シリーズ福音に生きる5 2009/03/29
『聖霊の息吹によって』

IIテモテ3:16

 前回私たちは、聖書が神が私たちに語りかけておられる神の言葉であり、救い主イエス・キリストを証しするものであることを学びました。今晩はそれに続いて、さらに聖書が如何なる書物であるのか、特に聖書が神の言葉である、ということについてご一緒に御言葉から教えられていきたいと思います。

(1)救いを与える神の言葉
 教会は聖書を誤りのない神の言葉と信じて、この聖書の言葉を大変重んじ、毎週の礼拝で聖書の言葉が開かれ、牧師がこれを説き明かすということを続けています。それほどに聖書は私たちにとってかけがえのない神の言葉であるのですが、なぜそのように言うことができるのか、聖書という書物の性格を最も端的に言い表しているのが、今日開かれているIIテモテ3章16節の御言葉です。「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です」。
 ここでは聖書が私たち人間にとって「教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です」として、その実際的な効力ということが述べられていますが、しかしここで語られているのは、聖書が単なる人間生活一般についての処世訓や格言集、金言集のようなものであるということではありません。大切なのは聖書が語る言葉は一貫して「神の御前」における人間のあり方が問われているということです。人間の考える善悪の基準はその時々の状況によって変わりうる相対的なものです。これが正しいと思ってひたすらそれに従って歩んでいっても、時にはそのルール自体が変わってしまうということがあり得るのです。しかし聖書が示すのは神の与えられる絶対的な基準であって、いかに時代が移り変わろうとも変わることのない普遍的なものであり、しかもその中心にあるのは、前回学んだように、救い主イエス・キリストを私たちに証しするという点にあるのでした。ですから今日の3章16節は必然的にその前の15節、「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです」。この御言葉との結びつきで理解しなければならないものなのです。

(2)神の霊感による書物
次に、聖書の御言葉が私たちに神の救いと、救われた者として生きる基準を与える有益な書物であることの根拠について、「神の霊感による」と記されます。「霊感」と聞くと、何から少々怪しげな響きに聞こえるかも知れませんが、聖書が神の霊感によって書かれたというとき、それは何か神懸かり的な恍惚状態の中で文字に書き写されたということではありません。聖書は神の言葉でありますが、同時に聖書という書物は66巻からなる書物の集成であり、分かっているだけでも四十名以上の書き手が関わっています。このテモテへの手紙にしても、パウロという人物が書き送った手紙です。そこではパウロ自身の知性や個性、その言葉の選び方、筆の運びなど、人間パウロが書き送った手紙としての特色がよく表れています。このように、聖書は紛れもなく人間の手による書物でもあるのです。しかし、それでありながら聖書は神の霊感による、神の霊の働きかけによるというのは、いったいどういうことなのでしょうか。
ここで「霊感」と訳される言葉は、英語では「インスピレイション」という言葉です。よく芸術家が「〜にインスパイアされる」というような言い方をしますが、問題はインスパイアされるという状態そのものよりも、それが何によってもたらされるかという起源の問題です。新約聖書の原語であるギリシャ語では、「霊感」と訳される言葉は「セオプネウストス」という言葉で、「神」(セオス)と「吹き込む」(プネオー)という言葉が合わさってできています。新約聖書では「霊」のことを「プネウマ」と言うのですが、これも同じく「プネオー」から来ています。これらの言葉は旧約聖書に起源を持っているのですが、旧約聖書で「霊」を意味する「ルアハ」というヘブライ語は、そもそも「息」という意味を持っていました。ですから今日の「神の霊感による」という言葉を旧約以来の聖書の持つ意味合いに沿って言い換えると、「神の息吹による」となるのです。それで新改訳聖書も今日の16節の欄外注で「神の息吹による」と記しているのです。

(3)聖霊の息吹によって
 つまり、聖書とはその時代時代にあって神と共に生きた人々を、神が特別に選び出し、その一人一人の個性や知性、その生き方や価値観、そしてその表現など、その隅々に及ぶところの一切を、神の霊の働きかけのうちに用いて、彼らが書き記した言葉、その言葉が紡ぎ出される状況、それが書物に纏め上げられていく過程のすべてをご自身の霊の守りのうちに導き、そこに主なる神が私たちに伝えたいと願っておられるすべてことが、何一つ誤ることなく、何一つ欠けるところなく、完全かつ十分に書き表されているということなのです。
 このように聖書は、主なる神の私たちに対する御心を、とりわけ救い主、御子イエス・キリストによる救いの御心を、私たちに伝える誤りなき神の言葉として与えられていますが、それは聖霊の息吹、霊の働きかけの中で守られ、保たれているのであって、それゆえに私たちはこの聖書の言葉を信頼し、この御言葉に導かれて、救いへの道を辿っていくことができるのです。こうして神の霊の働きかけ、聖霊の息吹によって記された神の言葉であるからこそ、また私たちは今晩も、聖霊の働きかけを祈り求めながらこの御言葉に聞いています。聖霊によって書かれた書物であるゆえに、聖霊によってその言葉を受け取ることができる。私たちもこの神の霊の息吹の中に招かれている者として、心開いて、神が語っていてくださる救いの言葉、いのちの言葉、希望の言葉に聞き続け、その言葉によって生きていく者でありたいと願います

 



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