祈祷会
ハイデルベルク信仰問答講解52

「昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。」(マタイ5:21-22)

(1)殺してはならない
今日は、十戒の第六戒、「殺してはならない」という戒めを取り上げます。まず第105問を見ましょう。「問:第六戒で、神は何を望んでおられますか。答:わたしが、思いにより、言葉や態度により、ましてや行為によって、わたしの隣人を、自分自らまたは他人を通して、そしったり、憎んだり、侮辱したり、殺してはならないこと。かえってあらゆる復讐心を捨て去ること。さらに、自分自身を傷つけたり、自ら危険を冒すべきではない、ということです。そういうわけで、権威者もまた、殺人を防ぐために剣を帯びているのです」。
「殺してはならない」という戒めは、改めて問う必要もないほどの人間社会における基本的な戒めと言うことができます。しかし一方で、私たちを取り巻く現代社会においては、この戒めが自明とは言えないほどに毎日、殺人、戦争、事故や災害、医療ミス等、さまざまな仕方で人の命が奪われるニュースで溢れています。「なぜ人を殺してはいけないか」ということが改めて問われなければならないほどに、「殺してはならない」という戒めは揺るがされていると言わなければなりません。
この点で、今日この十戒の第六戒が射程に収めている問題は、一方では殺人から戦争や死刑制度に至る制度的な死の問題、他方では中絶、堕胎から安楽死や自殺に至る医療や社会倫理的な死の問題にまで及んでいると言えるでしょう。そのような中で私たちはどこに基本的な視点を置いてこのことを考えることが求められているのでしょうか。聖書はこの点について明確に答えています。例えば創世記9章6節には次のように記されます。「人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから」。人は神のかたちに造られている。この創造の事実こそが、人間のいのちの尊厳の根源であり、人が神のかたちに造られているがゆえに、このいのちは他者がいかなる理由によっても奪い去ることのできないものなのです。

(2)隠れた殺人
十戒の第六戒が、単に殺人を禁じているのみならずそれを含んださらに広い範囲の事柄を教えていることは、第105問においても「思いにより、言葉や態度により、ましてや行為によって、わたしの隣人を、自分自らまたは他人を通して、そしったり、憎んだり、侮辱したり、殺してはならないこと。かえってあらゆる復讐心を捨て去ること」として教えられていました。それとともに、続く第106問ではそのような殺人の生まれる動機、「殺人の根」についても教えています。「問:しかし、この戒めは、殺すことついてだけ、語っているのではありませんか。神が殺人の禁止を通して、わたしたちに教えようとしておられるのは、御自身が、ねたみ、憎しみ、怒り、復讐心のような殺人の根を憎んでおられること。またすべてそのようなことは、この方の前では一種の隠れた殺人である、ということです」。
「殺してはならない」という戒めは人間にとって基本的な戒めであると同時に、多くの人々にとっては、それがあまりに当然のことであり、かつ自分自身はその当事者になることはあり得ないこととして、その傍らを通り過ぎようとしますが、しかし主なる神は第六戒が決して私たちと無関係のことではないことを教えようとしておられるのです。つまり「ねたみ、憎しみ、怒り、復讐心」という誰にでも心当たりのある内面に秘められた罪の問題が「殺人の根」なのであり、しかもこれらはすでに一種の「隠れた殺人である」と教えられているのです。冒頭に開いたマタイ福音書における主イエス・キリスト御自身による教えもこのことを踏まえたものであり、またヨハネも「兄弟を憎む者はみな、人殺しです。いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです」(Iヨハネ3:15)と語っている通りです。つまり十戒の教えは単に社会的な次元での殺人を禁じているのではなく、神の御前における私と隣人との正しい在り方について教えようとしているのです。

(3)隣人を愛せよ
そうであるからこそ、第107問で次のように教えられます。「問:しかし、わたしたちが自分の隣人をそのようにして殺さなければ、それで十分なのですか。答:いいえ。神はそこにおいて、ねたみ、憎しみ、怒りを断罪しておられるのですから、この方がわたしたちに求めておられるのは、わたしたちが自分の隣人を自分自身にように愛し、忍耐、平和、寛容、慈愛、親切を示し、その人への危害をできうる限り防ぎ、わたしたちの敵にさえ善を行う、ということなのです」。
「人を殺すこと」を禁じる第六戒をひっくり返してみるならば、そこでの戒めは「人を殺さないこと」という消極的な態度に終始するのではなく、「人を愛すること」という積極的な態度に展開されるというのです。しかもこの教えの積極性は「わたしたちの敵にさえ善を行う」ということに現れています。今日、「報復」がまかり通っています。聖書は「復讐は神のすること」と教えているにもかかわらず、神の名による報復の戦争が正当化され、そのための戦争に協力する体制がとられているこの国において、私たちは改めてこの第六戒の教える意味を深く考えることが求められているのではないでしょうか。私たちはこの地上に神の御心が行われるようにと日々祈り続けて、そのように生きるようにと促されています。そして「この方がわたしたちに求めておられるのは、わたしたちが自分の隣人を自分自身にように愛し、忍耐、平和、寛容、慈愛、親切を示し、その人への危害をできうる限り防ぎ、わたしたちの敵にさえ善を行う、ということなのです」。

 



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