シリーズ福音に生きる25 2009/11/08
『主と同じかたちに』

IIコリント3:18

 今晩は、神の子どもとされた私たちが、神の聖さにあずかり、聖なる者とされていく「聖化」の歩みの目標であり、ゴールである「キリストと同じ姿に変えられていく」恵みについて御言葉から教えられてまいりたいと思います。

(1)義認と聖化の恵み
 これまで私たちの救いについての大切な教えである「義認」と「聖化」について、何回かにわたって教えられてきました。そこで学んだことをおさらいしてみると、義認はキリストの十字架によって無罪を宣告され、神の御前に義と認められる一回的な恵みであり、義と認められた私たちが、聖霊の宮として神の聖さにあずかって成長していく継続的な恵みを「聖化」と呼ぶのでした。ここで聖化について特に覚えておきたいことは、神の聖さにあずかって私たちが聖なる者とされていく歩みは、まさに私たちの生きることそのものであり、生活の問題であるということです。私たちはこの地上にありながら、もはや神の子どもであり、天の御国の民とされています。それゆえに、この天の御国の価値観を基準としてこの地上を生きていくのであり、食べるにも、飲むにも、何をするにも神の栄光をあらわすため、と御言葉によって教えられているように、具体的な生活の中で、神の栄光をあらわすべく、生活の聖さを追い求めていくのです。
 その意味で、私たちがキリスト者になる前と後とで、私たちの生活が何も変わらないということはありえないことです。それまで自分が価値を置いていたもの、握り締めていたもの、離れることができずにいたこと、それらのものを「キリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに」、「ちりあくた」とし、あるものを捨て去り、新しい人を着せられ、聖い生活が始まっていく。そこにはある決断が伴いますが、そうして私たちの聖化の歩みは続けられていくのです。その上で、なお強調しておきたいとことがあります。それは聖化の継続性が、聖化の漸進性をも意味しているということです。私たちの歩みは一回で完成に至る歩みではありません。ここでの「漸進」とは、徐々に徐々に、少しずつ少しずつ、時にはアップダウンしたり、停滞したり、著しく成長したり、そういう歩みを続けながらなお確実に進んでいくということです。

(2)栄化の恵み
 ではそのような私たちの聖化の歩みはいつまで続き、どこが到達点、ゴールなのでしょうか。聖書は私たちの聖化の歩みのゴールはこの地上ではなく、天の御国であり、そこで到達する完成の姿は、実に、イエス・キリストとと同じ栄光の姿に変えられることであると教えます。これを教理の言葉で「栄化」、「グローリフィケイション」と言うのです。今晩開かれている御言葉は、まさにそのことを私たちに語っている大切な箇所です。あらためてお読みします。「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです」。
 ここには、私たちに約束されている最終的な到達点の姿がはっきりと語られています。パウロはIIコリント3章で、古い契約である律法にではなく、新しい契約であるイエス・キリストの福音に仕える使徒の栄光ある務めについて語っていますが、その中で、私たちのイエス・キリストを信じて生きる聖化の歩みは、もはや覆いがかかったようにして律法の目標であるイエス・キリストをはっきりと見ることをしない古きイスラエルのようではなく、今や聖霊によって覆いを取りのけられて、はっきりとキリストの栄光を仰ぎ見ることの許されており、そのようにして、日ごとにキリストを仰ぎながら、鏡のようにキリストの栄光を反映させながら、栄光から栄光へと進んでいく歩みであるというのです。
 そしてそのような歩みの最終的なゴールにあるのが「主と同じかたちに姿を変えられていく」という栄化の恵みなのです。パウロはこのことについて、Iコリント15章42節以降でこう語っています。「死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです」。このように聖化の完成である栄化の恵み、キリストと同じかたちに変えられる恵みは、終わりの時にもたらされる私たちの望みです。この恵みを望みとして、私たちの地上の歩みはなお続いていくのです。 

(3)キリストに従う歩み
 それゆえにまた、私たちの栄化を目指す聖化の歩みは、私たちの望みであるキリストに従う歩みであることをも意味しています。パウロはガラテヤ2章20節で次のように教えます。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」。私たちに聖化の歩みは、聖霊によってキリストを内に宿し、キリストご自身が私の内に生きてくださる歩みです。そしてそのキリストの御言葉に導かれ、キリストの命に生かされ、キリストの御心に沿って、キリストの栄光のお姿を望みとして私たちの歩みは導かれていく。それらを一言でまとめて言うならば、まさしくそれは「キリストに従う」という歩みに他なりません。
 ドイツの神学者、牧師、ディートリヒ・ボンヘッファーの言葉を今晩もご紹介しておきたいと思います。彼の主著の一つである『服従』の中で、結論的に語られる言葉です。「イエス・キリストの御生涯は、この地上ではまだ終わってはいない。キリストはその御生涯を、キリストに従う者たちの中でさらに生きたもう」。主イエス・キリストと同じかたちにされていく栄化の時を目指して進む聖化の歩みは、私たちが特別な人間になること、誇らしく輝かしい人間になること、完璧な理想の人間になること、自分がなりたい自分になること、そのような上昇志向の自己実現の歩みではありません。むしろ高きの極みから低きの極みへと下られたキリストの後につき従う歩みであり、それは苦難と服従の歩みです。しかしそのよようにして私たちがキリストのお姿にならいつつ、その愛に生かされて歩むとき、そこに本当の意味での、聖なる者とされることが成し遂げられていくのです

 



日本同盟基督教団 徳丸町キリスト教会
〒175−0083
東京都板橋区徳丸6−24−10
TEL 03−3935−3405
FAX 03−3935−3445

メールでのお問い合わせ
管理人


Copyritht ©The Evangelical Alliance Mission Tokumarucho Christ Church All Rights Reserved.