祈祷会
ハイデルベルク信仰問答講解55

「最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」(Iペテロ3:8,9)

(1)偽りの証言をしてはならない
 今日は、「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない」(出エジプト20:16)という十戒の第九戒を取り上げます。まず第112問を見ましょう。「問:第九戒では、何が求められていますか。答:わたしが誰に対しても偽りの証言をせず、誰の言葉をも曲げず、陰口や中傷をする者にならず、誰かを調べもせずに軽率に断罪するようなことに手を貸さないこと。かえって、あらゆる嘘やごまかしを、悪魔の業そのものとして神の激しい御怒りのゆえに遠ざけ、裁判やその他のあらゆる取引においては真理を愛し、正直に語りまた告白すること。さらにまた、わたしの隣人の栄誉と威信とをわたしの力の限り守り促進する、ということです」。
 ここでもハイデルベルクはこの戒めを禁止の命令と遂行の命令に分けて教えています。まず禁止の命令に関しては「わたしが誰に対しても偽りの証言をせず、誰の言葉をも曲げず、陰口や中傷をする者にならず、誰かを調べもせずに軽率に断罪するようなことに手を貸さないこと」と言われます。そもそもこの戒めの元来の意図は、裁判における偽証や中傷を禁じるという極めて限定された事柄に関するものでした。ですから直接裁判の場面に出くわさない限り、それは直接私たちとは関わりのないものと思われがちです。しかしハイデルベルクの理解から教えられるならば、その含み込んでいる内容は大きなものであると言えるでしょう。宗教改革者ルターも『善きわざについて』という著書の中で「この戒めは小さく見えるけれども、もし正しくこれを守ろうとすれば、身体、生命、財産、名誉、友人をはじめ、自分の所有するいっさいのものを賭さねばならないほど大きなものである。しかもその中に含まれているのは舌という一小肢体のわざ以外のものではない」と語っています。確かに裁判における冤罪の訴えや再審請求のニュースを聞くに付け、意図的な偽証や軽率な断罪の怖さを思い知らされますが、それだけでなく、私たちの日々の生活の中でも、他人の言葉を曲解したり、陰口や中傷をしたり、軽率に人を裁いたり、一方的に決めつけたり、嘘、ごまかしの罪を犯すことへの誘惑は至る所にあります。しかもそれらを一言の言葉をもってしてしまうところに、私たちの弱さがあるということを認めないわけにはいきません。しかしそのような一言の言葉でもってさえ、この戒めを破ることになることを改めて覚え、ではこの戒めに生きる道がどのような道筋であるのかを考えておきたいと思うのです。

(2)愛をもって真理を語る
 そこで第112問は次のように教えています「あらゆる嘘やごまかしを、悪魔の業そのものとして神の激しい御怒りのゆえに遠ざけ、裁判やその他のあらゆる取引においては真理を愛し、正直に語りまた告白すること。さらにまた、わたしの隣人の栄誉と威信とをわたしの力の限り守り促進する、ということです」。すでに主イエス・キリストの十字架の贖いによって救い出され、神の子としての自由と特権を与えられた私たちは、この自由をもって神に感謝をささげつつ生きるようにと召されているのですが、そのような生き方を一言でまとめるならば、それは「隣人愛に生きる」ということになるでしょう。第112問の終わりに「わたしの隣人の栄誉と威信とをわたしの力の限り守り促進する」と記される通りです。これと同様の表現はすでに第五戒について記した第107問に「私たちが自分の隣人を自分自身のように愛し、忍耐、平和、寛容、慈愛、親切を示し、その人への危害をできうる限り防ぎ、私たちの敵にさえ善を行う」、あるいは第八戒について記した第111問に「わたしが、自分にでき、またはしてもよい範囲内で、私の隣人の利益を促進する」とも教えられており、「隣人を愛する」という十戒の第二の板の主題が「できうる限り」「促進する」ものであることが繰り返されています。
 このことを今日の「偽りの証言をしない」という戒めに当てはめるならば、その積極的な遂行の命令とは、隣人の栄誉と威信の促進という目的に向かって、「愛をもって真理を語る」(エペソ4:15)とうことに行き着くのではないでしょうか。私たちは常に真理を語るものでありたいと願います。しかしそれと分かちがたく結びついて御言葉が「愛をもって」と語る点に注目しておきたいと思います。愛を失った真理の言葉は時に人を罪へと断罪する律法の言葉に変化しがちです。しかしハイデルベルクの文脈においてはむしろ、愛をもって真理が語られることこそが、人を真に自由なる者として神への感謝と隣人への奉仕に生きる道に立たせるのであって、そこにおいて語られる真理は、偽証や陰口、中傷、軽率な断罪の言葉ではなく、人を励まし、人を慰め、人を建て上げ、人を生かす愛の言葉として用いられるのです。東欧の神学者ロッホマンは「真理はつねに、いつでも具体的な状況において、当惑している隣人の事情を考えて探求され、証言されるもの」であり、「愛へと向かう方向付けの中にある」と言いました。愛とは極めて具体的・個別的なものです。ひとり一人の置かれた場と状況を信仰の目をもってしっかりと見つめ、吟味しつつ、その隣人に相応しく愛をもって真理を語り、隣人を建て上げていく。そのようにして隣人の栄誉と威信を私の力の限り守り促進することへと、いよいよ聖化の道を歩ませていただきたいと願います。


 

 



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