する子どものような畏れと信頼とを、私たちに起こさせようとなさったからです。言い換えれば、神がキリストを通して私たちの父となられ、私たちの父親が私たちに地上のものを拒まないように、ましてや神は、私たちが信仰によってこの方に求めるものを拒もうとはなさらない、ということです」。
ここではまず私たちが神を「父よ」と呼ぶことの意味が問われます。それについてハイデルベルクは、祈りの本質、土台が、私たち人間の父なる神に対する子としての畏れと信頼にあること、また私たちが神の子であることは、キリストを通して初めて成り立つ関係であることをもって答えています。そもそも神が私たちの父であられることについて、すでにハイデルベルクは使徒信条の解説の中で次のように教えていました。第26問では「天と地とその中にあるすべてのものを無から創造され、それらを永遠の熟慮と摂理とによって今も保ち支配しておられる、私たちの主イエス・キリストの永遠の御父が、御子キリストのゆえに、私の神また私の父であられるということです」、第33問では「問:私たちも神の子であるのに、なぜこの方は神の『独り子』と呼ばれるのですか。答:なぜなら、キリストだけが永遠からの本来の神の御子だからです。私たちはこの方のおかげで、恵みによって神の子とされているのです」。このように神が私たちの父であられるのは、「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった」(ヨハネ1:12)とあるように、神が御子イエス・キリストの贖いのゆえに私たちを子としてくださったゆえのことであり、この神の子イエス・キリストの父なる神を、今や私たちもまたわれらの父よと呼ぶことの出来る関係に入れられていることが、今の私たちに与えられている救いの恵みの表れであると言えるのです。
さらに、神が我らの父であられるということは、神が私たちにまさしく父親のような愛と恵みをもって関わってくださるお方であることをも現しています。主イエスが次のように言われた通りです。「あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう」(マタイ7:9-11)。このように、私たちが祈り呼び求める神は私たちを愛し、私たちのために最善をなしてくださる真実な神、摂理の神であられるので、私たちはこの方を親しく「アバ、」とお呼びすることが出来るのです。
(2)天におられる父
次に第121問を見ましょう。「問:なぜ『天にまします』と付け加えられているのですか。答:私たちが、神の天上の威厳については何か地上のことを思うことなく、その全能の御性質に対しては体と魂に必要なことすべてを期待するためです」。この点についてハイデルベルクの解説を記したペリーは次のように言います。「天に、という語は、私たちが大胆に、人格的にこの父に近づきうるが、自分個人の利益のために、手に入れることのできる神ではないことを明らかにしている」。一方で私たちに父なるお方として親しく接したもうお方は、しかしだからといって私たちの思うままにその手中に収まってしまうようなお方ではなく、むしろ私たちを越えたお方です。この両面をしばしば神の「超越性」と「内在性」と言いますが、この神の持つ両面をしっかりと理解することが、私たちの信仰生活、祈りの生活においても大切です。そしてこの私たちの父である神が、同時に天におられる神であり、その天におられる超越的な存在である神を、親しく「われらの父よ」とお呼びすることが出来るところに、父なる神の愛と御真実が明らかにされるのです。
宗教改革者カルヴァンはジュネーヴ教会信仰問答の第265問で、父なる神を「天にいます」と呼ぶことの理由を次のように教えました。「神を呼びまつる時、このようにして私たちの心を高く挙げることを教えられるのです。すなわち、神を肉的な、あるいは地上的なものと考えず、私たちの尺度に合わせて神を測ることもせず、神を何か卑しいものと理解したり、私たちの意志に従わせて神を引き下げたいと願うことなく、むしろ、畏れと敬いをもって栄光の尊厳を仰ぎ見るように学ぶのです。つまり御旨のままに万物を統べ治めたもう天上の主、また保護者をほめたたえる時、これは神に対する私たちの信頼を奮い立たせ、かつ堅くせずにおかぬ力を持つのです」。このように「天にましますわれらの父よ」と私たちが祈る時、私たちはこのお方の子どもとしての畏れと敬いの中で親しく神を呼ぶことができ、しかもこのお方が天地万物を創造し、統べ治めておられる創造と摂理の神であることに信頼して祈ることができるのです。   
最後に、この天におられる私たちの父なる神が私たちに下さる最高、最善のものが、御子イエス・キリストによる救いであり、救いに与って生きる私たちへの神の祝福であることを、パウロの記したローマ書の御言葉で確認しておきたいと思います。
「では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう」(ローマ8:31-32)。

 



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