シリーズ福音に生きる16 2009/07/19
『いやし、生かすお方』

マルコ5:25-34

 今晩は、主イエス・キリストが与えてくださる救いが、私たちの魂と体の全体に関わるトータルな恵みであることを、開かれている御言葉から教えられてまいりたいと思います。

(1)からだと魂
 人々が、いわゆる「宗教」に求めるものは一体なんでしょうか。ある人は体の健康、身の回りや家族の安全、事業の安泰と経済の発展、ある人は心の安心、夢の実現、本当の自分探し等々。多くの新宗教、新新宗教と呼ばれるものは、そういう人間の宗教に対する期待を上手に掬い取りながら成長を遂げてきたと、ある宗教学者が分析しています。体の問題と心の問題、肉体の問題と精神の問題、そんなふうにまとめて言うこともできるでしょう。このうち、多くの人はまずは現世的な御利益、目に見える地上の幸福を追求し、それを得ることで幸せになれると考えるのですが、しかし今日、そのような考え方が行き詰まりを見せている「ポスト・モダン」といわれる時代状況の中で、人々は物質的なことよりも精神的なことに関心を向けるようになってきています。宗教にスポットライトが当たるというのも、まさにそのような時代の精神の表れであるとも言えるのでしょう。
 そこで翻って、私たちが聖書を通して聞き続けている福音の言葉はどうでしょうか。そこで語られる「救い」とは、肉体の問題の解決に限られるものでしょうか。それとも精神の安定を与えるものに限られるのでしょうか。ギリシャ的な人間観では、人間というものを肉体と精神あるいは魂とに分けて考えるのですが、旧約聖書以来、聖書の持つ人間観はそれらを分けることをしません。人間を体と魂のまとまりとして捉える視点を持っているのです。このことは現代社会の人間観にも、特に今話題になっている臓器移植の問題とも深く関わる倫理的な課題ですが、とにかく聖書は人間をトータルな存在として見つめ、その人間全体の救いということを私たちに差し出しているのです。

(2)いやすお方、キリスト
 25節。「ところで、十二年の間長血をわずらっている女がいた」。今日の箇所に登場する主人公は、体に重い病を背負った女性でした。十二年もの長い間、原因不明の出血が止まらず、彼女の肉体は過酷な状況に置かれ続けていました。しかもその病は彼女の肉体を苦しめるだけでなく、彼女の心にも大きな傷を与え続けていたのです。26節。「この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった」。肉体の痛みに重ねて、医者からのひどい仕打ちを受け、財産も失い、人間不信の中で本当に希望のない中に彼女は捨て置かれていたのです。体を病み、持ち物まで失い、心まで傷つけられ、周りの人々も彼女にかける言葉もない、彼女の方も、安易な慰めや気休めの言葉をかけてほしくない。そんな中で人々の交わりからも次第に遠ざかり、孤独な日々を送っていたに違いないのです。
 しかし、そんな彼女が主イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、後ろから主イエスの着物に手を触れる。それによって彼女は、自分の体の中で血の源が涸れ、長い間苦しめられ続けていたひどい痛みがすっと引いていくのを感じました。29節。「すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた」。十二年もの間、誰も直すことのできなかった彼女の病を、主イエス・キリストは完全にいやしてくださったのです。ここに、彼女の求めていた体のいやしが成し遂げられました。彼女は求めていたものを主イエスから受け取ることができ、そのまま静かに群衆の中に再び姿を消して、健やかになった体で生きていくことができたはずなのです。

(3)生かすお方、キリスト
 しかし、このストーリーはここで終わることはありませんでした。主イエスと彼女との関わりは、体のいやしで終わるものではなかったのです。30節。「イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、『だれが、わたしの着物にさわったのですか』と言われた」。もちろんこの言葉は、続く弟子たちが考えたように、主イエスが御自身の覚えのないところで勝手に癒しの力が働いたということでなく、明らかに、この一人の女性を御自身の前に引き出すための主イエスの招きの言葉でありました。そこで33節。「女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、イエスの前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた」。この時、主イエスは彼女が勝手に御自身のいやしの力を利用したことを咎めようとなさったのではありません。むしろ、彼女がただ体のいやしだけを受け取って主イエスのもとを立ち去ることがないように、敢えてこのようにして彼女自身の決断で御自身の御前に進み出るようにと促されたのです。そして彼女が意を決して主イエスの御前に進み出たとき、主はこう言われたのです。34節。「そこで、イエスは彼女にこう言われた。『娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい』」。
 ここで「あなたを直した」と言われる言葉は、「あなたを救った」とも言える言葉です。つまり、彼女は主イエスの御前に進み出て、主イエスとの出会いを果たしたときに、ただ単に体のいやしに与っただけでなく、彼女心がもしかすると気がついていなかったかも知れない、本当にいやされなければならない魂の救いに与り、まことのいのちに生き始めるようにしてくださったのです。私たちの救い主イエス・キリストは、私たちをいやし、生かしてくださるお方です。もしかすると私たちは、ただ体のこと、地上のことが満たされればそれで十分と考えるかも知れない。しかし、実は私の魂がまことのいのちに生かされることがなければ、本当の救いはないのです。主イエスは私たちの体も心もいやし、生かしてくださるまこと唯一の救い主であられます。このお方の御前に進み出るときに、私たちは、私の心も体も魂も、まるごとの救いを受けることができるのです。この救いを今、ご自分のものとして受け取っていただきたいと切に願います。

 



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