祈祷会
ハイデルベルク信仰問答講解37

 「また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取って食べなさい。これはわたしのからだです。』また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。『みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません』」(マタイ26:26-29)。

(1)洗礼と聖晩餐
今日の第28主日から、洗礼に続く聖礼典の二つ目、聖餐あるいは主の晩餐の礼典についての学びに入ります。洗礼の礼典は私たちにとって一回きりの経験ですが、主の晩餐は信仰生活の中で繰り返し行われるものですので、その意味についてもしっかりと学び取っておきたいと思います。
まず第75問の問いと洗礼の時の第69問の問いを比較しておきましょう。問75「あなたは聖晩餐において、十字架上でのキリストの唯一の犠牲とそのすべての益にあずかっていることを、どのように思い起こしまた確信させられるのですか」。問69「あなたは聖なる洗礼において、十字架上でのキリストの唯一の犠牲があなたの益となることを、どのように思い起こしまた確信させられるのですか」。ここには聖礼典における洗礼と聖晩餐の共通点と相違点とがよく現れています。共通点としてはいずれの礼典も「十字架上でのキリストの唯一の犠牲」のもたらす益を「思い起こし、確信させる」ものであることが示されており、相違点としては洗礼が「十字架上でのキリストの唯一の犠牲があなたの益となること」という最初的で一回的な経験であるのに対し、聖晩餐が「十字架上でのキリストの唯一の犠牲とそのすべての益にあずかっていること」というすでにそれに与っている継続的な経験であるということです。しかしさらに共通していることは、この「思い起こし、確信させる」ということが御言葉の約束に基づいていると言うことです。「キリストはご自身を記念するため、この裂かれたパンから食べ、この杯から飲むようにと、わたしとすべての信徒にお命じになりましたが、その時こう約束なさいました」とある通りです。

(2)聖晩餐の約束 ― 罪の赦し
では、この聖晩餐に込められた約束とは何でしょうか。ハイデルベルクはそれを二つにまとめていますが、その第一は罪の赦しということです。「第一に、この方の体が確かにわたしのために十字架上でささげられ、また引さ裂かれ、その血がわたしのために流された、ということ。それは、主のパンがわたしのために裂かれ、杯がわたしのために分け与えられるのを、わたしが目の当たりにしているのと同様に確実である、ということ」。ここでは聖晩餐において私たちがパンとぶどう酒を口にする時に、私たちのその食するという感覚が確かなのと同じだけの確実さで、そこに表される主イエス・キリストの十字架の死が、まことに私の罪の赦しのためであったことを確かな仕方で表わしているのです。このように聖晩餐は私たちが自らの罪が赦されていることを、それに与るたびごとに疑いない仕方で確認することができるようにと与えられている恵みの礼典なのです。

(3)聖晩餐の約束 ― 永遠の命の獲得
 さらに第二のことは、この聖晩餐が永遠の命の獲得の約束であるということです。「第二に、この方御自身が、その十字架につけられた体と流された血とをもって、確かに永遠の命へとわたしの魂を養いまた潤してくださる、ということ。それは、キリストの体と血との確かなしるしとしてわたしに与えられた、主のパンと杯とをわたしが奉仕者の手から受けまた実際に食べるのと同様に確実である、ということです」。
 主イエス・キリストはヨハネ福音書の中で次のように語られました。「イエスは彼らに言われた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。モーセはあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。しかし、わたしの父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになります。というのは、神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。』そこで彼らはイエスに言った。『主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください。』イエスは言われた。『わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。しかし、あなたがたはわたしを見ながら信じようとしないと、わたしはあなたがたに言いました。父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行なうためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行なうためです。わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます」(ヨハネ6:32-40)。
 このように、主イエスはかつて荒野でイスラエルが天からのマナによって養われ命を保たれたように、ご自身が永遠の命を与えるパンであると語られました。まことに聖晩餐は主イエス・キリストが十字架の贖いを通して私たちに永遠の命の祝福を勝ち取ってくださったことの確実な約束として私たちの前に差し出されているのです。

 



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