祈祷会
ハイデルベルク信仰問答講解33

「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです」(Iペテロ1:23)。

(1)聖霊による信仰
 これまでの使徒信条の解説に続いて、今日の第25主日から第31主日までは教会に与えられた務めである「聖礼典」として「聖礼典とは何か」「洗礼の礼典」「主の晩餐の礼典」が取り上げられ、続いて「鍵の権能」すなわち教会訓練の問題が取り上げられる箇所です。  
信仰によって義とされるという義認の教理を確認した後に、今度は、第65問でその信仰がどのようにどこから来るかとハイデルベルクは問います。ともすると私たちは、信仰とは私の心の内から起こる決断のように思いがちですが、むしろそれは私たちの「外から」もたらされるものと説明されます。「聖霊が、私たちの心に、聖なる福音の説教を通してそれを起こし、聖礼典の執行を通してそれを確かにしてくださるのです」。ここにはまず重要なことが二つ述べられています。第一のことは、信仰とは聖霊が私たちの心に起こしてくださるものだということです。パウロはエペソ書の中で言いました。「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは自分自身からでたことではなく、神からの賜物です」(エペソ2:8)。また宗教改革者たちは、この信仰の消息を「私たちの外」でなされたキリストの贖いの御業は「私たちのため」に与えられ、聖霊によって「私たちの内」に働くと教えたのです。ですから私たちは人の救いのために、聖霊が働いてくださるようにと切に祈らなければならないのです。
第二のことは、この聖霊の働きは「聖なる福音の説教」を通して信仰を起こし、「聖礼典の執行を通してそれを確かに」するということです。聖霊は福音の説教を通して信仰を起こされるというこの指摘は重要です。宗教改革者ルターは、ローマ書10章の「信仰は聞くことから始まる」(ローマ10:17)をドイツ語に翻訳するにあたり「信仰は説教から」と訳しました。ルターはここで御言葉を聞くという経験を個人的なものとしてではなく、あくまでも教会的・礼拝的な経験として捕らえているのです。ですからハイデルベルクがここで単に「聖書」「御言葉」と言わず、「福音の説教」と言うところにも、教会というものの決定的な位置が示されているのです。私たちは信仰を教会における説教を通して与えられるのです。いわば聖書は教会の書であり、教会において読まれ、語られ、聞かれるものなのです。

(2)しるしと封印としての聖礼典
 第65問で聖礼典を「信仰を確かにして下さる」ものと示したのを受けて、第66問ではさらにそれが「目に見える聖なるしるしまた封印」であると説明されます。「しるし」、「封印」は英語でそれぞれ「サイン」と「シール」と訳される言葉で、聖礼典の意義をよく表しています。そこでは私たちがすでに受けている福音の約束の中身が保証されているのです。すなわち「十字架上で成就されたキリストの唯一の犠牲のゆえに、神が、恵みによって、罪の赦しと永遠の命とを私たちに注いで下さる」という約束が、確かに私たちに受け取られていることの「受け取りサイン」であり、またそのような約束が与えられていることをもってそれが二度と破られることのないように、内容を保証する封印が押されているのです。ここには私たちが救いの確かさをどこに求めるべきかという問題に対しても、その答えを求める道筋が教えられています。私たちは救われてなお、時に信仰の迷いや救いへの疑いが生じることがあります。しかしそのような時に、私たちは自分の救いの確かさを自分自身の心の在り方や信仰の熱心に求めるのではなく、神がイエス・キリストを通して与えて下さった信仰を確証させて下さる聖霊と、その聖霊が示しておられる御言葉の説教に聞き、聖礼典にあずかるという仕方でこれを確かなものとすることが出来るのです。ここに信仰が主観的な認識ではなく、御言葉と聖礼典を通しての聖霊による確証であるという理解が示されているのです。

(3)御言葉と聖礼典が指し示すキリスト
続く67問では「御言葉と礼典というこれら二つのことは、私たちの救いの唯一の土台である十字架上のイエス・キリストへの犠牲へと、私たちの信仰を向けさせるためにあるのですか」との問いに対して、「その通りです。なぜなら、聖霊が福音において教え、聖礼典を通して確証しておられることは、私たちのために十字架上でなされたキリストの唯一の犠牲に、私たちの救い全体がかかっている、ということだからです」と答え、私たちのうちに信仰を起こす御言葉の説教と、福音の約束のしるしまた封印としての聖礼典とはあくまでもキリストを指し示すものだという、この一点に集中しています。
 これがキリストの御業から切り離されて、その儀式行為自体に救いの力があるかのように考えたカトリックの秘跡理解に対して、宗教改革はその本来の意味を取り戻したのです。第68問でわざわざ新約時代に主イエス・キリストが定められた聖礼典が二つであると確認するのもそのような理由によっています。私たちも洗礼の恵みに与り、主の晩餐の礼典にあずかる度毎に、この贖い主イエス・キリストに「私たちの救い全体がかかっている」という恵み深くまた厳粛な事実を深く心に受けとめるものでありたいと願います。

 



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