祈祷会
ハイデルベルク信仰問答講解41

「わたしは、あなたに御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」(マタイ16:19)

(1)鍵の務め
 聖礼典についての教えに続いて、第31主日では教会に託された「鍵の務めについて」の教えが論じられています。まず第83問を見ておきましょう。「問:鍵の務めとは何ですか。答:聖なる福音の説教とキリスト教的戒規のことです。これら二つによって、天国は信仰者たちには開かれ、不信仰な者たちには閉ざされるのです」。教会はその歴史の中で教会に与えられた権能としての「鍵の務め」を重視してきました。このことの源流は冒頭に開いたマタイ福音書における主イエス・キリストの御言葉にさかのぼります。主はペテロに代表される地上の教会に御国の鍵を託されて、そこに「つなぐ、解く」務めを与えられました。それによって天の御国の門を開き、また閉じる役目が委ねられたのです。当時のローマ・カトリック教会においては鍵の務めはむしろ「破門の権能」として司祭職に与えられていました。罪の告白は個人的な告解、悔悛の秘跡とされ、破門の権能は司祭に託されたのです。しかしこれに対して宗教改革の教会は、これをあくまでも教会に委任された務めと理解し、また罪の告白と赦しの宣言を個人的な秘められた事柄としてではなく、礼拝の中での公的な営みとしたのでした。このような経緯から、ハイデルベルクは鍵の務めを「聖なる福音の説教とキリスト教的戒規」としてこれをカトリックの破門の権能から取り戻し、教会の実践の中に正しく位置づけたのです。
 しかし一方で地上の教会にこのような重い務めを果たすことが果たして出来るのか、鍵の務めを担うことが出来るほどの人が果たしているだろうかという厳粛な問いが浮かんでくることも事実です。そこでハイデルベルクがこの第83問の引章聖句にヨハネ20章22、23節の御言葉を用いていることに注目したいのです。「聖霊を受けなさい。あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります」。つまりここでは教会を通して働かれる聖霊の業が期待されているのであり、教会の仕え人の正しさや聖さが期待されているのではないのです。教会に託された務めの正しさと聖さ、それを用いて働かれる聖霊なる神の確かさのゆえに、この務めは教会において正しく果たされなければならないのです。

(2)鍵の務めとして福音の説教
 そこでまず第一には鍵の務めとしての「福音の説教が」の役割が教えられます。第84問。「問:聖なる福音の説教によって、天国はどのように開かれまた閉ざされるのですか。答:次のようにです。すなわち、キリストの御命令によって、信仰者に対して誰にでも告知され明らかに証言されることは、彼らが福音の約束をまことの信仰をもって受け入れる度ごとに、そのすべての罪が、キリストの功績のゆえに、神によって真実に赦されるということです。しかし、不信仰な者や偽善者たちすべてに告知され明らかに証言されることは、彼らが回心しない限り、神の御怒りと永遠の刑罰とが彼らに留まるということです。そのような福音の証言によって、神は両者をこの世と来たるべき世において裁こうとなさるのです」。ここで語られるのは福音の説教の持つ救いと裁きの両面性ということです。使徒パウロは言いました。「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには神の力です」。福音の言葉は信じる者には罪の赦しを与える救いの言葉となり、信じない者には神の怒りと刑罰をもたらす裁きの言葉になるのです。この両面性を正しく捕らえることが重要です。御言葉には「両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別する」(ヘブル4:12)性質があるのであって、教会はこの福音の剣を研ぎ澄ましてこの世界に向かって語り続けなければならないのです。
御言葉の説教には福音の慰めや励まし、教えや勧めとともに、罪を明らかにし、責め、戒める働きもあります。しかし時に教会は時代に媚びて、その御言葉の剣の一方の役割を隠してしまい、かつての旧約時代の偽預言者たちのように偽りの平和を語ることがありましたし、また今もその危険はあるのです。だからこそ私たちは御言葉の説教が教会に託された鍵の務めであることを十分に重んじて、これを正しく用いなければなりません。これは単に御言葉の奉仕に立つ牧師個人の問題ではなく、牧師を立てて御言葉を語らしめる教会全体の問題です。このことの心に刻みながら使徒パウロの言葉に聞いておきたいと思います。「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです」(IIテモテ4:2-4)。

 



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