祈祷会
ハイデルベルク信仰問答講解38

「私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。パンは一つですから、私たちは、多数であっても、一つのからだです。それは、みなの者がともに一つのパンを食べるからです。」(Iコリント10:16-17)

(1)キリストとの結合の恵み
前回から主の晩餐の礼典について学び始めていますが、今日の第76問では、前回に続いて主の晩餐の意義が明らかにされていきます。問76「十字架につけられたキリストの体を食べ、その流された血を飲むとはどういうことですか」との問いに対してまず論じられるのは「それは、キリストのすべての苦難と死とを、信仰の心をもって受け入れ、それによって罪の赦しと永遠の命とをいただく、ということ」です。これは前の問75を要約しているもので、主の晩餐がイエス・キリストの十字架の贖いによる罪の赦しと、永遠の命の獲得であったことを再確認しています。
しかしさらに重要なこととして次のように論じられます。「それ以上にまた、キリストのうちにもわたしたちのうちにも住んでおられる聖霊によって、その祝福された御体といよいよ一つにされてゆく、ということです。それは、この方が天におられ、わたしたちは地にいるにもかかわらず、わたしたちがこの方の肉の肉、骨の骨となり、ちょうどわたしたちの体の諸部分が一つの魂によってそうされているように、わたしたちが一つの御霊によって永遠に生かされまた支配されるためなのです」。ここで大切なポイントは二つあります。その第一は、主の晩餐によって与えられる恵みは「祝福された御体といよいよ一つにされてゆく」ことである点、第二はそれが「キリストのうちにもわたしたちのうちにも住んでおられる聖霊によって」起こることである点です。まず第一の点についてですが、ここでハイデルベルクは主の晩餐によって起こることが、昇天のキリストと地上にある私たちが天と地とに分かたれているにも関わらず「いよいよ一つにされていく」ことであると説明します(第49問参照)。このキリストと一つにされていくことを教理用語では「キリストとの結合」(unio cum Christo)あるいは「キリストとの神秘的結合」(unio mystica cum Christo)と呼びます。これは私たちの救いと聖化、そして終末における完成を考える上で非常に重要なことです。私たちの信仰の歩みは、天にあるキリストとますます一つに、いよいよ一つにされていく歩みなのであり、繰り返し繰り返し主の晩餐にあずかることによって、生けるキリストにあずかることによってなっていくのだということなのです。主イエスはヨハネ福音書において言われました。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです」(ヨハネ6:56-57)。キリストの肉と血にあずかる主の晩餐は、私たちがこの主イエスの命によって生きるための命の営みなのです。

(2)御霊による支配
第二の点は、このキリストとの結合は「聖霊なる神」のお働きによって起こるということです。救われた私たちが主の晩餐を通して天におられる生けるキリストと一つにされて行くのは、私個人としてではなく、私たちキリストのからだなる教会という一つのからだにおいて起こることです。信仰問答が次のように語る通りです。「それは、この方が天におられ、わたしたちは地にいるにもかかわらず、わたしたちがこの方の肉の肉、骨の骨となり、ちょうどわたしたちの体の諸部分が一つの魂によってそうされているように、わたしたちが一つの御霊によって永遠に生かされまた支配されるためなのです」。多様なキリストの身体なる教会が、御霊の支配のもとで、かしらなるキリストに向かってますます、いよいよ一つにされていく。花婿なるキリストと、花嫁なる教会が、あの創世記の人間創造におけるアダムとエバのように「わたしたちがこの方の肉の肉、骨の骨とな」っていくのです。このように私たちを頭なるキリストへと向かわしめ、その命にあずからせ、その命に生かすお方、それが主の晩餐において働かれる御霊なる神なのです(第54問参照)。「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。・・・その方は、あなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。・・・あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです」(ヨハネ14:16-19)とあるように、この御霊のお働きの中で、私たちはキリストの命にあずかって生きる者とされるのです。

(3)御言葉による約束
続く第77問では、このように明らかにされた主の晩餐の意義が、主イエス・キリストご自身の御言葉による制定、そこにおける命令と約束に基づいていることを明らかにしています。新約聖書における最古の聖餐制定文はIコリント11章23節から26節ですが、ハイデルベルクはこの箇所とともに冒頭に記した10章16、17節も引用してキリストの約束の御言葉としています。
 主イエス・キリストが定められた主の晩餐は、単にパンとぶどう酒を食するという飲み食いの儀式にとどまるものではありません。むしろそこで起こっているのは聖霊によって生けるキリストと一つに結び合わされるという命の交わりなのです。この意義を繰り返し覚えて、この身にキリストの命を刻む者でありたいと願います。最後にこの意義についてカルヴァンの記したジュネーヴ教会信仰問答の第353問によって確認しておきましょう。「問:私たちは聖晩餐のうちに、恵みのしるしを持つだけですか。それとも、事柄そのものが私たちのうちに明示されるのですか。答:私たちの主キリストは真理そのものであられますから、私たちに与えたもうた約束が同時に成就するとともに、象徴には実体を伴わせたもうということを、決して疑ってはなりません。ですから、御言葉としるしとによって証しされている通り、私たちが彼の本質にあずかる者とされ、こうして彼と一つなる命に合わせられることを私は疑いません」。

 



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