五十音順主題説教その10  2020/07/26
『ことば』

イザヤ55:10-11
 
 7月第四の主日も、早朝から夕べまで礼拝の一日を過ごしてくることができました。朝に夕に礼拝をささげ、御言葉に聴き続ける生活を、様様な困難さや制約がある中でも続けられていることを感謝します。今晩も主の御言葉に耳を傾け、豊かな養いを受けて、歩み出してまいりましょう。

1.「ことば」ということ
 今晩は五十音順主題説教の第十回、か行の最後で「ことば」です。「ことば」。これもまたとても大きなテーマです。キリスト教信仰の本質に関わるものです。「ことば」は大切な伝達手段です。何かの情報を伝えるのみならず、何かの考え、思想を伝える道具であり、またさまざまな感情を表現する手段でもあります。「ことばに言い表せない」思いがあっても、それを「ことばで言い表せない」ということばにすることで、そこに込められた思いが伝わるということもあるのです。また「ことば」はコミュニケーションの手段です。人と人との間に橋を架ける大事な手段としての「ことば」の役割を私たちは知っています。
 そもそも神はことばをもって語られるお方です。聖書の最初の書物である創世記は、天地万物の創造の出来事を「神は仰せられた。『光、あれ。』すると光があった」と語り始めます。ヨハネ福音書は「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」と語り、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である」と語って、神の語りかけることばが人となって私たちのもとに来てくださったのが、神の御子イエス・キリストであると証言しています。この御子イエス・キリストを私たちに証しすることばを伝えているのが聖書です。神は御自身の救いの御心を、聖書を通し、ことばを用いて伝えてくださっているのです。「聖書は、わたしについて証ししているものです」とヨハネ福音書5章39節で主イエス御自身が言っておられるとおりです。
 それだけに「ことば」を失うことの危機、ことばが通じないことの危機、ことばが軽んじられ、空虚にされていくことの危機ということも私たちは覚えます。神がことばをもって語ることをやめて沈黙なさるとき、人は大いなる危機を経験してきました。神が人間同士のことばが通じないようにされたとき、人は大いなる混乱に陥りました。人がことばを軽んじ、空虚なものにしていったとき、聖書は「ことばや口先でなく、行いと真実によって」と呼びかけてことばの内実を回復させようとしてきました。私たちが思う以上に、私たちにとって「ことば」は生きるためになくてならないものなのですが、しかし他方で、今、私たちの生きている時代は「ことばの危機」を経験しています。溢れるようなことばの中に身を置きながら、しかし本当に必要なことばを聴くことができない。預言者アモスがこう語る通りです。「見よ、その時代が来る。神である主のことば。そのとき、わたしはこの地に飢饉を送る。パンに飢えるのではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことの飢饉である」。

2.神のことばの確かさ
 「ことばの危機」とは、ことばの確かさが揺らいでしまっていることに原因の一つがあるでしょう。古くから「言行一致」などと言われるように、ことばと生き方の一致していること、言っていることと行っていることが矛盾していないことは、人の責任ある生き方として大切なことでした。できもしないことを言う「大言壮語」は聖書も戒めていることですし、嘘、偽り、虚言、中傷、誹謗などことばによって人を傷つけることは、人の命を奪うことと等しいと言われます。ところが今、私たちの社会を見渡してみると、公然と人の尊厳を踏みにじる憎悪剥き出しのことばが吐き出され、言い逃れや言い繕いによって嘘や偽りが押し通されていくことで、ことばはとことん貶められ、踏みにじられ、ますます信頼が揺らいでしまっているのです。
 そのような中でことばを回復するためにも、私たちはまず何よりも神のことばの確かさに立ちたいと思うのです。今晩開かれているイザヤ書55章で、主なる神は預言者を通して御自身のことばの確かさをはっきりと示していてくださいます。10節、11節。「雨や雪は、天から降って、もとに戻らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種蒔く人に種を与え、食べる人にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる」。神のことばこそ、文字通り「言行一致」、また「有言実行」のことばです。神が語られるということは、必ずそれが成し遂げられることを含んでいます。神が語られたことは、神がそのことばにとことん責任を負ってくださるということです。
 とりあえず言ってみたという言い訳はしない。できもしないことは言わない。言ったことばに責任を持つ。言ったことは必ず実行する。どれもこれも当たり前のことのようですが、しかしそう聞いて新鮮に思うほどにことばが揺らいでしまっている今、あらためてこのようなことは実は人間には決して言い切ることのできないものだということをも痛感します。私たち限りある存在である人間のことばには、やはり限界があるのです。どれほど真実なことばと思って語ってみても、私たちのことばには100パーセントの真実と言えるものはなく、絶対も完全もないのです。だからこそ私たちは神のことばの確かさに立たなければならない。まことのいのちのことばに聴き続け、そのことばによって生かされていることが必要なのです。決して裏切らないことば、決して潰えないことば、けっして空しく地に落ちることのないことば。「わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる」。この真実なことばに生きる私たちでありたいと願います。そのためにも日毎に主の御声に聴き続けていく今日からの日々を送ってまいりましょう。3節。「耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる」。

 



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