祈祷会
ハイデルベルク信仰問答講解10

 「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである」(申命記6:4)。キリスト者が信じるべき信仰の内容として使徒信条が掲げられましたが、今日の第8主日の問答はその内容を区分すると同時に、使徒信条の全体を規定している三位一体の教えが簡潔に述べられる所です。

(1)使徒信条の三区分
今日の第8主日から、使徒信条の解説が始まります。まず第24問では「これらの箇条はどのように分けられますか」と問われ、「三つに分けられます。第一に、父なる神と、わたしたちの創造について、第二に、子なる神と、わたしたちの贖いについて、第三に、聖霊なる神と、わたしたちの聖化についてです」と答えられます。キリスト教信仰の告白の中心は何かと問われれば、それは二つのことであると言うことができるでしょう。一つは「イエスは神であり人である唯一の救い主である」とキリストの二性一人格についての告白、もう一つは「父、子、聖霊の三つにして一つなる神を信ず」という三位一体の神についての告白です。極言すれば教会の教理はこの二つの告白を堅く保つことを巡って形成されてきたと言ってもよいほどなのです。教会の作り上げてきた信条は、二つの主要な教理を整備することにおいて大きな貢献を為してきました。いわゆる「公同信条」と呼ばれる四つの信条(使徒信条、ニカイア信条、カルケドン信条、アタナシオス信条)はいずれもこの点を教会の教理を整えて来たのです。
 
(2)創造・贖い・聖化
古くから三位一体の教えはキリスト教信仰最大の奥義、最重要の教理として扱われてきました。伝統的に三位一体の教理は神の存在の在り方からの説明(本体論的三位一体)と歴史における働き方からの説明(経綸的三位一体)の二通りの仕方で説明されてきましたが、ハイデルベルクはここで後者の方法によって父・子・聖霊の三区分を説明します。すなわち私たちの創造、贖い、聖化という区分です。ここには三位一体の神の各位格が私たちの救いにとってどのようなお働きを為して下さるかが示されます。父なる神様は私たちの創造において働き、御子イエス・キリストは私たちの贖いにおいて働き、聖霊なる神は私たちの聖化において働かれるというのです。
 もちろん、三位一体の神様は唯一のお方ですから、これらの働きは各位格に固有の独立したお働きと言うことではありません。古代教会は三位一体について次のような説明をしました。「三位一体の神の内なる業は分かたれる。三位一体の神の外なる業は分かたれない」。つまり、永遠の神の存在においては三位格はそれぞれ固有な存在の様式を持ちつつ、それが歴史において働かれる時には三位格は一つの神の業としてなされるのです。これを位格の「相互内在」(ペリコレーシス)と呼びます。しかし三位一体の神は救済の歴史において「創造は主として父に、贖いは主として御子に、聖化は主として聖霊に」と言われるべき仕方で働かれるものなのです。このような説明を「充当」(アプロプリアチオ)の教理と呼びます。つまり創造においても父・子・御霊は働かれ、贖いにおいても、聖化においてもそうであるのですが、その上で「主として」各位格の働きがあるというのが正しい理解の仕方と言えるでしょう。三位一体の神様が総掛かりで私たちの「創造・贖い・聖化」という救いの御業に取り組んでいて下さる。それが三位一体の教理の勘所であります。
 しかしながら、使徒信条の本文を見てみると、父、子、聖霊への告白は同じバランスではなく、むしろ内容においても分量においてもその中心はイエス・キリストとその御業にあることに気付きます。ここに、私たちが三位一体の神について考える道筋が示されていると言えるでしょう。私たちが三位一体の神を告白するのは、あくまでも「イエスは主である」という告白からの道筋であると言うことです。私たちは父なる神を、主イエス・キリストの父なる神として信じ、聖霊なる神をイエス・キリストの霊として信じるのです。歴史において救いの御業を為したもうた主イエス・キリストからすべてを捕らえて行く時に、主イエス・キリストを私たちに賜った父なる神と、挙げられた主イエス・キリストから遣わされた聖霊なる神についての告白が生み出されてくるのです。

(3)啓示による知識
 では、このようにして三位一体の神を私たちは告白できるのは一体なぜなのでしょうか。あるいは、私たちはいかにして三位一体の神を知ることができるのでしょうか。第25問は次のように述べています。「ただ一人の神がおられるだけなのに、なぜあなたは父、子、聖霊と三通りに呼ぶのですか。答 それは、神がご自身についてそのように、すなわち、これら三つの位格が唯一まことの永遠の神であると、その御言葉において啓示なさったからです」。
 ここには私たちが語りうる最大限の言葉があります。すなわち私たちが神を父・子・御霊の三つにいまして一人の神と告白するのは、それが御言葉において啓示されたゆえであるというのです。三位一体の神を認識させるのは啓示による知識のみです。それは私たちの側からの類推や地上にある諸現象からの類比によっては辿り得ない啓示による知識なのであり、私の救いはいかにして成り立つのか、という信仰の論理によってのみ理解しうる知識なのです。この問いから離れていくら三位一体を理解しようとしても、それらは単なる言葉の遊びや思弁に終わってしまいます。私たちに必要なのは救いの知識なのであり、そこにおいては、神を父・子・御霊の神、三つの位格を持つ唯一まことの永遠の神であると告白するほかないのであります。
 ですから、ハイデルベルクも三位一体が非常に重要な教理であるにもかかわらず、それについてはこれ以上述べることをせず、すぐに父なる神についての教えに進んでいきます。そこにはある信仰のわきまえが存在するのであり、御言葉によって知らされたところまではどこまでも進み、御言葉が沈黙するところではどこであっても立ち止まるという姿勢が貫かれているのです。

 



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