シリーズ福音に生きる14 2009/06/28
『旅するキリスト』

ルカ4:42-43

 今晩は、神が人となって来られ、この地上を歩まれた神の御子イエス・キリストのお姿を通して、私たちのもとを訪れてくださる救い主の恵みを受け取っていきたいと思います。

(1)巡り、教え、宣べ伝え、いやし
福音書がイエス・キリストのお姿を描くにあたって、特に三年に及ぶ公生涯を描き出す時には、そこに大きく二つの関心、二つの焦点があると言えるでしょう。一つの関心は貧しい者や社会の底辺で生きる弱い人々とともに生き、病人を癒し、悪霊の虜になっている人を自由にし、やもめに慈しみを注ぎ、死者さえ甦らせ、かと思えば社会の特権階級にある者たちには容赦ない批判を浴びせるという、一貫して弱き者、小さき者の傍らに寄り添うお方としてのイエス・キリストへの関心です。それは主イエスの三年の公生涯の大半を費やす日々でもありました。これに対して、今一つの関心は、主イエスが公生涯の中で宣べ伝えられた神の国の福音について、しかもそれが実現に移される僅か三日間に集中したものであって、すなわちイエス・キリストの十字架の死と三日目の復活によって表された、私たちを罪からお救いになることのできるただ一人の救い主としてのイエス・キリストへの関心です。
今日、多くの人々はこの二つの関心、二つの焦点を切り離し、それぞれ一方の姿だけを大きくクローズアップしたイエス像を造り上げようとしています。前者だけを強調すれば、イエスはその身をもって愛の模範を示された人、理想の人間像ということになり、この人間イエスの生き方に倣って、社会的弱者とともに生きることこそが救いだということになります。実際にはこのようにヒューマニズム化されたイエス像は広く行き渡っており、そこに共感を覚える人も多いのです。このことが含む問題性は見過ごしにすることはできませんが、しかし同時にこのようにして弱い者の中にともに生きられた主イエスのお姿を、今日の教会が見失っているのではないかという声を、私たちはしっかりと聞かなければならないとも思うのです。すなわち後者のひたすら主イエスの救い主の側面だけを強調して、地上の生涯の中に示された愛のお姿に学ぶことがなければ、私たちの信仰も偏ったものとなってしまうのではないかということをも覚える必要があるのです。しかしだからといって十字架と復活を否定したり、これを顧みることがなければ、キリスト教信仰はそのもっとも中心的ないのちを失うことになります。私たち人間にとって何よりも解決されなければならない一番の問題は罪の問題であって、それは主イエス・キリストの十字架の贖いと三日目の甦りなしには、いかなる方法をもっても適わないことだったからです。
 このように考えてみると、私たちは神が人となってくださった御子イエス・キリストの地上のお姿からも学ぶことはまことに多いのであって、そのお姿はマタイ福音書4章23節にある「イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわざわいを直された」との御言葉に代表されるように、二つの関心を統合するトータルな神の国のお姿であったことが分かってくるのです。

(2)旅するキリスト
 このことを踏まえた上で、今晩与えられているルカ福音書4章42節、43節の御言葉に聞きたいと思います。「朝になって、イエスは寂しい所に出て行かれた。群衆は、イエスを捜し回って、みもとに来ると、イエスが自分たちから離れて行かないよう引き止めておこうとした。しかしイエスは、彼らにこう言われた。『ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから』」。
地上を歩まれたイエス・キリストのお姿、それを今晩の説教では「旅するキリスト」と言い表しました。町から町、村から村へと巡り歩き、神のみこころを教え、御国の福音を宣べ伝え、病の人を癒された主イエスのお姿は、まさに地上においては「人の子には枕するところもない」と言われたとおり、安住の場所を持たない旅人のお姿であったと言えるでしょう。今日の御言葉は主イエスの初期ガリラヤ伝道の様子が描かれるところですが、ここで群衆は主イエスを自分たちの所に引き止めようと躍起になっています。それほどに人々は主イエスを歓迎したのであり、また実際に主イエスの留まってほしいという願いがあったのでしょう。しかし主イエスは言われます。「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから」と。
 父なる神がご自身の主権的な愛と自由の中で、私たちの救いのためにお遣わしくださった御子イエス・キリスト。このお方は、しかし私たちのために「神の福音をどうしても宣べ伝えなければならない」と仰られ、そのためにはご自分の居場所を定めて留まることをなさらず、「ほかの町々にも」進んで行かなければならないと言われます。ルカ13章33節でも「わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません」と言われるとおりです。このようにしてイエス・キリストは私たちに福音を届けるために、父なる神から委ねられた使命を「せねばならないこと」と受け取り、そのために地上を旅して、休む暇も惜しんで人々の元を巡り歩き、人々が羊飼いのない羊のようであるのを憐れんで、まことの救いのよき訪れをもたらし、失われた人を捜し出して救いの中に迎え入れてくださり、そうやって私たちのもとにも今日、訪れてくださっているのです。
 先週私は、二日間豊橋にご奉仕にまいりまして、若いときから家庭を挙げて主と教会に仕えておられる御夫妻の家の客として迎えられました。教会は古くから主の働き人である旅人をもてなすことを美徳としてきましたが、まさにそのように旅してきた伝道者に愛を示して迎えてくださったのです。私たちも今晩、私たちのもとに訪れ、私たちに真の救いを与える喜びの知らせ、神の国の福音を届けるためにはるばるお出でくださった旅人イエス・キリストを喜んで心にお迎えし、この方が差し出してくださる神の愛を受け取る者でありたいと願います。それでこそ主イエスがはるばる天の神の御座から私たちのもとに貧しい姿となってお出でくださった甲斐があるのであり、このお方を迎えることが私たちにとっての何よりの幸いなのです。

 



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