シリーズ福音に生きる4 2009/03/22
『主イエスをあかしする書物』

ヨハネ5:39

 私たちは、福音のよきおとずれの言葉を私たちはどこで聞くのか。私たちはそれを教会で聞く、礼拝で聞くということを教えられて来ました。そこで今晩は、教会で説き明かされる神の御言葉、この「聖書」ということについてともに教えられていきたいと思います。

(1)神の言葉、聖書
 教会ではことあるごとに聖書が開かれます。礼拝でも聖書に記された神の言葉が説き明かされ、毎日、私たちは聖書の御言葉に養われて歩んでいくのです。たかが一冊の書物がどうしてそれほどまでに大切なのか、と思う方があるかも知れません。それは聖書の御言葉が、主なる神が私たちに与えてくださった神の言葉であり、私たちにとってなくてならないいのちのことばであるからなのです。私たち人間は言葉によって生きる存在です。生まれた時から、私たちはどんな言葉を聞いて来たか、どういう言葉を語りかけられて来たか、それはその人の人格形成において大きな影響をもたらすものでしょう。酷く汚い言葉ばかりを聞き続けるならば、その人は健やかな自尊心を持つことができず、やはり他者に対しても攻撃的な言葉を口にするようになるでしょうし、愛の語りかけなくしては、人は自分のことも他者のことも愛することができなくなってしまいます。しかし主なる神は私たちに対する最も根源的な言葉として、聖書を通して語っていてくださる。その愛の語りかけを聞き続け、いのちの言葉に養われ続けることによって、言葉によって生きる人間は、その本来の人間らしさを回復していくことができるのです。
 しかし、現実にはこの分厚い一冊の書物と取り組むのはなかなか大変なことです。どこからどう手を付けていけばよいか、むやみやたらに挑んでも跳ね返されそうになるときがあるのです。だからこそ相応しい助け、手引きが要りますし、一緒に進んで行くれる道案内も必要です。教会で一緒に聖書を開き、礼拝において牧師を通して御言葉の説き明かしを聞く。これらはまさに私たちが神の言葉と出会い、その言葉に養われるために必要な恵みの手段と言えるのです。

(2)主イエスをあかしする書物
 そもそも、私たちが一冊の書物と取り組もうとするとき、まずはその本がどういう性格の本で、どういう内容が記されていて、何のために書かれた書物であるかを確かめることなしにその本を読み進めることはあり得ないことでしょう。では一体聖書とはどのような書物なのでしょうか。そこで今晩の御言葉をもう一度読んでおきましょう。ヨハネ福音書5章39節です。「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです」。私たちの属する日本同盟教団の信仰告白の第一項には次のように記されています。「旧、新約聖書六十六巻は、すべて神の霊感によって記された誤りのない神の言葉であって、救い主イエス・キリストを顕し、救いの道を教え、信仰と生活の唯一絶対の規範である」。この短い文章の中に聖書についての大切な教えが幾つも含まれているのですが、今晩特に注目したいのは、聖書は「救い主イエス・キリストを顕す」書物であると言われていることです。これだけ分厚い聖書が目指していることは何なのか。それを外してしまっては、せっかく聖書をどれだけ熱心に読んだとしても、ピントがはずれたことになってしまうでしょう。確かに聖書は世界の古典の中の古典ですし、いくつもの格言のような知恵の言葉が記されています。一つの教養として読んでおいて損はない書物ですし、欧米の文化を理解するにも聖書の基礎知識は欠かすことができません。
 しかし最も大切なことは、主なる神が聖書を通して最も伝えたいと思っていることを私たちが受け取るということです。その時に、私たちの中に真の意味で聖書が分かる、ということが起こってくるのです。主イエス・キリストは言われます。「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです」。聖書とはいかなる書物か、それは「わたしについて」すなわち
神の御子、私たちの救い主イエス・キリストを証しする書物です。聖書の語りかけを通して、今も私たちに愛の言葉を、いのちの言葉を語りかけていてくださるこのお方と出会うことが、聖書の記された一番の目的なのです。

(3)聖書の目的
 さらに言えば、聖書の御言葉を通して私たちが主イエス・キリストとの出会いを果たすとき、そこで私たちの本当の救いがもたらされます。同じヨハネ福音書の20章31節にはこのように記されています。「しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである」。旧新約聖書66巻の目的を一言でまとめればこの御言葉に行き着きます。聖書はなんのために書かれたのか、なぜ私たちは聖書にこだわり続け、聖書の言葉に聞き続けるのか。それは、この聖書を通して、私たちがイエス・キリストを神の御子、私たちのただ一人の救い主であることを信じ、このお方を信じることによって永遠のいのちの祝福にあずかっていくためなのです。
 世にはあまたの良い教え、思想、宗教はあるでしょう。また聖書を古典として緻密に研究する学者たちも大勢います。聖書を教養として学び、その教えをよい人間の生き方の指針として用いる人もあるでしょう。しかし聖書自身が最も願っているその目的を外してしまってはなりません。聖書が一番語り伝えたいと願っていること、いや、聖書を通して主なる神ご自身が私たちに語りたいと願っておられるこのメッセージを、私たちも真正面から聞き、受け取り、そして主なる神が差し出してくださっているイエスの御名によるいのちを私のものとさせていただいて、この聖書の御言葉に導かれる歩みをここからはじめて行きたい、そして歩み続けて行きたいと思います。

 



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