シリーズ「福音に生きる」その14   2014/11/23
『キリストに結ばれて』

ローマ6:1-8

 11月第三の主の日を迎えました。いよいよ来週から今年の待降節、アドベントに入ります。忙しさに終われて、大切なことを見失いがちな私たちですが、ひととき心を静めて、暗闇の世にまことの光として来てくださった神の御子イエス・キリストを喜んでお迎えする、そのような心の備えをさせていただきたいと願います。この朝も、愛する兄弟姉妹の皆さんに主イエス・キリストの豊かな祝福がありますようにと祈ります。

(1)救いの全体としてのキリストとの結合
 この夏から朝の礼拝では、「福音に生きる」というシリーズで御言葉に聴き続けて来て、いよいよ大詰めを迎えています。来週からはアドベントに入りますので、クリスマスの御言葉に聴いて、今年最後の礼拝でこのシリーズを終えたいと考えています。そこでこの朝に御言葉から聴こうとしているのは、私たちが御子イエス・キリストと一つに結び合わされること、教理の言葉で言う「キリストとの結合」ということです。「キリストとの結合」というと、ずいぶん耳慣れない言葉に聞こえるかもしれません。これまで救いの教理として、神の御子イエス・キリストが十字架にかかって私たちの身代わりとなって死んでくださり、三日目に死人の中から復活されたことによって、私たちの罪を赦し、永遠のいのちを勝ち取ってくださったこと、聖霊によって私たちにこのキリストの義がもたらされ神の御前に私たちが義と認められたこと、罪の奴隷の状態から解放されて、神の子ども、自由の子どもとされたこと、キリストの聖さに与って、聖霊によってキリストに似た者へと変えられて行くこと、そしてついには救いの完成として、朽ちることのない栄光の姿に変えられて行くことを教えられてきました。
 今日取り上げる「キリストの結合」というのは、これらの義認、子とされること、聖化、栄化のすべてを包み込むもの、救いの全体を言い表しているものなのです。ローマ書6章5節をお読みします。「もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです」。このローマ書6章は、私たちがキリスト・イエスと一つに結び合わされる恵みを教えるところで、私たちが洗礼について学ぶときに必ず開かれる御言葉です。ローマ書6章を読んでいきますと「キリスト・イエスにつく」、「キリストにあずかる」といった表現が繰り返されていることが分かります。そしてその極めつけのようにして語られるのが、今日の5節に出て来る「キリストにつぎ合わされる」という表現なのです。パウロはこのように「接ぎ木」のイメージを用いながら、そこに主イエス・キリストとの私たちとの間に生まれるいのちの交わりを生き生きと描き出しているのです。
 しかしこのことはパウロが独自に生み出した教えではなく、むしろ主イエス・キリスト御自身が語っておられたことでもありました。ヨハネ福音書15章4節、5節。「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです」。さらに同じヨハネ福音書15章9節で「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい」と語られているとおりです。父なる神、御子イエス・キリスト、聖霊なる神の三位一体の御存在において示された愛の中に、私たちもまた固く結び合わされているのです。

(2)キリストとの結合の恵み
 キリストと結び合わされることの恵みをことのほか重視し、これが私たちの救いと救われた者の生の基礎であり、また目当てであることを強調してやまなかったのは、宗教改革者カルヴァンです。カルヴァンはその主著であるキリスト教綱要の第三篇の冒頭で次のように記しました。「先ず第一に確定しておかねばならないのは、キリストが我々の外に立ち、我々が彼から離れている限り、彼が人類のために苦しみを受けて果たされたどんなことも、我々にとって無益であり、何の意味もないという点である。それゆえ、彼は我々を御父から受けたものに与らせるために、我々の一人となり、我々の内に住まねばならなかった」。
 カルヴァンと聞くと、多くの人は理詰めで冷たく、頭の固い神学者というイメージを持ちがちなのですが、実際にはカルヴァンは信仰の事柄を単なる思弁や理屈の世界で論じることを繰り返し戒め、むしろ信仰は生身の人間の生きた営みであり、他ならぬ「私」にとっての切実な事柄であることを繰り返し論じるのです。そして彼は聖霊なる神のお働きに注目し、この聖霊によって「我々の外」なるキリストが「我々の内」に来てくださり、私をキリスト御自身に継ぎ合わせ、結び合わせ、ますますその結びつきを固く確かなものとしてくださることを明らかにしたのでした。
 このようにキリストと私たちが一つに結び合わされていく現実は、私たちの救いの確かさに関わり、また私たちが今、現に、このキリストの命に生かされ、養われ、成長させられていることの確かな拠り所なのです。それは何かの論理、何かの形式というよりも、聖書の言葉で言えばまさに「奥義」に属することと言えるかもしれません。カルヴァン自身も「わたしは、この奥義の理解をこえた卓越さに対する驚きに、心を奪われている」と語っているとおりです。私たちにとって、今、キリストと結び合わされていることは信仰による事実であり、それを私たちは日ごとの祈りの生活、御言葉の生活を通しての主イエス・キリストとの深い生きた交わりの中で覚えていくことができるのであり、また何よりもこうして主イエス・キリストの御身体なる教会の交わりの中で、かしらなるキリストに結ばれたがゆえに互いにも結び合わされた者たちが、兄弟姉妹として主イエス・キリストを礼拝し、主イエス・キリストの御言葉に聴き、主イエス・キリストに接ぎ合わされる洗礼を受け、繰り返し主イエス・キリストとの結びつきを深めていく主の晩餐に繰り返しあずかり続けることで、ますますその結びつきを固く確かなものとするのです。

