エステル記講解その7  2011/09/04
『私の願い』

エステル記7:1-10

 今晩はいよいよ物語のクライマックスに向かう大事な場面を通して、神の御心が歴史の現実の中に姿を現していく様を、ともに御言葉から教えられていきたいと思います。

(1)私の願い
 6章を挟んで、エステル記のストーリーは大きな転換点を迎えました。ハマンによるユダヤ人絶滅計画は、王の命令が出されたことによっていよいよ実行を待つばかりとなり、モルデカイを亡き者にするための柱もハマンの家の庭に立てられて、ハマンからすればすべての準備が万端整ったかに見えたところ、ユダヤ人から見ればまさに絶体絶命のところで、大きく形勢が逆転し始めたのです。6章にあったように王はモルデカイの功績を知って彼を称え、ハマンはそれを知って地団駄を踏む。それに続くのが今日の7章です。エステルの酒宴がまたもや開かれ、王とハマンが招かれます。前回の時は浮かれ気分であったハマンも今度はそういうわけにはいかなかったでしょう。その席で王はまたしてもエステルにこう尋ねるのです。2節。「あなたは何を願っているのか。王妃エステル。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう」。これまで同じような申し出を受けては、その答えを胸の内に抱き続けてきたエステルが、ここに至ってついにその一番の願いを口にします。3節、4節。「もしも王さまのお許しが得られ、王さまがよろしければ、私の願いを聞き入れて、私にいのちを与え、私の望みを聞き入れて、私の民族にもいのちを与えてください。私も私の民族、売られて、根絶やしにされ、殺害され、滅ぼされることになっています。私たちが男女の奴隷として売られるだけなら、私は黙っていたでしょうに。事実、その迫害者は王の損失を償うことができないのです」。
 エステルの願い、それははっきりしていました。すなわちハマンの策略によって定められたユダヤ民族絶滅計画の撤回を求めるということです。そのためには彼女もまた自らがユダヤ人であることを明らかにしなければなりませんでした。それは場合によってはエステル自身をも絶滅計画の対象に自らを含めることになるのですが、しかしそういうリスクを冒すことなしには申し出ることのできない願いを彼女は口にしたのです。

(2)ハマンの末路
 こうしてユダヤ人絶滅計画が正当な理由を持たない策略であることが明らかにされると、アハシュエロス王は怒りに燃えてこう言います。5節。「そんなことをあえてしようとたくらんでいる者は、いったいだれか。どこにいるのか」。そこでエステルはすかさず言うのです。6節。「その迫害する者、その敵は、この悪いハマンです」。こうしてエステルがなぜ王とハマンだけを招いた酒宴を開いたかの理由も明らかにされるのでした。ハマンは当初、王と自分だけが招かれたことに浮かれていたのですが、それが大きな勘違いであったことが露わにされ、それだけでなく今や自分自身が窮地に追いやられたことを覚ると、「王と王妃の前で震え上がった」のでした。
 しかしなお往生際の悪いハマンは最後のあがきに出ます。7節から10節。「王は憤って酒宴の席を立って、宮殿の園に出て行った。ハマンは王妃エステルにいのち請いをしようとして、居残った。王が彼にわざわいを下す決心をしたのがわかったからである。王が宮殿の宮から酒宴の広間に戻って来ると、エステルのいた長いすの上にハマンがひれ伏していたので、王は言った。『私の前で、この家の中で、王妃に乱暴しようとするのか。』このことばが王の口から出るやいなや、ハマンの顔はおおわれた。そのとき、王の前にいた宦官のひとりハルボナが言った。『ちょうど、王に良い知らせを告げたモルデカイのために、ハマンが用意した高さ五十キュビトの柱がハマンの家に立っています。』すると王は命じた。『彼をそれにかけよ。』こうしてハマンは、モルデカイのために準備しておいた柱にかけられた。それで王の憤りはおさまった」。
 これが、自分こそ王に並ぶ、いや王さえも超え出る権力者であるとおごり高ぶったハマンの哀れな行く末でした。一時はすべてを自分の意のままに操れるかのように錯覚し、思い一つで一つの民族を滅ぼすことさえしようと考えたハマン。しかし主は彼の傲慢と横暴を決して見逃すことをなさらない。この厳粛な出来事を心に刻みたいのです。

(3)私の願いの吟味
 こうしてハマンは木にかけられて、エステル、モルデカイ、そしてユダヤの民への危機は過ぎ去っていきます。エステルの願った「私の願い」は、ハマンが抱いた「私の願い、私の野望」とは全く異なるベクトルを持っていたことに気づかされます。当初、モルデカイがエステルに王のもとに行くようにと願ったとき、彼女の中には躊躇いの心がありました。もし王の気持ちを損ねれば彼女自身の命が取られる恐れがあったからです。しかしあのとき、エステルは、自分が王宮にいるのは「この時のため」と思い定め、そして掟を破ったことで死を招くことになったとしても、それへの覚悟も決めたのでした。そこではエステルの願いは、もはやエステルひとりの願いを超え出ています。彼女は神の民をいわば代表して願っているのです。そこではひとりの人の願う「わたしの願い」は、単に個人の願いに留まってはいません。すべての権力を自分の手中に集め、すべての人を巻き込んででも自分の願いを達成しようとするハマンの願いと比べるならば、エステルの願いは、むしろ一人の「私の願い」がすべての人のために差し出されていく願いなのです。
 そのような一人の人の自らの命を差し出すようにして願われた、すべての人のための願い。それによってすべての人々の命が救われた。このことの意味を今晩深く思い巡らしたいと思います。そしてそのような一人の人の願いととりなしによって私たちがいま生かされているという事実に思いを至らせたいと思います。それによって私たち自身が神に願う「私の願い」もまた吟味され、整えられ、きよめられていくのです。

 

 



日本同盟基督教団 徳丸町キリスト教会
〒175−0083
東京都板橋区徳丸6−24−10
TEL 03−3935−3405
FAX 03−3935−3445

メールでのお問い合わせ
管理人


Copyritht ©The Evangelical Alliance Mission Tokumarucho Christ Church All Rights Reserved.