シリーズ福音に生きる29 2010/01/10
『見捨てられない神』

ヘブル13:5

 昨年3月から「福音に生きる」というシリーズで、教会が長い歴史の中で聖書から教えられてきた福音の教え、教理について学んできました。今日でその学びを締めくくることになりますが、このシリーズの最初に申し上げたように、教理を学ぶに際してはその順序にすでに大切な信仰の形があらわれるものです。私たちが一連の教理の学びの最後に取り上げるのは、私たちを見捨てることなく、見放すことなく、終わりまで私たちをご自身の御手のうちに堅く保ってくださる神ご自身についてです。今晩、私たちの救いの確かさを神のご真実なお姿の中にしっかりと見つめながら、さらに主を愛し、主に従う歩みを始めてまいりたいと思います。

(1)聖徒の堅忍
 教会の兄弟姉妹たちと語り合う中で時々、自分自身の信仰生活を顧みる声としてこんな言葉を耳にすることがあります。「このような信仰生活を送っていたのでは救いが取り消されてしまうのではないか心配です」、「天国に入れなくなってしまわないようにがんばります」、「自分は救われているのかいつも不安でしょうがない」。こういう言葉を聞く度に、あらためて教理を学ぶことの重要性を痛感させられるのです。実に多くの場合、教理的な土台があいまいなために信仰が揺さぶられたり、躓くことが起こるのです。もちろん教理さえきちんと身につけていればすべての問題が解決するわけではありませんが、しかし教理を学ぶことで自分自身の信仰の揺らぎや躓きをある程度避けることができますし、また仮に躓いたとしてもそこから立ち上がることができるのです。
 今晩取り上げられる教えは、私たちの救いの最終ゴールに関わるものです。地上では一生懸命に主イエスを信じて歩んできたが、いざ終わりの時を迎えてみたら、自分の名前がいのちの書に見あたらず、天の御国の門の外に出されてしまうのではないか。時にそんな不安に駆られる私たちに対して、御言葉ははっきりと、主が救いに入れてくださった魂は二度と再びそこから落ちることはなく、終わりまで主ご自身が堅く保ってくださると教えます。これを教理の言葉で「聖徒の堅忍」、「Perseverance of Saints」というのです。この教理について端的に説明しているのはウェストミンスター信仰告白の第17章ですが、その第1節には次のように記されています。「神がその愛するみ子において受け入れ、みたまによって有効に召命され、きよめられた人々には、恵みの状態から全的にも最後的にも堕落することはあり得ない。かえってその状態に終りまで確実に堅忍し、そして永遠に救われる」。ここにあるように神が御子イエス・キリストにおいて救いの中に選び、聖霊によって召された人々は全的にも最後的にも再び罪の中に堕落することはあり得ません。運転免許のように減点されたり、取り消されたり、無効になることはない、むしろキリストの十字架の贖いによって罪赦され、義と認められ、聖霊によって神の子とされ、聖なる者とされた者たちは、その三位一体の神の確かさのゆえに、一度与えられた救いが取り消されたり、無効にされたりすることはないのです。

(2)終わりまでいつもともに
 そればかりではありません。神は私たちを二度と再び罪の堕落の中に陥れることをなさらないばかりでなく、むしろ終わりの時、救いの完成の時まで、聖霊によって弱い私たちの信仰を確実に支え保ってくださって、永遠の救いの中に入れてくださるというのです。
今日のヘブル書の御言葉はこう語ります。「金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない』」。自分の救いを疑うこと、それは神への信頼を疑うことにつながります。神が私を離れず、捨てないというお約束に全面的に信頼し、依り頼むことができない時、私たちは自分で自分を支えようとし、金銭や社会的な地位、立場などに依り頼もうとするのです。しかし神は言われます。「わたしは決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と。この神の宣言以上に確かな言葉はありません。神は私が如何なる者であるかによらずに、ただ主権的で自由な恵みに基づき、キリストによって私たちを救いに選んでくださいました。だからこそ救われた者を終わりまで全うすることにおいても、私たちの行いや振る舞いの如何によらず、神の約束のゆえにこれを堅く保ってくださるのです。
 今日のヘブル書の御言葉の背景には旧約聖書の二つの御言葉が控えています。一つは申命記31章6節、「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない」。今一つはヨシュア記1章5節。「あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない」。旧約聖書において、神はご自身の民イスラエルを選び、彼らとの間に契約を結んでくださいました。その契約はイスラエルの民がどれほど神の御前に罪にまみれ、神に背く不真実、不忠実な民であっても決して反故にされない契約でした。この御言葉はまさにこの神の契約に対する誠実さ、真実さのあらわれです。あなたたちがどのような者であったとしても、わたしとの恵みの契約の中にあるがゆえに、わたしはあなたを決して見放さず、あなたを決して見捨てないと主は言われるのです。そしてこの約束のもっとも鮮やかで確かな現れが、「インマヌエル」と呼ばれる神の御子イエス・キリストご自身なのです。イザヤ7章14節にこう語られているとおりです。「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名を『インマヌエル』と名づける」。
 主イエス・キリストはインマヌエル、「神は私たちとともにおられる」という名を持つお方として私たちのもとに来てくださり、十字架による救いを成し遂げ、三日目によみがえられ、天に挙げられるに際しては「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」とのお約束の言葉を残してくださいました。そして今、天におられる主イエスは私たちに聖霊を送り、教会の交わりの中で私たち一人一人といつも、ともにいてくださいます。私たちが信じ、仰ぎ、従うお方は、私たちとつねにともにいてくださって、私たちを見放さず、見捨てることのないお方であられる。このお方と日々交わりながら、終わりまでともに信仰の道を歩ませていただきたいと願うものです。



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