エステル記講解その9  2011/10/15
『悲しみが喜びに』

エステル記9:1-32

 いよいよエステル記も終わりに近づいてきました。今日は、イスラエルの民の悲しみが喜びへと大きく覆されていく姿を通して、主なる神の人知を越えて働かれる救いの御業をともに覚えたいと思います。

(1)二つの法令の施行
 ユダヤ人を絶滅させようとするハマンの策略が頓挫し、ユダヤ人たちの自衛権を確立する新たな法令が発せられて、ペルシャ国内は緊張状態を脱したかと思いきや、今日の9章では新たな国内の混乱が引き起こされる様が描かれていきます。その原因はこれでした。1節。「第十二の月、すなわちアダルの月の十三日、この日に王の命令とその法令が実施された」。実にこの日、二つの法令がそれぞれ効力を発揮しはじめたのです。一つの法令は、今は亡きハマンの策略によって出されたもので、3章12節、13節に次にように記されていました。「そこで、第一の月の十三日に、王の書記官が召集され、ハマンが、王の太守や、各州を治めている総督や、各民族の首長たちに命じたことが全部、各州にはその文字で、各民族にはそのことばでしるされた。それは、アハシュエロスの名で書かれ、王の指輪で印が押された。書簡は急使によって王のすべての州に送られた。それには、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに、若い者も年寄りも、子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪えとあった」。
 これに対して、いま一つの法令は、先の法令を覆すべくモルデカイによって準備されたもので、8章10節から12節にこう記されます。「モルデカイはアハシュエロス王の名で書き、王の指輪でそれに印を押し、その手紙を、速く走る御用馬の早馬に乗る急使に託して送った。その中で王は、どこの町にいるユダヤ人にも、自分たちのいのちを守るために集まって、彼らを襲う民や州の軍隊を、子どもも女たちも含めて残らず根絶やしにし、殺害し、滅ぼすことを許し、また、彼らの家財をかすめ奪うことも許した」。つまりアダルの月の十三日とは、ペルシャの人々がユダヤ人を滅ぼすことを認める法令と、ユダヤ人がそれに対して抵抗することを認める法令という、相反する法令が実行される日だったのです。
 
(2)自衛のための戦い
 実際には、ハマン亡き後のペルシャ国内ではユダヤ人を抵抗する者はなかったというのですが、それにしても3節から15節までにはシュシャンの都を中心として、各地で繰り広げられるユダヤ人たちによる殺戮の様子が生々しく描かれていきます。こういう箇所を私たちはどう受けとめたらよいのか、正直に言って戸惑いを覚え、躓きさえ感じさせられるような描写です。このような報復が許されていいのか。今の私たちの倫理感覚からすれば、この9章はなかなか受け入れ難いものであると申し上げなければなりません。しかしながら、敢えてそこで注意を払っておきたいのが例えば5節の「ユダヤ人か彼らの敵を」や「自分たちを憎む者を」、16節の「自分たちのいのちを守り、彼らの敵を除いて」、「自分たちを憎む者七万五千人を殺した」という言葉です。すなわちそこにはなおユダヤ人たちを滅ぼそうと剣を取る者たちが大勢いたのであり、それに対するいわば自衛のための戦いであったのであり、私たちはこの章を、ユダヤ民族が絶滅の危機から脱したストーリーとして読むことが相応しいということです。その大事なポイントが1節にありました。「この日に、ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたのに、それが一変して、ユダヤ人が自分たちを憎む者たちを征服することになった」。この鮮やかな大逆転、大ドンデン返しこそが、この章を読む基本的な視座なのだということです。

(3)プリムの祭り
 こうして民族絶滅の危機を脱したユダヤ人たちが、アダルの月の第十四日、十五日を祝宴と喜びの日として祝った様子が16節から25節に記されます。そしてさらに26節から32節には、この日が「プリムの祭り」と名付けられて、ユダヤ人たちにとっての救いと解放の記念日と定められた次第が記されるのです。26節から28節。「こういうわけで、ユダヤ人はプルの名を取って、これらの日をプリムと呼んだ。こうして、この書簡のすべてのことばにより、また、このことについて彼らが見たこと、また彼らに起こったことにより、ユダヤ人は、彼らと、その子孫、および彼らにつく者たちがその文書のとおり、毎年定まった時期に、この両日を守って、これを廃止してはならないと定め、これを実行することにした。また、この両日は、代々にわたり、すべての家族、諸州、町々においても記念され、祝われなければならないとし、これらのプリムの日が、ユダヤ人の間で廃止されることがなく、この記念が彼らの子孫の中でとだえてしまわないようにした」。
 これが仮庵、過越、五旬節と並んでユダヤの四大祭りとなるプリムの祭りの起源です。「プリム」とは「くじ」を意味する「プル」から来た言葉ですが、まさにくじがひっくり返され、大逆転が起こり、悲しみが喜びに変えられた鮮やかな救いの記念日なのです。ユダヤ人たちは絶体絶命の民族存亡の危機から、鮮やかに形勢がひっくり返され、ユダヤ人の勝利の日となったこの日を歴史の中に刻み込み、繰り返し語り伝える日としました。まさに出エジプトに次ぐ神の救いの記念日です。本書の中で一度も直接そのお姿を表しなさらない生ける神が、アハシュエロス、ハマン、モルデカイ、そしてエステル、その他、名前も知られない多くの人々のそれぞれの思惑、策略、勇気、忍耐、決断、それらを用いて実に巧みに歴史を導いておられる。そしてそれらが最後には一つの結論へと導かれていく。それが「悲しみが喜びに」変えられていく姿なのでした。私たちの人生の歩みにも、この神が働いていてくださることを今晩覚えたいのです。父なる神は御子イエス・キリストを通し、聖霊によって今、私たちにも救いの喜びを現実のものとして与えてくださいます。
神の御手が隠され、私たちの目には見えず、それゆえに不安を抱き、恐れ惑い、時に絶望の淵に追いやられるとき、その時にこそ私たちは創造と摂理の神を崇め、その神の御子イエス・キリストの王なる支配を覚え、聖霊によってそれが歴史の中に現実となることを認めて、悲しみを喜びへと変えてくださる主なる神の御手に導かれて、この地上の現実の日々をひたすら歩み続けて行く者でありたいと願います。

 

 



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