エステル記講解その8  2011/09/11
『戦いは続く』

エステル記8:1-17

 エステル記も残すところあと2章となりました。ハマンの失脚によってユダヤ民族絶滅計画は頓挫し、事態は一件落着かと思いきや、今日の8章ではこの出来事の持つ影響の広がりに目を向けさせられます。そこで今晩は与えられた御言葉を通して、地上にあってはなお戦いの続く信仰の歩みについてともに教えられていきたいと思います。

(1)取り消せない言葉
 ハマンの策略が明らかにされ、アハシュエロス王によって彼を木に吊るされます。これによってユダヤ人絶滅計画もハマンもろとも葬り去られたかに思えますが、しかし事態はそう簡単なことではありませんでした。事柄は単にハマンとモルデカイという個人間の問題に留まるものでなく、また王も単に個人として振る舞っているだけではない。そこでは国家が立ちはだかり、王という権威が立ちはだかっているのです。そこでは単に個人の事情ですべてを動かすことのできない様々な問題があることを思い知らされます。再び王のもとに進み出たエステルは恭しく尋ねます。5節、6節。「もしも王さま、よろしくて、お許しが得られ、このことを王さまがもっともとおぼしめされ、私をおいれくださるなら、アガグ人ハメダタの子ハマンが、王のすべての州にいるユダヤ人を滅ぼしてしまえと書いたあのたくらみの書簡を取り消すように、詔書を出してください。どうして私は、私の民族に降りかかるわざわいを見てがまんしておられましょう。また、私の同族の滅びるのを見てがまんしておられましょうか」。ここにあるように、ハマンがいなくなったからと行って問題が解決したわけではない。王の名によって発せられたユダヤ人絶滅の命令はいまだその効力を失ってはいないのです。このあたりは当たり前といえば当たり前のことですが、エステル記の内容を個人間の問題に矮小化して読むことができない視点をあらためて意識させられます。
 そこで王は答えます。8節。「あなたがたはユダヤ人についてあなたがたのよいと思うように、王の名で書き、王の指輪でそれに印を押しなさい。王の名で書かれ、王の指輪で印が押された文書は、だれも取り消すことができないのだ」。たとえ悪法であったとしても一度王の名で出された法律は簡単に廃止することができない。それを覆すためには新たな法を定めなければならない。自らの名で発した王自身でさえそれを自由にはできない。権力が暴走しないための手続き厳格さが、時に不合理に見えることがある。今の遅々として進まない東北の姿と思わず重なり合うような光景ではないでしょうか。今もなお戦いは続いているのです。

(2)早馬の急使に託して
 こうして王から先の法令を廃止するための新たな法を定めることを許されたモルデカイが、実際に法案を起草、制定、発布するまでのいきさつが9節から14節に記されます。そこで目を留めたいのが10節、「モルデカイはアハシュエロス王の名で書き、王の指輪でそれに印を押し、その手紙を、早く走る御用馬の早馬に乗る急使に託して送った」、そして14節、「御用馬の早馬に乗った急使は、王の命令によってせきたてられ、急いで出て行った。この法令はシュシャンの城でも発布された」というくだりです。新たな法の制定を急ぐモルデカイ。その理由が11節、13節から見えてきます。11節。「どこの町にいるユダヤ人にも、自分たちのいのちを守るために集まって、彼らを襲う民や州の軍隊を、子どもも女たちも含めて残らず根絶やしにし、殺害し、滅ぼすことを許し、また、彼らの家財をかすめ奪うことも許した」。13節。「各州に法令として発布される文書の写しが、すべての民族に公示された。それはユダヤ人が、自分たちの敵に復讐するこの日の準備をするためであった」。つまりペルシャ国内ではすでに先の法令に基づいてユダヤ人への迫害が始まっていたのでしょう。そもそも捕囚の民であるユダヤ人たちが彼の地で虐げられ続けていたことは容易に想像がつきます。それに一層の拍車がかかり、ユダヤ人たちへの迫害によって生命の危険が脅かされても、法的な保護を受けることすらできない中で、モルデカイは一刻も早く先の法を撤廃するために早馬を走らせて、各地に新法の周知徹底を図り、ユダヤ人への不当な暴力を防ぐとともに、ユダヤ人たちは正当な自衛の権利を確立しようとするのでした。

(3)光、喜び、楽しみ、栄誉の日
 こうして新たな法がペルシャ各地に知らされ、ユダヤ人絶滅の法は撤回されました。その時、ユダヤ人たちの間に大きな喜びがわき上がった様子が描き出されます。15節から17節。「モルデカイは、青色と白色の王服を着、大きな金の冠をかぶり、白亜麻布と紫色のマントをまとって、王の前から出て来た。するとシュシャンの町は喜びの声にあふれた。ユダヤ人にとって、それは光と、喜びと、楽しみと、栄誉であった。王の命令とその法令が届いたどの州、どの町でも、ユダヤ人は喜び、楽しみ、祝宴を張って、祝日とした。この国の民のうちで、自分がユダヤ人であることを宣言する者が大ぜいいた。それは彼らがユダヤ人を恐れるようになったからである」。残る9章、10章はユダヤ人たちのペルシャでの逆襲の様子が記されて、正直言ってあまり後味のよいものではないのですが、それにしても忘れてならないのはそこに描かれることのない、しかし私たちの想像を超えたペルシャにおけるユダヤ人迫害の現実があったということです。悲しみと痛みが深くつらいものであればあるほどの、彼らの喜びの姿であったことに今晩よく思いを馳せたいと思います。
 今晩の説教題に「戦いは続く」とつけました。すでに主イエス・キリストによる究極の勝利が与えられていてもなお、地上では戦いの続く私たちの日々の姿に、今日の御言葉は光を当てているように思います。なおこの世には様々な悪法がはびこり、一つ法を変えるにも多くの手続きを必要とし、しかもそれは私たちの手には届かない遠い世界で操られているようにすら見える。そこで一番私たちを脅かすのは「諦め」です。しかし望みを持って忍耐しつつ戦い続ける日々の延長線上においてしかまことの勝利に至る道はない。このことにあらためて思い定めて、なお戦いの続く日々を歩んでいくものでありたいと思います。キリストにある勝利を確信する者たちとして。

 



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