(3)キリストに結ばれる道筋
 このキリストとの結びつきの現実を、私たちはどのように経験していくのか。そしてキリストとの結合に至る道筋をどのように通って行くのでしょうか。ここで二つのことを考えます。一つは「時」の問題、今一つは「苦難」の問題です。キリストとの結びつきは一瞬でということでなく、やはり少しずつ時を経ながら、キリストにある様々な経験を繰り返し、積み上げながら、ということです。夫婦の関係、親子の関係、家族の関係を考えてみてもよいでしょう。明日結婚式を迎える姉妹がいます。結婚は神の前での契約ですから、その契約を結べば、その二人はもう別ちがたく結ばれて一心同体の存在です。しかしそれが現実においても一瞬にして完成するかと言えばそうではない。むしろ時を重ね、経験を重ね、時には危機の時も乗り越えながら、祈り合い、愛し合って夫婦となっていくわけです。それは一生を掛けて添い遂げていく中で作り上げられていく交わりと言ってもよいでしょう。
 今日、一人の幼子が献児式を迎えました。ご夫妻にとっては与えられた幼子は、何を置いても愛してやまない存在です。しかしそれも決して当たり前のことではない。子どもが生まれたから自動的に親になる。たしかにそういう面もあるでしょうが、しかし実際には一人の人を育て上げていく上で、多くの悩みを通り、苦労を重ねます。今は無条件にただただかわいらしく、愛を注ぐ対象と思える子どもも、やがて大きくなり、思春期になり、また親から離れていくプロセスにおいては、時にはぶつかり合い、傷つけあい、分かり合えないほどの隔たった関係になることだってある。しかしそういう経験をくぐり抜けながら、また親は親となっていき、子どもも子どもとして親との関係を修復し、建て上げていくことがある。
 家族の関係においても、すべての家族がいつも円満というわけではない。家族だからこそ背負わなければならない重荷があり、家族だからこそ知らず知らずのうちに受けたり、与えたりしている傷もある。しかしいろいろな紆余曲折を経ながら、やっぱり家族になっていく。そこにあるのは互いを諦めない愛の関係であり、それでも互いを信じる信頼の関係であり、何と言っても、これは自分が選んだのではない与えられた存在だと受け取る心です。そうやって私たちは愛することを学び、信頼することを教えられ、相手の存在を神の賜物として感謝して受け入れることを訓練させられていく。まさにそれらの経験を通して、私たちはキリストと一つに結ばれていく道筋を歩んでいるのです。
 さらに「苦難」ということを考えます。私たちがキリストと一つに結ばれていく一つの契機に、苦しみの経験がある。私たちが信仰の試練の中で神を遠くに感じたり、苦難の中で神に見捨てられたかのように思える時に、実はそれらを通していっそう緊密にされるものでもあるのです。苦難の中で、試練の中で、キリストとの関係が純化され、固くされていく。それがキリストに結び合わされた者の歩みなのです。別れの悲しみ、挫折の痛み、病い、経済の不安、夫婦や親子、家族の問題。人生における様々な苦難の中で、実はそこでしか出会うことのできない十字架のキリストとの深い結びつきを経験させられていく。
 教会という交わりにおいてもそうです。教会という船が嵐の中をくぐり抜けていくとき、そこで私たちはキリストと一つに結ばれ、またキリストにあって互いもまた一つに結ばれていくのです。今、まさに私たちは大きな海原に漕ぎ出そうとしています。そこで嵐の中を通り、大波を被り、風に翻弄され、恐れ惑うことが起こるでしょう。迫害もあり、信仰の危機を経験するでしょう。しかしそこで私たちは「教会を信ず」との告白をもって、キリストに結ばれる道筋を歩んで行きたい。神の国の完成を目指しての航海を進んで行きたいのです。苦難の中でますますキリストとの結びつきを固くされ、純粋なものとしていきながら、救いの完成を目指して進む私たちでありたいと願います。

 

 



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