祈祷会
ハイデルベルク信仰問答講解54

「地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。」(詩篇24:1)

(1)盗んではならない
 今日は、十戒の第八戒、「盗んではならない」という戒めを取り上げます。まず第110問を見ましょう。「問:第八戒で、神は何を禁じておられますか。答:神は権威者が罰するような盗みや略奪を禁じておられるのみならず、暴力によって、または不正な重り、物差し、升、商品、貨幣、利息のような合法的な見せかけによって、あるいは神が禁じている何らかの手段によって私たちが自分の隣人の財産を自らのものにしようとするあらゆる邪悪な行為または企てをも、盗みと呼ばれるのです。さらに、あらゆる貪欲や神の賜物の不必要な浪費も禁じておられます」。
 私たちの生きている社会を見渡してみると、経済的な犯罪が後を絶ちません。しかし今日の戒めを見ると、旧約の時代にも違法な高利貸しや不正な商取引、品質の詐称や違法な取り立てなどがあったことを知らされるのです。それとともに、現代の旧約聖書学の検討によって元来この第八戒は「人を盗むこと」すなわち誘拐の禁止を指していることが明らかにされてきました。出エジプト記に「人をさらった者は、その人を売っていても、自分の手元に置いていても、必ず殺されなければならない」(21:16)とあるように、人を誘拐して奴隷とすることの禁止がこの戒めの原意だというのです。そうしますと、この第八戒はそもそも十戒の与えられた文脈とも繋がってくることが明らかにされます。「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である」(20:2)と十戒の序文で語られたように、イスラエルの神は、ご自身の民を奴隷状態から解き放つ、自由と解放の神であるということなのであり、イスラエルはまさに奴隷の状態から神によって贖い出されて自由を得た民である。ゆえに、そのようにして他人を自らがかつて置かれた境遇に置くことに荷担してはならないと戒められているのです。このように、自らが神によって自由とされた者であるが故に、人は盗んではならない。人の自由を制限し、それを暴力によってあるいは経済的な不正によって、合法的と見せかけたいかなる方法によっても自らのものとしてはならないと十戒は教えています。
 さらにまた、主なる神が私たちに「盗んではならない」と命じられるのは、主なる神ご自身が万物の所有者であられることにも基礎づけられています。詩篇24篇1節には次にようにあります。「地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである」。すべてのものの所有者であられる主なる神のもとにあって、私たちはそれらの管理を委託されたしもべとしてこの世界に生かされているのであり、その立場を忘れ、自らが神のようになっていこうとする時、そこに神のものを「盗む」と言う事態が生じてくるのです。私たちは絶えず、「すべては主のもの」という信仰の告白に基づいて、自分に与えられたもので満足し、それ以上のものを求めず、感謝しつつ生きる生き方が求められていると言えるのです。

(2)自由な隣人愛で
 次に、第111問を見ましょう。「問:それではこの戒めで神は何を命じておられるのですか。答:私が自分に出来、またしてもよい範囲内で、私の隣人の利益を促進し、私が人にしてもらいたいと思うことをその人に対しても行い、私が誠実に働いて、困窮の中にいる貧しい人々を助けることです」。ハイデルベルクはここでも禁止の命令に続いて、この戒めの積極的な命令を引き出しています。そこでは「盗むな」との戒めに従って生きる道は、単に盗みを働かないというだけでなく、より積極的には神の自由なる恵みに応答しつつ、隣人への愛に生きる生き方であると教えられているのです。与えられたものを隣人と分かち合いながら生きる。その点で、聖書の教えるライフスタイルは富や所有を否定する禁欲主義ではありません。むしろ富を含めて「地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。」(詩篇24:1)ことを承認しながら生きる時に、それにふさわしい富の用い方も定まって来るというのです。 
 主を中心とした交わりが、互いのために分かち合う交わりとして広げられ、深められていく。そのために自らの手の働きによって得た報酬が用いられていく。自分を富ませるだけの経済活動ではなく、隣人を生かしていくための新しい経済の倫理が生み出されるのです。主イエスはヨハネ福音書において「わたしが生きるので、あなたがたも生きる」と言われました(ヨハネ14:19)。この主イエスの命に生かされる時、私たち同士の交わりの中にも「わたしが生きるので、あなたがたも生きる」という命の交わりが生まれてくるでしょう。しかもそれは誰かに強制されての生き方ではなく、神の自由なる恵みに応答しての、私たちの自由なる感謝としてです。愛において豊かに富む自由なる共同体のあり方を、私たちが生かされている社会の中に示していくことが、今日、私たちに求められているのではないでしょうか。ペンテコステによって生み出されたエルサレム教会は「信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいのものを共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた」(使徒2:44-45)とあります。また迫害下にあったローマの教会は、教会の仕え人たちの経済的援助、やもめや孤児の支援、病人や障害者への援助、囚人や鉱山労働者の支援。貧者や行き倒れの人々の保護、奴隷の支援と解放のための資金援助、被災者の救援、旅人のもてなしを一手に引き受けていたと言われ、さらにはローマ教会の執事であったラウレンティウスが教会財産の没収を帝国から命じられた時、「教会財産は貧者のみ」と答えたという逸話も残されています。そういうようにして教会がこの世のただ中でインパクトを与えて行ったことを思う時、第八戒の教えが私たちを導く教会としての生き方の可能性は無限にあることを覚えておきたいと思います。

 

 



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