祈祷会
ハイデルベルク信仰問答講解48

「あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。」(出エジプト20:7)

(1)御名の乱用の禁止
 今日の第36主日では、十戒の第三戒である御名の乱用の禁止について教えられています。まず第99問を見ましょう。「問:第三戒は何を求めていますか。答:わたしたちが、呪いや偽りの誓いによってのみならず、不必要な誓約によっても、神の御名を冒涜または乱用することなく、黙認や傍観によってもそのような恐るべき罪に関与しない、ということ。要するに、わたしたちが畏れと敬虔によらないでは神の聖なる御名を用いない、ということです。それは、この方がわたしたちによって正しく告白され、呼びかけられ、わたしたちのすべての言葉と行いとによって讃えられるためです」。ここで禁じられていることは大きく二つ、御名の冒涜と乱用ということです。それをさらに詳細に説明する仕方で、呪いや偽りの誓い、不必要な誓約が加えられています。御名をみだりに唱えるということを、そのような行為に限定して考えるならば、私たちの日常生活の中ではさほど緊急性の高い戒めとは言えないかも知れませんが、しかしこのことが含み込む意味の広がりということを捉えるならば、利己的で、恣意的で、冒涜的な神の名の乱用ということは歴史の中で枚挙にいとまのないことです。人はしばしば神の名を己れの行為を正当化するために「政治的」に利用することがあります。神の名において為された罪の歴史ということがあるのです。しかし十戒の第三戒はそのような御名の乱用を明確に禁じていることを忘れてはなりません。
 またそれと同時に、これらのことの消極的な面として御名の冒涜や乱用の事実を目の当たりにした時にそれを黙認することや傍観することも禁じられています。そのような事実を知りながら、御名の聖さを知っている者たちが沈黙するならば、その沈黙もまた第三戒の違反になるとハイデルベルクは教えるのです。神の御名を政治的に利用する人々、特に権威を持つ者たちによる乱用が起こった場合、信仰者はどのような立場と態度を取るのかということは、常日頃から覚えられなければならない事柄でしょう。黙認や傍観も罪への関与であると教えるハイデルベルクの意図を受け取る時、私たちのこの世に対する預言者職の使命の重さを痛感させられます。
 以上のような第三戒の戒めを、ハイデルベルクは要約して次のように言いました。「要するに、わたしたちが畏れと敬虔によらないでは神の聖なる御名を用いない、ということです」。畏れと敬虔をもって神の聖なる御名を用いる。それは正しい神礼拝、正しい神賛美、正しい神告白の道筋を私たちに教えるものです。ハイデルベルクはこの点を「この方がわたしたちによって正しく告白され、呼びかけられ、わたしたちのすべての言葉と行いとによって讃えられるため」と説明しています。つまり、御名の乱用を禁じる第三戒を裏返して、そこに積極的な戒めとしての響きを聞き取るならば、それは正しい神礼拝をおこなうということになるのです。古くからの教会の言葉に「祈りの法が信仰の法」という言葉があります。正しい祈り、礼拝、賛美が正しい信仰を形作っていくのです。私たちは信仰をとかく内面的なこと、精神的なことと限定してしまいがちですが、しかしその信仰の外側への表れの部分で、私たちの言葉と行いが問われていることに注意を向けておきたいと思います。

 

 

 



日本同盟基督教団 徳丸町キリスト教会
〒175−0083
東京都板橋区徳丸6−24−10
TEL 03−3935−3405
FAX 03−3935−3445

メールでのお問い合わせ
管理人


Copyritht ©The Evangelical Alliance Mission Tokumarucho Christ Church All Rights Reserved.