祈祷会
ハイデルベルク信仰問答講解53

「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」(Iコリント6:19-20)

(1)姦淫してはならない
今日は、十戒の第七戒、「姦淫してはならない」という戒めを取り上げます。まず第108問を見ましょう。「問:第七戒は、何を求めていますか。答:すべてみだらなことは神に呪われるということ。それゆえ、わたしたちはそれを心から憎み、神聖な結婚生活においても、それ以外の場合においても、純潔で慎み深く生きるべきである、ということです」。この戒めは、現代社会においてはすでに「死文化した戒め」のように扱われるものですが、しかし実際にはいつの時代にも普遍的に妥当するものであり、ひときわ今日的、現代的な戒めであると言わなければなりません。特に私たちの日常を取り巻く社会において、結婚関係を破ることへの安易な迎合や性的な倫理の腐敗、堕落ぶりは目を覆うばかりのものです。性を売り物にする産業や若者たちを取り巻く性情報の氾濫と卑劣な性犯罪の増大とは決して無関係とは言えないでしょう。そうであるからこそ、私たちはこの第七戒を今日的な戒めとして新しく受け取り直し、聞き直さなければならないのです。しばしば聖書の教える男女の性理解、結婚の理解は時代遅れのものであり、特に昨今のフェミニズム文化の影響下にあっては、女性の地位向上と性の解放とが混同されているきらいもあるほどです。しかし誤解されてならないことは、聖書は決して女性の男性に対する隷属化を肯定してはおらず、また性をタブー視してもいないということです。むしろ神は創造において御自身との交わりに生き、また神の御前にあって男と女とが一つの契約共同体として生きるようにと自由な相互への愛と信頼に基づく関係を与えておられると言うことです。このことを踏まえて第七戒の教えるところに聞きたいと思います。
神が人間に与えられた性の交わりは、本来互いを尊敬し、信頼し合う最も深い関係である夫婦の交わりの中に与えられたものでした。ですからそれを破る交わりは神に呪われるものであると教えられます。このことは今日で言ういわゆる「不倫」の関係だけに限定されません。ハイデルベルクはこの戒めを「神聖な結婚生活において、それ以外の場合においても」と語って、これが結婚生活と独身生活における戒めであることに注意を促しています。そしてそこにおいて求められる在り方は「純潔」と「慎み深さ」であると教えられるのです。それこそ今日では死語にようにすら聞こえるこの二つの言葉が、しかし真に自由なる人間に与えられている自由さの証しなのです。冒頭の御言葉をもってパウロが語りかけたコリント教会の信徒たちは、救いの問題を限定しており、また自由と放縦を取り違えていました。しかし続く109問でも学ぶように、私たちの救いは魂だけでなく、からだの救いでもあるのであって、救われた私たちは自らの魂だけでなく、からだをも神の御前に差し出していくべき者とされているのです。その究極の目標は「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です」(ローマ12:1)という真の礼拝的な生です。この究極の目標に向けて、私たちは自らを清く、慎み深く差し出していくのです。
(2)聖霊の宮として
そこで第109問を見ましょう。「問:神はこの戒めで、姦淫とそのような汚らわしいこと以外は、禁じておられないのですか。答:わたしたちの体と魂とは共に聖霊の宮です。ですから、この方はわたしたちがそれら二つを、清く聖なるものとして保つことを望んでおられます。それゆえ、あらゆるみだらな行い、態度、言葉、思い、欲望、またおよそ人をそれらに誘うおそれのある事柄を禁じておられるのです」。ここでハイデルベルクはパウロの教えに聞きつつ、私たちが主イエスのものとされているという「唯一の慰め」の中に生きる生が、聖霊の宮として生きることを意味していると教えています。そこでは「自分のからだをどうしようと自分の勝手ではないか」との主張は成り立ちません。キリストの尊い十字架の血潮によって贖い取られ、聖霊の宮とされた私たちは、それゆえに自分の体と魂に対する所有権をもはや主張することはできず、かえってこれを聖霊の宮とし「清く聖なるものとして保つ」ようにと期待されているのです。
確かに私たちの中にある罪の残滓は時に私たちを罪の誘惑へと誘います。結婚する以前の若い人々に対する性的な誘惑の大きくまた深刻なことは言うまでもなく、結婚生活の中にある者でさえこのことから無関係であるとは言えないでしょう。しかし私たちはそこで性を嫌悪し罪悪視するような誤った純潔主義や、罪との戦いに最初から負けを認めてしまうような敗北主義、あるいは罪を犯すことへの開き直りや、聖書の教えとこの世の基準を使い分けて生きていくような信仰と生活の二元化に進むことがあってはなりません。むしろ義認と聖化の恵みを覚えつつ、主イエスの御霊が私の中で日々に成し遂げて下さる全人的な聖化の歩みに信頼し、それを支えてくださる聖霊の恵みにいよいよ信頼しながら、赦しの中を進んでいきたいと願うのです。性は本来、神から与えられた祝福です。しかしこれが祝福となるか、のろいとなるかは、その事柄そのものが決めることではなく、それが用いられる関係と、それが向かう目標によって決められるものです。神が与えて下さる夫婦の交わりにおいて、神への礼拝へと向かう営みの中で、ひとり一人が聖霊の宮として主なる神と、神が与えて下さる隣人とに対していつも慎み深く生きる者でありたいと願います。

 



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