シリーズ福音に生きる10 2009/05/17
『わたしの父、あなたがたの父』

ヨハネ20:11-18

 今晩は、創造の神が今も御自身のお造りになったこの世界を保ち、治めていてくださる神の「摂理」ということについて、御言葉からともに学んでおきたいと思います。

(1)父なる神
 前回までで私たちの信じる神が、創造の神であり、摂理の神であられることを学びましたが、福音の信仰が私たちに与える大きな喜び、それは同時に驚きでもあるのですが、それはこの創造と摂理の神を、私たちが「父なる神」とお呼びすることができるということです。キリスト教会が長きに亘って告白し、今も私たちが礼拝の度に告白している使徒信条でも、「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と言い表します。これについて、前回もご紹介したハイデルベルク信仰問答の第26問が味わい深い説き明かしをしています。「問:『我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず』と唱える時、あなたは何を信じているのですか。答:天と地とその中にあるすべてのものを無から創造され、それらを永遠の熟慮と摂理とによって今も保ち、支配しておられる、わたしたちの主イエス・キリストの永遠の御父が、御子キリストのゆえに、わたしの神またわたしの父であられるということです。わたしはこの方により頼んでいますので、この方が体と魂に必要なものすべてをわたしに備えてくださること、また、たとえこの涙の谷間へいかなる災いを下されたとしても、それらをわたしのために益としてくださることを、信じて疑わないのです。なぜなら、この方は、全能の神としてそのことがおできになるばかりか、真実な父としてそれを望んでもおられるからです」。
 創造と摂理という神の御業については、私たちとこの造られた全てのものを遙かに超えて凌駕しているという意味で、神学の言葉で「神の超越性」と言います。神は神であり、人間は人間、世界は世界であってそこには往き来はありません。汎神論のように、自然がすなわち神であり、人間が神になったり、自然が神になったりということはないのです。しかしその一方で、この神は私たちと何の関わりもない遠い遠い孤高の存在ではあられません。神は私たちの「父なる神」として私たちを愛し、慈しみ、私たちに関わりを持ち、交わりを持ってくださる。このことを指して「神の内在性」と言います。このように私たちが信じる神は一方では私たちを遙かに超えた超越者であられ、しかし同時に私たちに深く関わってくださるお方でもあられるのです。

(2)イエス・キリストの父なる神
 この神の超越性と内在性が最も鮮やかに示されたのが、神が人となって来てくださった御子イエス・キリストのお姿です。そしてこの神の御子イエス・キリストを通して、私たちもまた、神を父なるお方として知り、信じ、崇めることが許されるのです。今日開かれている御言葉は、十字架の死の三日目に復活された主イエス・キリストが、マグダラのマリヤに語りかけられたお言葉です。そこで主イエスはこう言われました。「わたしにすがりついてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る。』と告げなさい」。
 特に今晩目を留めておきたいのが主イエスが言われた「わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る」という言葉です。イエス・キリストは父・子・聖霊の三位一体の第二位格、神のひとり子としてこの地上にお出でくださった唯一の神の御子であられますが、しかしこの御子イエス・キリストの十字架の贖いによって、御子イエス・キリストを信じる者たちにも、イエス・キリストの父なる神を、私たちの父なる神そして私の父なる神としてお呼びすることのできる神の子としての道が開かれたのです。そしてそのような信仰を与えてくださったのが三位一体の第三位格、聖霊の神であられます。つまり私たちが神を「父よ」とお呼びすることができるのは、ひとえに御子イエス・キリストの十字架の贖いにより、聖霊がその贖いの御業を私たちのものとしてくださったからであって、私たちが「父なる神よ」とお呼びする時、そこでは御子イエス・キリストの父であり、この御子の贖いのゆえに子とされた私たちの父となってくださった神を、聖霊の恵みの中でお呼びしているのだということになるのです。

(3)子とされる幸い
 こうして考えてみると、私たちが祈りの中で「父なる神さま」、「天のお父さま」と祈ることができるために、実に父・子・聖霊の三位一体の神が総動員して働いてくださっていることを知ることができるでしょう。そのような神のお働きがあってはじめて私たちは神を親しく「父よ」とお呼びすることができるのです。まさにここに神の子とされる幸いがあらわれていると言えるでしょう。
 このことの消息をパウロがローマ書8章14節以下でこう教えています。「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父。』と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります」。私たちが今こうして神を父よとお呼びすることができている。これは決して小さな事でも当たり前の事でもありません。このこと自体の中に、私たちがすでに御子イエス・キリストの贖いのゆえに、聖霊の助けの中で神の子とされているという恵みの事実がはっきりと証しされているのであり、神の子とされたがゆえに約束されている、罪の赦しと永遠の命の祝福という財産を相続する者とされていることが証しされているのです

 



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