祈祷会
ハイデルベルク信仰問答講解58

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」(Iテサロニケ5:16〜18)

(1)祈りの必要
今日から学ぶ第116問から終わりの第129問までの箇所は、主の祈りの解説がなされるところです。ハイデルベルクは第三部の「感謝の生活」の部分で、まず十戒を教え、続いて主の祈りを教えますが、その理由を第116問で明らかにしています。「問:なぜキリスト者には祈りが必要なのですか。なぜなら、祈りは、神が私たちにお求めになる感謝の最も重要な部分だからです。また、神がご自分の恵みと聖霊とを与えようとなさるのは、心からの呻きをもって絶えずそれらをこの方に請い求め、それらに対してこの方に感謝する人々に対してだけだからです」。ここでは祈りは神に対する最も重要な感謝のあらわれであり、また祈る者に対して、神が御自身の恵みと聖霊とを与えると約束しておられるからであると教えられています。このことは、私たちが悔い改め、罪赦された恵みを感謝しつつ、神に向かって生きる時、そのもっとも本来的な姿は「祈り」において表されることを意味しています。人間の最も美しい姿は祈る姿であると言われますが、まさしくこれこそが神のかたちに創造された人間の、神に対する感謝と応答の姿なのです。
また今日のテサロニケの御言葉に「絶えず祈りなさい」とあるように、祈りは神の命令でもあります。神は私たちが祈ることなくても、私たちの全ての必要を知っておられますので、祈りは神にとっては決して必然のことではありません。しかし神は祈る者に恵みと聖霊を与えようと、私たちに祈ることを許して下さり、そのようにして御自身との交わりの回路を開いていて下さるのです。ですから、私たちはこの祈りの特権を良く用いて祈ることが許されているのであり、また祈らなければならないのです。このように祈りは私たちにとって神への応答であり、また神からの命令なのです。

(2)神に喜ばれ、聞かれる祈り
では神に祈るにあたって私たちは何を求めるべきなのでしょうか。第117問には次のように記されます。「問:神に喜ばれ、この方に聞いていただけるような祈りには、何が求められていますか。答:第一に、御自身を御言葉において私たちに啓示された唯一のまことの神に対してのみ、この方が私たちに求めるようにとお命じになったすべての事柄を、私たちが心から請い求める、ということです。第二に、私たちが自分の乏しさと悲惨さとを深く悟り、この方の威厳の前にへりくだる、ということ。第三に、私たちがそれに値しないにもかかわらず、ただ主キリストのゆえに、この方が私たちの祈りを確かに聞き入れて下さるという、揺るがない確信を持つことです。それは、神が御言葉において私たちに約束なさった通りです」。
ここでは神に喜ばれ聞いていただける祈りが、第一に神に求めるようにと命じられたものを求める祈りであること、第二に神の御前にへりくだった祈りであること、第三に神が私たちの祈りを確かに聞き入れて下さるとの御言葉の約束を確信した祈りであることが教えられます。救われた私たちが祈りにおいて神に求めるべき最大のもの、それは聖霊なる神の恵みです。主イエス・キリストの贖いによって義とされた私たちは、今、聖霊の恵みの中に聖化の道を歩んでいます。そして聖霊が私たちのために今のうめき執り成し、また私たちに祈りを教え、私たちを天におられるイエス・キリストへと結び合わせて下さるのです。ゆえに、私たちは聖霊を求めなければなりません。そうして祈る時、神は私たちに「ご自分の恵みと聖霊とを与え」(第116問)て下さるのです。聖霊を求めて祈る時、私たちは自らの罪深さをさらに深く知らされ、自ずと「主を、私をあわれんで下さい」と胸を打ち叩く人のように、神の御前にへりくだる者とされるでしょう。しかしそのような罪の自覚の中でもなお祈り続けることが出来るのは、神の約束があるからに他なりません。「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。ただし、少しも疑わず、信じて願いなさい」(ヤコブ1:5-6)とある通りです。

(3)神への求めとしての祈り
 聖霊を求めて祈る私たちに、ハイデルベルクはさらに私たちの祈り求めるべき事を示します。第118問。「問:神は私たちに何を求めるようにとお命じになりましたか。答:霊的また肉体的に必要なすべてのことです。主キリストは、私たちに自ら教えられた祈りの中に、それをまとめておられます」。聖霊を求めて祈る時、私たちはそこで私たちにとって何よりも必要なことが何であるかを教えられていきます。「霊的また肉体的に必要なすべてのこと」とは、私たちが日々、生きていく上でのあらゆる必要な事柄を含んでいますが、しかし主イエスの「神の国と神の義をまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」(マタイ6:33)との御言葉に照らすならば、私たちの霊と肉にとって本当に必要なものが見えてきます。主イエスの足下に座って御言葉を聞くマリヤを見て、主イエスは姉のマルタに「どうしても必要なことはわずかです。いや一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです」(ルカ10:42)と言われました。ハイデルベルクの表現で言えば、「霊的また肉体的に必要なすべて」とは「生きるにも、死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか」というあの第1問に行き着くでしょう。そこでの答えは「私が私自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、私の真実な救い主、イエス・キリストのものであるということ」でした。ゆえに、私たちが聖霊において祈り求めるべき、霊と肉体との真の必要を満たすのは、主イエス・キリスト御自身であるということになるのです。
 ここに祈りの照準をしっかりと合わせて祈る時、そこから私たちの祈りの射程は広がっていくのであり、そこにおいて主イエスが教えて下さった「主の祈り」を祈り始めることができるのです。主が教えて下さった祈りを、主の御名によって祈る時、私たちは主イエス・キリストと一つにされていくことが出来る。この祈りの交わりの特権を良く行使して、ますます主の御前に聖霊に導かれつつ祈る私たちでありたいと願います。


 



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