シリーズ福音に生きる17 2009/08/02
『十字架のキリスト』

ルカ23:32-43

 今晩は、教会のシンボルであり、主イエス・キリストの御業の中心である十字架の意味について、御言葉から教えられてまいりたいと思います。

(1)十字架の意味するもの
長い歴史の中で教会は数多くのイメージやシンボルを用いてきました。そのような図像を集めた書物もあるほどですが、鳩や羊、舟や魚などの数多くのシンボルの中でも、やはり一番知られているのが「十字架」であることは間違いないでしょう。十字架刑はローマの刑罰の中でも最も過酷な極刑でありましたが、その由来はペルシャ帝国にまでさかのぼり、のちにカルタゴを経てローマに至ったと言われます。この刑罰を受けるのは強盗や政治的扇動者などで、過酷であると同時に最も恥ずべき屈辱的な刑ともされていたのです。十字架刑の過酷さは、何と言っても致命傷を与えられないまま放置され、時には猛禽や獣たちの餌食にされながら死んでいくというその悲惨で残酷な有様において知られていましたが、主イエスもまた十字架に両手両足を釘打たれて苦しみの中にその肉体の苦しみの極限を味わって下さったのです。
 教会がその屋根に、あるいは礼拝堂の正面に十字架を掲げる。それは、この十字架にかかられたキリストによって教会が建っていることのあらわれであり、また教会が宣べ伝える福音の言葉、それがこのキリストの十字架の出来事にあることをあらわしているとも言えるのです。

(2)のろいの木にかけられた方
 今晩開かれているルカ福音書には、主イエス・キリストの十字架上のお姿が印象深く記されています。私たちが幾度となく目にする、決して忘れることのできない十字架の出来事です。この主イエスの十字架。それはローマ帝国の文脈で言えば十字架は刑罰としての由来と歴史を持っているのですが、しかし主イエスはそのようにして単なるその当時のローマ社会の極刑を甘んじて受けられただけではありません。むしろその本質においては、神の救いの歴史の成就として呪いの木である十字架の上に架けられて行かれたのでした。ガラテヤ3章13節に次のような御言葉があります。「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである。』と書いてあるからです」。
 ここでパウロがキリストの十字架の意味を旧約の申命記から引用しながら論じつつ明らかにしているように、主イエス・キリストの十字架は、旧約聖書における罪人への裁きの規定との関連で理解されるべきものです。申命記21章22節、23節には次のように記されます。「もし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがこれを木につるすときは、その死体を次の日まで残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである」。このように、十字架とは本来神の呪いの象徴であり、木に掛けられた主イエスは、罪なき神の御子であられるお方であるにも関わらず、忌まわしい犯罪人のようになって神の呪いをその身に受けて下さったのです。そしてそれによって主イエスは本来私の上にのしかかっていた罪の呪いを御自身のもとに引き受けて下さったのです。繰り返しガラテヤの御言葉を引用します。「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出して下さいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである。』と書いてあるからです」。本来私たちの上に下るべき神の呪いはすべて主イエスの上に下され、主イエスが呪われた者となってくださった。そこで神の怒りと呪いは満たされ、なだめられ、もはや私たちにそののろいが下ることはないのです。本来私が担うべき神の呪いと受けるべき死の刑罰を、神の御子イエス・キリストが私の身代わりとなって受けてくださった。そして神の御前に呪われた者となってくださったのです。

(3)私たちのための十字架のキリスト
 このキリストの十字架が他ならぬ私のためであると信じ受け入れるのが、キリスト者になるということです。あの十字架の主イエスの傍らにあった犯罪人が、主イエスを受け入れたように、私たちもまた、この主イエス・キリストの十字架が私の罪の身代わりのためであったことを信じ受け入れる時、そこで天の御国の約束、救いの祝福が私たちのものとされるのです。ローマ5章8節にこうあります。「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する御自身の愛を明らかにしておられます」。このように神の御子イエス・キリストの十字架の苦しみにおいてあらわれたのは、私たちのための神の大いなる、そして激しいほどの、犠牲を伴う愛なのです。我らの救いのために、父なる神は愛する御子を捨ててくださいました。御子は父なる神から捨てられて、私たちが味わったことのない苦しみを味わい尽くしてくださいました。イエス・キリストだけが真の死を味わわれたのです。この御父と御子の三位一体の完全な愛の交わりが断ち切られるほどの出来事が起こった。それがほかでもない私たちのための主イエスの十字架の御業なのです。
 フォーゲルという神学者がこのように言っています。「最も希望のない場所は世界のどこにあるのか。・・・真にこの世界で最も希望のない場所とは、決して神を捨てたことのなかった御方が、神御自身によって見捨てられ、十字架にかけられたところである」。神から捨てられるという死の絶望の淵に主イエス・キリストが立ってくださったことにより、今、この私に永遠の命の希望が与えられている。この驚くべき出来事が、私たちの確信であり、力であり、喜びであり、希望であり、そして私たちのただ一つの慰めのことば、救いのことばなのです

 



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