祈祷会
ハイデルベルク信仰問答講解46

「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」(出エジプト20:3)

(1)神を神とする
 前回は、神を愛し、隣人を愛するという十戒の前提となる精神について学びましたが、それらを踏まえて、いよいよ実際の戒めの内容に進むことになります。そこで第一の戒めを見ましょう。第一戒は「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」です。この戒めについてハイデルベルク信仰問答第94問では次のように記されます。「問:第一戒で、主は何を求めておられますか。答:わたしが自分の魂の救いと祝福とを失わないために、あらゆる偶像崇拝、魔術、迷信的な教え、諸聖人や他の被造物への呼びかけを避けて逃れるべきこと。唯一のまことの神を正しく知り、この方にのみ信頼し、謙遜と忍耐の限りを尽して、この方にのみすべてのよきものを期待し、真心からこの方を愛し、畏れ敬うことです。すなわち、わたしが、ほんのわずかでも神の御旨に反して何かをするぐらいならば、むしろすべての被造物の方を放棄する、ということです」。
 宗教改革時代のカテキズムの特徴として挙げることのできる点の一つに、十戒の解説を施す場合に、それらの教えを絶えず「〜すべからず」という消極的な面のみならず、そこに「〜すべし」という積極的な面を見出しているということがあります。「〜してはならない」という戒めについても、「〜せよ」という戒めについても、いつもそこに禁止と遂行の両面を教えるところに、ハイデルベルク信仰問答など信仰問答書の持つ十戒の理解が、単なる禁止命令として私たちの生を拘束するものではなく、むしろそれらを神に向かって生きることの積極的な指針としての意義を持っていることを確認することができるのです。そこで第一戒の消極的な面は「あらゆる偶像崇拝、魔術、迷信的な教え、諸聖人や他の被造物への呼びかけを避けて逃れるべきこと」です。出エジプトに際して、主なる神は燃える柴の中からモーセに御自身を啓示され、そこで御自身の名を「わたしは『わたしはある』という者である」(出エジプト3:14)とお呼びになりました。この「ありてある者」なる神が、この世界を創造され、それを保ち、治め、導き、そればかりでなく「あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主」として、私たち人間を愛し、救おうとしてくださっているがゆえに、神の愛に基づく自由によって私たちのもとに来たりたもう神として存在される。その神の人間への近づきこそがクリスマスに起こった御子の誕生ですが、そのようにして神は私たちを愛し、私たちに向かって近づいてくださるお方なので、私たちにもこのお方のみを愛することが期待されるのです。
次に積極的な面は「唯一のまことの神を正しく知り、この方にのみ信頼し、謙遜と忍耐の限りを尽して、この方にのみすべてのよきものを期待し、真心からこの方を愛し、畏れ敬うことです。すなわち、わたしが、ほんのわずかでも神の御旨に反して何かをするぐらいならば、むしろすべての被造物の方を放棄する、ということです」。では、真の神のみを神とし、この神に信頼して、愛し畏れる信仰はどのようにして生まれるのでしょうか。ハイデルベルクは第21問で次のように信仰の定義をしました。「問:まことの信仰とは何ですか。答:それは、神が御言葉においてわたしたちに啓示されたことすべてをわたしが真実であると確信する、その確かな認識のことだけでなく、福音を通して聖霊がわたしのうちに起こしてくださる、心からの信頼のことでもあります」。私たちが真の神を知り、信じるのは、神の御言葉とその説き明かしとしての福音の説教、それらを通して私たちの内に生けるキリストを証しして下さる聖霊の神のお働きによることです。その信仰に立つ時に、私たちは時に決然とした信仰態度を取らざるをえない状況に置かれることをも覚悟しなければなりません。すなわち「わたしが、ほんのわずかでも神の御旨に反して何かをするぐらいならば、むしろすべての被造物の方を放棄する、ということです」。

(2)偶像礼拝の本質
 さて、続く第95問では、神以外の者を神とする偶像礼拝の本質が明らかにされます。「問:偶像礼拝とは何ですか。答:御言葉において御自身を啓示された、唯一のまことの神に代えて、またはこの方と並べて、人が自分の信頼を置く何か他のものを考え出したり、所有したりすることです」。ここで明らかにされることは、他の神々を拝むことだけが偶像礼拝なのではない、ということです。むしろ第94問との関連で言うならば、人が神以外のものに信頼を置くならば、被造物のどんなものでもそれは偶像になるということです。主イエス・キリストはマタイ福音書において言われます。「だれも、二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは神にも仕え、富にも仕えるということはできません」(マタイ6:24)。ここで「富」と訳されるマモンという言葉は、元来は「頼りとするもの」という意味で、そこから所有物や財産を指す言葉になったものです。ですからここで主イエスは、単にお金のことだけでなく、どんな被造物でもそれらを神に代えて己れの拠り所とし、頼みとするならば、それらはすぐさま偶像になり、マモンになることを警告しておられるのです。運命を頼り、人を頼る。他の被造物を頼り、偶像の神々を頼る。そのような外から来る偶像礼拝とともに、己れの地位を誇り、名誉を誇る。財産を誇り、富を誇る。軍事力を誇り、政治力を誇ることも、内から来る偶像礼拝です。私たちは二人の主人に仕えることはできないのであって、ただ真の神のみを信頼して生きることこそが、真の幸いなのです。
神を正しく知ること、神に信頼すること、謙遜と忍耐の限りを尽くして神に期待すること、神を愛すること、神を畏れ敬うこと。それらを通して、私たちはこの唯一の神、世界の創造者にして歴史の支配者なる神、私たちを愛し、救い、交わりをもちたもう「ありてある者」であられる神を「わたしの神」としていよいよ知り、そしてこの神が御子イエス・キリストにおいて私たちとともにいて下さる「インマヌエル」として来たりたまい、そして今も聖霊においてともに居続けてくださることに信頼するものでありたいと願います。この神を神とする時に、人はまことの人となっていく。神を崇める姿こそが、人間の最も根源的で本来的な姿です。私たちもますますこのお方を私の神として崇めつつ、そのようにして神の御前に生きるまことの人としての歩みを全うさせていただきましょう。

 



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