祈祷会                             
ハイデルベルク信仰問答講解27

 「ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません」(マタイ16:18)。

(1)教会の選び
 今日取り上げる第21主日の第54問は、教会についての教えを語る数多くの表現の中でも最も簡潔かつ重要な文言と言われています。そこで今晩は、「聖な公同の教会」について考えておきたいと思います。
 「教会」(エクレーシア)という言葉は「呼び出された者」「召し出された者」の群れ、ということです。この選びは「全人類の中から」「永遠の命へ」の選びであり、召しです。かつて神はアブラハムを召し、彼との間に契約を結び、それをもってアブラハムとその子孫であるイスラエルの民、さらにはイスラエルを基とした全世界にあるご自分の民に対して祝福を賜るとお約束下さいました。この神のお約束は御子イエス・キリストにおいて成就し、今まさに私たちは主イエス・キリストの贖いの故に神の子とされています。それは私たちの側に選ばれ、召し出されるに値する何物かがあったゆえでなく、神の自由なる恵み深い御心によったことでありました。このように神は主イエス・キリストにあって私たちを選び、召し出して、キリストにあって一つにお集めになられる。ここに教会の根拠があると言えるのです。

(2)教会の結集とその手段
 このようにして選び出され、召し出された主イエス・キリストの群れは「御自分の御言葉と御霊とにより、まことの信仰の一致において、世の初めから終わりまで集め、守り、保たれる」と教えられます。ここでまず重要なのは、主イエス・キリストがご自分の群れを治めるにあたって用いられる手段が「御言葉と御霊」であるということです。ヨハネ福音書の中で主イエス・キリストは次のように語られました。「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにいのちを捨てます。わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです」(ヨハネ10:14-16)。
 主イエス・キリストが御自身の民を御自身の御声をもってお呼びになる。そこに教会統治の原則があるのです。しかも主イエス・キリストは同じヨハネ福音書で、次のようにも語られました。「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせて下さいます」(ヨハネ14:26)。ここには聖霊なる神のお働きが、私たちのうちに主イエス・キリストの御心を明らかにするものであることが教えられます。主イエス・キリストが御自身の教会に御言葉をもって語りかけられ、聖霊が御言葉と共に働いて下さる時、そこに立つ教会はまことに主イエス・キリストの教会としていずこからでも呼び集められ、いかなる時にも守られ、そして世の終わりまで保たれるのです。
(3)教会と神の国の希望
 主イエス・キリストにあって召され、御言葉と御霊によって呼び集められ、守られる教会は、世の終わりまで保たれるのですが、そこには明確な目標が見据えられています。この地上の教会の目標、ゴールはどこにあるのか。それは神の御国の完成の時であります。 これについてもハイデルベルク信仰問答に沿って見ておきたいと思いますが、第123問の主の祈りの解説の中で次のように言われます。「問:第二の願いは何ですか。答:『御国を来たらせたまえ』です。すなわち、あなたがすべてのすべてとなられる御国の完成に至るまで、私たちがいよいよあなたにお従いできますよう、あなたの御言葉と御霊によって私たちを治めて下さい。あなたの教会を保ち、進展させて下さい」。この123問と先の54問を併せて読むならば、教会が今ここで保たれるばかりでなく、神の国の完成を目指して進展し続けていく神の国の歴史を担う存在であることに気付かされます。
 教会において主イエス・キリストの御言葉が語られ、聖霊が働かれてそこに神の救いの御業が起こる時、教会はこの地上の只中にあって、創造から終末へと貫かれる神の大いなる救いの歴史の最先端に立っており、ちょうど波をかき分けて進む船の舳先にあって、先へ先へと歴史を切り開いて進むのです。目標があるということは、そこに果たすべき使命があるということでもあります。では教会が神の国の実現に向かって果たすべき使命とは何か。それが教会を通しての福音宣教の御業なのです。

(4)キリストのからだ
 この主イエス・キリストの教会に、「私」は一体どのように関わるのでしょうか。信仰問答は続けます。「そしてまた、わたしがその群れの生きた部分であり、永遠にそうあり続ける、ということです」。ここには教会がキリストの生きたからだであり、私がそのからだの部分であると教えられます。聖書の中には教会を表す数多くの表現がありますが、その中で最も重要なのがこの「キリストのからだ」としての姿です。パウロは書簡の中でこのことを繰り返し語っています。「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです」(Iコリント11:27)。
 さらにパウロは私たちが一度このキリストのからだに結び合わされたのなら、それが最後まで全うされることをも教えています。「主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に、責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました」(Iコリント1:8-9)。一つの生きた体の中に加えられ、その器官としてかしらなるキリストのために奉仕する。そこに教会に仕える私たちの姿があるのです。

 



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