祈祷会
ハイデルベルク信仰問答講解45

「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じように大切です。律法と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです」。(マタイ22:37-40)

(1)主の律法としての十の戒め
 今回取り上げる第34主日から第44主日にかけて、神の律法である十戒の解説が扱われます。ここで少しおさらいをしておきたいと思いますが、律法の問題がハイデルベルクで扱われるのはここが初めての箇所ではなく、すでに第2主日の第3問から第5問の箇所でこのことについて触れられていました。「問3:何によって、あなたは自分の悲惨さに気づきますか。答:神の律法によってです。問4:神の律法は、わたしたちに何を求めていますか。答:それについてキリストは、マタイによる福音書22章で次のように要約して教えておられます。『「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。「隣人を自分のように愛しなさい。」律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。』問5:あなたはこれらすべてのことを完全に行うことができますか。答:できません。なぜなら、わたしは神と自分の隣人を憎む方へと生まれつき心が傾いているからです」。ここでは律法が人に罪を認めさせるといういわゆる律法の第一用法が語られていますが、その際にはハイデルベルクは律法の要約であるマタイ福音書22章を掲げるのみでした。ところが罪から救われた人間がその感謝を神にどのように表すべきかといういわゆる律法の第三用法について記される今日からの箇所で、特に第92問では、今度は文字通り神の律法としての十戒をそのまま掲げて、これを順を追って解説していくのでした。このような律法の取り扱いは、これまでも繰り返し見てきたようにハイデルベルク信仰問答の、そしてそれが連なる改革派の信仰問答の大きな特色であると言うことができるのです。
 そこで今後この十戒を順を追って学んで行くに当たり、まず最初に注目したいのはハイデルベルクが十戒をどのように区分しているかと言うことです。特に第92問の第一戒の部分で次のように言われています。「問:主の律法とはどのようなものですか。答:神はこれらすべての言葉を告げられた。第一戒、わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」。この「わたしは主」以下の部分は通常は十戒の序言と呼ばれる部分ですが、これをどのように取り扱うかに十戒の理解が掛かってくる重要な箇所です。このことに注目したのはカルヴァンですが、ハイデルベルクもカルヴァンの線に沿って、これを第一戒の中に含めて論じています。つまりここで「わたしをおいてほかに神があってはならない」と主張される神は、単なる一般的、抽象的な神々の一つということではなく、「あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した」「あなたの神」であり「主」であられるお方であるということです。この主なる神は、世界を創造され、その世界の歴史の中にあって御自身の民イスラエルを選び、その民の歴史の中で御自身の救いの御業を成就させられる神であり、そして何よりも、そのようにしてこの神が『あなたの神』、すなわち私たちの神として、私たちと交わりを持ちたもう生ける神、契約の神であられるということなのです。この生ける神、契約の神のみを神とすることは、そこに愛と真実な交わりが成立することを意味しています。つまりこの十戒は「神一般」と「人間一般」の間の戒めということではなく、具体的で特定な愛の交わりに基づく「あなたの神、主」と「わたしたち」との間に結ばれた約束ということになるのです。

(2)二枚のあかしの板
 さて、続く第93問では、十戒の大きな二つの区分について述べられています。「問:これらの戒めはどのように分かれていますか。答:二枚の板に分かれています。その第一は、四つの戒めにおいて、わたしたちが神に対してどのようにふるまうべきかを教え、第二は、六つの戒めにおいて、わたしたちが自分の隣人に対してどのような義務を負っているかを教えています」。十戒について旧約聖書はこれを「二枚の石の板」、「二枚のあかしの板」と呼ぶことがあります。もちろん、一枚目と二枚目にどのように戒めが記されていたかは定かではありませんが、内容からすると十戒は大きく二つの部分に分けられるのです。前半四つは対神関係についての戒め、後半六つは対人関係についての戒めということです。しかも前半部分と後半部分は全く別個の戒めとしてあるというのではなく、実はこの二つの部分が全体として一つのものとして記されているのです。このことを最も明確にあらわしているのが、冒頭に記した主イエス・キリスト御自身の御言葉です。マルコ福音書によれば、律法学者の主イエスに対する問いは「すべての命令の中で、どれが一番大切ですか(第一ですか)」(マルコ12:28)でした。つまり第一のものは何かという問いです。これに対して主イエスは主なる神を愛し、隣人を愛せよという二つのことをもって答えられました。つまり神を愛することと隣人を愛することは、二つでありつつしかも分かちがたく結びあった一つの戒めであり、十戒の全体が、そしてそれを含む神の律法全体の究極の戒めであるということになるのです。
 ヨハネは手紙の中でこう言います。「神を愛するといいながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は、兄弟をも愛するべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています」(Iヨハネ4:20-21)。聖書が示す愛の倫理は、神をさしおいて人間へと向かう人間主義的な博愛精神でもなく、また隣人を無視して神へと向かう自己中心的で偏狭な熱狂主義的信仰でもありません。絶えず神を愛することによって隣人の存在へと目が開かれていくような愛の姿であり、隣人と誠実に向き合うことで神への愛に気づかされていくような愛の姿です。それゆえに「神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません」(同5:3)とあるように、神の戒めは私たちを束縛する重荷ではなく、神と隣人の前に生きていく上での自由な道しるべなのです。

 



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