シリーズ福音に生きる6 2009/04/05
『神の語り方』

ヘブル1:1-3

 今晩は神の言葉である聖書がどのようにして記され、そして今日私たちにどのように語りかけているのか、聖書を用いて私たちに今も語り続けておられる主なる神様の語り方ということについて、ご一緒に御言葉から教えられていきたいと思います。

(1)むかし、預言者たちを通して
 今日開かれているヘブル書1章の冒頭の御言葉は、私たちが神の言葉である聖書をどのように理解するかを考える上で、とても重要な御言葉です。前回私たちは聖書という書物が長い長い時間をかけ、数多くの人々の手を用いて記された書物であり、しかもそれらすべての行程が聖霊の息吹、すなわち霊感によって守られ、保たれたがゆえに、誤りのない神の言葉であることを教えられました。そこではそれぞれの人間たちの個性や能力、賜物や時にはその人の弱ささえも用いられたがゆえに、ある人々は聖書について神に関する事柄を人間たちが証言したに過ぎない人間の書物と見なしますが、しかし私たちは聖書の持つ人間的な性格を、むしろ敢えて主なる神がそのような語り方をもって語られた神の語りの歴史、すなわち啓示の歴史として受け取り、そこに働かれる聖霊の生けるお働きを信じるがゆえに、聖書が紛れもなく神の言葉であると、その権威を信じ受け入れることができるのです。
 ではそのような主なる神の語り方とは如何なるものであるのか。そのことを端的に示しているのが今日のヘブル書1章1節、2節の御言葉です。「神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました」。ここには主なる神が私たちに対してご自身の救いの御心を明らかにしてこられた語りの歴史がまとめられています。その最初の段階が「神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られた」というものでした。これがすなわち旧約聖書のことですが、まさに旧約聖書は天地創造の時から、アブラハムとの契約を経て、イスラエルの民の歴史の中で神が預言者たちを通して語ってこられた救いの御心が記されています。しかもその語り方も、ある部分は律法を通して、ある部分は歴史を通して、ある部分は詩や格言を通して、そしてある部分は預言の言葉を通して、という具合に実にバラエティーに富んでいます。ユダヤ教では旧約聖書を「律法、預言者、諸書」と三区分し、その中心に神の律法を据え、この律法に従って生きることをもって救済を説きますが、私たちは旧約聖書が預言者を通して後に来られる救い主メシヤの希望が指し示される預言の書、約束の書としてこれを受け取っています。つまり旧約は旧約だけで完結する書物ではなく、それが指し示す希望に至ってこそ、神の救いのご計画の実現をもたらす書物であるのです。

(2)終わりの時には御子によって
 このように旧約は来るべき救い主を指し示す約束の書、預言の書ですが、その成就として与えられているのが新約聖書です。先のヘブル書でも「この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました」と語られるとおりです。旧約の預言者たちが語り続け、指し示し続けてきた来るべき救い主メシヤ、かつて旧約最大の預言書であるイザヤ書53章で、私たちの罪の身代わりとなるため、口をつぐんだままほふり場に引かれていく小羊のようなお方と預言した方、ピリポに導かれたあのエチオピア人の宦官が、一体これは誰について預言しているのですか、と尋ねたお方、ルカ福音書において、始めてユダヤ人の会堂でイザヤ書の「捕らわれ人には赦免を」との救いと解放のことばを朗読され、この御言葉は今日あなたがたの間で成就した、と宣言された方、神の御子イエス・キリスト。この御子イエス・キリストこそが神が私たちに語りかける言葉そのもののお方です。それでヨハネ福音書はその冒頭で、「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあった。言葉は神であった」と記したのであり、マルコ福音書は、御子イエス・キリストの来臨をもって「神の国が近づいた」と語ったのです。

(3)そして今は聖霊によって
このようにかつて旧約の時代には預言者によって、そして新約の時代には御子イエス・キリストによって語ってくださった神は、今私たちにどのように語りかけておられるのでしょうか。もうイエス・キリストは天に挙げられて、今は私たちの前にはおられません。では私たちはもうその御声を聞くことはできず、ただその言葉を記録した書物である聖書を繰り返し読むことに過ぎないのでしょうか。16世紀の宗教改革の時代にスイスのチューリヒで活躍したハインリヒ・ブリンガーという改革者が著した『第二スイス信仰告白』の第一章、聖書についての告白の中に次のような一文があります。「我々は聖なる預言者と使徒による正典たる書、すなわち旧・新約聖書が、神のまことの言葉そのものであり、それ自身で十分な権威を持ち、人間によって権威付けられるものでないと信じ、かつ告白する。すなわち、神は自ら父祖たち、預言者たち、使徒たちに語りたまい、今なお書かれた聖書によって我々に語りたもうのである」。ここでブリンガーは神は今もなお書かれた聖書によって私たちに語っていると告白していることに注目したいと思います。そこで決定的なのは聖霊なる神のお働きです。聖霊は今、御言葉とともに働いて、神の語りかける言葉を私たちに聞かしめ、それを悟らしめ、それに従う信仰を与えてくださるお方です。そしてそのために欠け多き罪人である人間を説教者として召し、その説教者を通し、教会の礼拝において、今も語り続けておられるのです。
 このように、かつて預言者を通して語られた神は、御子イエス・キリストにおいて語られ、そして今はこの御子イエス・キリストが聖霊を通し、御言葉によって、説教者を用いて語っておられる。それが聖書を通しての神の語り方なのです。私たちは過去の古い本をただ後生大事に懐かしみながら読む懐古趣味者ではありません。いつでも聖書を開く度に新しくご自身の御心を明らかにし、私たちを慰め、戒め、励まし、新しい人問として生かすべく聖霊を通して語っていてくださるイエス・キリストと、その父なる神の大いなる語りかけを期待して御言葉を開くのであり、聖書はその度ごとに私たちに新しい言葉をもって語りかけてくださる、まさしく生ける神の言葉です。この御言葉に私たちもまた新しく心開いて聞き、そして信じ従うものとならせていただきたいと願います。

 



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