五十音順主題説教その11   2020/08/02
『幸い』

マタイ5:1-11
 
 8月に入りました。ずいぶんと延びてまだまだ明るい夏の夕べ、今日も朝からここまでの礼拝の一日が守られ、再び主の御前に集って礼拝をおささげできる恵みを感謝します。今晩も主の御言葉から力を得て、一週の歩みをスタートしてまいりましょう。

(1)「幸い」ということ
 五十音順主題説教も今日から「さ」行に入ります。そこで今日取り上げるのは「幸い」です。聖書が語る「幸い」とは何か。それをもっともよく表しているのが、マタイ5章から始まる主イエスの「山上の説教」の冒頭で語られた幸いの教えです。3節から11節を読みます。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです」。
 しばらく中断してしまっているのですが、昨年の冬からこの春先まで週に一度、「シニア聖書の会」ということで七十代の壮年方と聖書の学びを続けて来ました。その際に、この山上の説教の「八つの幸い」から毎週一つの「幸い」を取り上げて、それについて語り合うということをしてきました。最初に一読しての感想を伺うことから始めるのですが、第一回の「心の貧しい者は幸い」の時から、毎回皆さんの反応は「うーん、むずかしい」、「よくわからない」という率直なものでした。むずかしいというのはもちろん言葉のことでなく、そこで語られる内容、思想のことです。私はその反応は至極当然のものであり、またとても大切なものです、と申し上げてきました。簡単に「わかった」と言ってしまってはならない、言うことのできない、そういう言葉がここにある。その異質感、その違和感を大事にしていただきたいと思うのです。
 確かに、ここで主イエスが語られる「幸い」は、私たちにとって驚くべきものです。貧しく、悲しみ、飢え渇き、迫害される人のどこが幸いなのか。むしろそれは不幸な姿であり、そのような状態から脱することこそが幸いなのではないか。それは人間にとって当然の感覚であり、また欲求でもあります。しかし主イエスはこの山の上で、御許に集まってきた一人ひとりに向けて、地上の国の価値観に対して、神の国の価値観を示される。示されるだけでなく、このような生き方こそが幸いだと言われる。それは私たちに対する大きなチャレンジです。それは私たちの考える幸せの延長線上に現れるものでなく、私たちの追求する幸いのより高いレベルに現れるものでもなく、私たちが期待する幸いを上書きするようなものでもありません、それはまったく新しい生き方への招きなのです。
(2)主イエスとともに生きる幸い
 主イエス・キリストが語ってくださった幸い。それは地上の幸いを越えた神の国の幸い、神の民として生きる祝福の言葉でした。私たちはこの地上に生きつつも、すでに神の国の民とされ、神の国の価値観に生きるものとされた。そこでは私たちの幸・不幸の基準、祝福と災いの基準も新しくされ、神の国の幸いと祝福に生きる者とされている。その現実を主は私たちに示してくださいました。
 では、この幸いに生きるにはどうすればよいのでしょうか。ヨハネ福音書15章4節、5節で主イエスはこう言われました。「わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです」。
 まことの幸いに生きる人生、それは主イエス・キリストに結び合わされ、主イエス・キリストにとどまり続け、主イエスとともに生きる人生です。それは主イエスのいのちの言葉にとどまり続け、主イエスの十字架の愛の中にとどまり続けることです。そしてそれは主イエスのからだなる教会の交わり、礼拝の交わりにとどまり続けるということです。主イエスにある交わりから離れては私たちは何もすることができないと主は言われるのですが、私たちはしばしば御言葉から離れても、教会の交わりから離れても、主イエスから離れてもそれですぐにどうこうなるわけではない。それほど一生懸命にならずとも、ほどほどのところでよい、などと考えてしまうときがあるかもしれません。でも本当にそうでしょうか。主イエスとの交わり、主イエスにある交わりから離れて行くとき、私たちの魂は少しずつダメージを受けていく、私たちの身体と魂は少しずつ英気を失っていく。私たちの幸いの基準がちょっとずつずれていく。それは小さいものであってもしかし確実に私たちの健やかな霊性を衰えさせ、傷つけていくのです。
 私たちは今夜、今一度、まことの幸いに生きる道は、主イエス・キリストとともに生きる道だということをはっきりと確信させていただきたいと願います。そして私たちの生活が永遠に揺るぐことのない確かな神の言葉によってこそ導かれていくことを確信する者でありたいと願います。



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