祈祷会
ハイデルベルク信仰問答講解20

「イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです」。(ヘブル2:9)

(1)キリストの死と葬り
今日取り上げます第16主日は、使徒信条の「死にて葬られ、陰府に下り」の部分の解説です。まず第40問から第42問でキリストの死と葬りの意義が問われ、第43問ではそこから私たちが受ける益が問われ、第44問ではキリストの陰府下りの意義が問われています。キリストの死と葬りの意義を問う最初の三つの問いは「なぜ」「なぜ」「どうして」と問われます。教理問答の問い方は、その問いによってどのような答えを導き出すかが十分に考え抜かれた言葉によって決められていますが、この「なぜ」「どうして」という問いは、単にキリスト教の教理内容を覚えさせること以上に、それを問われた者自身が、自分自身の中で真剣に問い直し、その意味を受けとめることを求めるものです。
 第40問はキリストの死の意味を扱っていますが、これはすでに内容的には第12問から第18問、直前の第37問から第39問で論じられたことの繰り返しです。しかしそれがここでは新しくキリストが死を苦しまれたこと、それが神の義と真実のゆえであったと説明されるのです。ハイデルベルクがキリストが単に「死なれた」と言わず、「死を苦しまれた」というのは独特な表現です。死を苦しまれたとは、言い換えれば神の裁きとしての死、呪いとしての死を苦しまれたということです。ではこの裁きとしての死は何処から来たのか。それは引証聖句にある創世記2章17節にはエデンの園における神と人間との契約とその破棄によってもたらされたのです。善悪の知識の木から取って食べる時、「あなたは必ず死ぬ」と神は言われました。そして事実人間はその実を食べた。そこに死が入り込んだのです。神は御自身の義と真実のゆえにこの裁きとしての死を取り除くことは出来ない。そこで神の御子の死による償いが起こったのです。従って第41問で語られる御子の葬りは、まさしくキリストの死が、そのための死であったことを根拠付け、強調するための設問に他なりません。

(2)キリストの死と私たちの死
 ところがこの御子の償いの死によって、その死に与る私たちの死に大きな変革がもたらされたことが教えられます。第42問「キリストが私たちのために死んでくださったのなら、どうしてわたしたちも死ななければならないのですか」。これはまるで幼子が問う問いかけのようにも聞こえますが、それでいて実に重要な問いであると言わなければなりません。キリストが裁きとしての死、呪いの死を引き受けて下さったのなら、もはや私たちの死は取り除かれてよいのではないか。なのに依然として私たちが死ぬのは何故なのか。ハイデルベルクはここでキリストの死によって私たちの死の意味がもはや決定的に変えられていることを教えます。「わたしたちの死は、自分の罪に対する償いなのでなく、むしろ罪との死別であり、永遠の命への入り口なのです」。私たちの死はもはや裁きや呪いではない。それはすべてキリストが担って下さったのであり、しかもキリストが死者の中から初穂として復活して下さったことにより、すでに死は勝利に飲まれているのです(Iコリント15:20-58)。
 キリストの死に与る私たちの死は罪との死別であり、永遠の命への入り口である。カルヴァンはジュネーヴ教会信仰問答で「今や信仰者にとっては、死はもっと良い生に移る通路にほかならない」と語りましたが、これは福音の最も大きな慰めであると言えるのではないでしょうか。洗礼の恵みの最大の意義はここにあると言えるでしょう。ローマ書6章に次のようにあります。「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。死んでしまった者は、罪から解放されているのです。もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい」(ローマ6:4-11)。
 人間にとって最大の問題は死とどのように向き合うか、と言うことでしょう。死に対する解決を得ることが出来るか。出来るとすればどのようにか。これは誰しもが問わざるをえない真実な問いです。しかしその答えがキリストにあると聖書は語り、その真実を教理問答が証ししているのです。かつてナチス・ドイツに抵抗したドイツの偉大な神学者ディートリヒ・ボンヘッファーは、ナチへの反逆罪に問われてドイツ降伏の数日前に処刑されるにあたり、囚人仲間の一人に次のように語ったと言われます。「私にとってはこれが最後ですが、また始まりでもあります」と。

 



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