五十音順主題説教その3   2020/06/07
『歌』

コロサイ3:16
 
 6月第一の主の日も夕べまで守られて来ました。今晩も主の御言葉によって養われて礼拝の一日を締め括り、御言葉から力をいただいて明日へと送り出されてまいりましょう。

(1)歌う喜び、力
 五十音順主題説教の第三回の「う」は「歌」です。歌、そして歌うこと。これは私たちの信仰の営みにおいて最も身近なことでしょう。教会に来て始めてするようになったことは、祈るよりも前に歌うことと言ってもよい。私の友人に大学時代に初めて教会に行き、その後、信仰に導かれて洗礼を受け、今は牧師になっているという方がいるのですが、彼が生まれて初めて教会に行ったときに驚いたのは、皆が歌っている姿だったと言います。それまでの人生の中で、日曜の朝から皆が大きな声で歌うような経験などまったくなかった彼にとっては老若男女が歌う姿は驚きで、その後、礼拝に集い続けるようになってからも、讃美歌を歌うのは苦手だったと言います。そんな彼が今では牧師になって、毎週、皆の先頭を切って讃美歌を歌っているのですから、神さまのなさることは不思議です。
 新型コロナの影響で教会に集まることが出来なくなって二ヶ月あまり、色々とつらいことがありますが、一番つらいと感じるのは、皆で一緒に力一杯賛美をささげることができないということです。集まる礼拝が再開しても、しばらくはやはり大きく声を挙げて歌うことはしばらく控えなければならないと思いますが、教会から賛美の歌声が絶えるというのはつらいことだとつくづく感じます。もちろん賛美を止めたわけではない。今も教会は歌い続けているのですが、それでもやはり毎週の教会学校での子どもたちの歌声、礼拝での賛美、プレイズタイム、聖歌隊の練習の歌声、夕拝での賛美。そうしたものが早く取り戻されるようにと祈り願う日々です。そして、そのような日々を過ごしてみてあらためて思うのは、歌う喜び、歌う力ということです。出エジプト15章2節。「主は私の力、また、ほめ歌。主は私の救いとなられた。この方こそ、私の神、私はこの方をほめたたえる」。ここで「主は私のほめ歌」との言葉が響きます。神を歌うことは神御自身の存在の有り様にかなった、私たちの信仰にとっての根源に関わる本質的なことなのです。
 
(2)キリストのことばが
 神を歌うということで、今晩与えられているコロサイ書3章16節に聴きたいと思います。「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知識を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい」。讃美歌で大切なのは何と言っても「ことば」です。何が歌われるかが決定的に重要です。それとともに、それが私たちの内側から出てくることが大切でしょう。もちろん賛美は神さまが私たちの口に授けてくださるものでもあるのですが、しかし私たちが単に口先だけでうわべだけの賛美を歌うことはできません。キリストのことばが私たちのうちに豊かに住まわれる。私たちが神を歌う賛美の器とされていく。それは私個人の有り様というよりも、ここで御言葉が示すのはキリストのからだなる教会の有り様です。かつて「歌う教会」ということを学んだ折に、次のように申し上げました。
 「教会がいつでも不平や不満、冷ややかな空気に満ちているならば、そこでは心からの感謝の歌声は上がりません。教会がキリストを恐れ尊ぶことをせず、人間の思いや考えに支配されているならば、いくら麗しい言葉で巧みな声で賛美しても、ただ人間同士の慰めや自己満足の歌に過ぎません。教会が主に従うように互いに従うことをせず、互いに対立したり、比べ合ったり、批判し合ったり、へりくだることを忘れて互いに挑み合い、そねみ合って、愛し合い、仕え合い、支え合うことがないならば、一緒に礼拝の場にあって賛美の声を上げていても、そこ心がバラバラであるなら主に対して本当に心一つに賛美をささげることはできません。教会が歌う教会、神をほめたたえる群れであるということは、このように教会の内側が深く主の御前に取り扱われることの、目に見える表れなのであって、それは人間の技術で取り繕うことのできないものです。その意味で言えば、その教会が本当に神に感謝し、キリストを畏れ敬い、御霊の一致をいただいている教会であるかどうかは、礼拝の賛美において証しされるといっても過言ではないでしょう」。

(3)詩と賛美と霊の歌
 最後に「詩と賛美と霊の歌」という表現に注目しておきたいと思います。これと同じ表現はエペソ書5章19節にも出てきます。「詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい」。「詩と賛美と霊の歌」。これだけ読んでも、初代教会における賛美がいかに豊かでバラエティに富んでいたかが想像できます。私自身も、教会での賛美はできるだけ多様であることが大切だと思います。教会によっては「賛美はこうあるべき」、「このように歌うべき」、「こういう歌であるべき」という強い確信を持つところもあり、それはそれでそれなりの歴史や伝統、神学があるゆえですが、同時に様々な賛美の伝統の豊かさを重んじ、しかも「新しい歌を主に歌え」と呼びかける御言葉にも応答しながら、様々な賛美を歌うことで、その豊かさが私たちの信仰を育んでくれることを実感しています。
 ここで「詩と賛美と霊の歌」と呼ばれているのも、当時の教会が礼拝や様々な集いにおいて歌っていた賛美のことを指しているといわれ、「詩」は旧約の詩篇のこと、「賛美」は初代教会で歌われた賛美歌、たとえばピリピ書2章や二テモテ2章などが私たちにも伝えられています。そして「霊の歌」とは、礼拝の中で聖霊に導かれ、心動かされて自然とわき上がる即興的な歌のことと考えられています。当時の教会の礼拝では、それほど明確な礼拝プログラムがあったわけではありませんし、歌う賛美の順番が決まっていたのでもありませんから、会衆は聖霊の自由に導かれるままに、信仰の応答として賛美の歌を歌ったのでしょう。映画『天使にラブソングを』や『ブルースブラザース』などに出てくる黒人教会の賛美の光景などはこれに通じるかもしれません。牧師と信徒が「コールアンドレスポンス」を繰り返しながら、どんどん霊的に高揚していく歌い出す姿などはまさに「霊の歌」というものでしょう。歌うことは教会のいのちです。上手に歌うことや整えられた賛美も大切ですが、しかし皆が主を喜んで歌うことを何よりも主が喜んでくださり、その賛美の中に住んでくださる。歌う信仰、歌う教会、歌う私たちとして今日も主を歌います。

 



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