エステル記講解その5  2011/08/07
『私が願い、望んでいること』

エステル記5:1-14

 今晩は、エステル記5章を通して、神の救いを信頼しながら、忍耐強く思慮深く歩んでいく信仰者の生き方について教えられてまいりたいと思います。

(1)エステルの勇気と品性
 モルデカイを通して、ユダヤ民族を絶滅させようという恐るべき計画が進んでいるのとを知らされたエステルは、この計画を何とか止めるためにアハシュエロス王の元へと向かいます。王からの呼び出しのないままに王の元に進み出ることは、万が一王の機嫌を損ねれば即刻、死に繋がるような一大決心を必要とする振る舞いです。けれども彼女は今自分がここにいるのはこのときのためかもしれないと思い定めると、三日三晩の断食の末に覚悟を決めて王の元に出向くのでした。1節、2節。「さて、三日目にエステルは王妃の衣装を着て、王室の正面にある王宮の内庭に立った。王は王室の入口の正面にある王宮の王座にすわっていた。王が、庭に座っている王妃エステルを見たとき、彼女は王の好意を受けたので、王は手に持っていた金の笏をエステルに差し伸ばした。そこで、エステルは近寄って、その笏の先にさわった」。
 こうして彼女の勇気溢れる行動の結果、彼女は王の好意を受けることができ、そればかりか王は彼女にこうも尋ねるのです。「王は彼女に言った。『どうしたのだ。王妃エステル。何がほしいのか。王国の半分でも、あなたにやれるのだが』」。王のエステルへの寛大な振る舞いは、ただその時の王の気まぐれということではなく、むしろエステルの王室での日々が醸し出すかぐわしさの故ではなかったでしょうか。付け焼き刃でない彼女の内側から溢れ出る品性が、いざという時に王の前に立つことを得させたのではないかと思うのです。
 
(2)エステルの思慮深さ
 王から「何がほしいのか」と問いかけられたエステルは答えます。4節。「もしも、王さまがよろしければ、きょう、私が王さまのために設ける宴会にハマンとごいっしょにお越しください」。こうして王はハマンを引き連れてエステルの主催した宴に出ると、その席上で重ねてエステルに問います。6節。「あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう」。この問いかけに対しても、エステルは次のように答えるのです。7節、8節。「私が願い、望んでいることは、もしも王さまのお許しが得られ、王さまがよろしくて、私の願いをゆるし、私の願いをかなえていただけますなら、私が設ける宴会に、ハマンとごいっしょに、もう一度お越しください。そうすれば、あす、私は王さまのおっしゃったとおりにいたします」。
 エステルの願いははっきりしていたはず、すなわちユダヤ人絶滅の命令を王に撤回してもらうこと以外にはありません。けれどもエステルがここでその願いをすぐに口にせず、むしろ度々宴会を開いてはハマンを王とともに招くという、一見すると実に回りくどい手段をとるところを見ると、エステルの中には未だ確たる見通しや計画があるわけではなかったのかといぶかしく思えます。しかし私たちはこの彼女の振る舞いにむしろ、彼女の三日三晩の断食の中で巡らされたに違いない思慮深さを見たいと思うのです。もしかするとエステルには王が気分一つで大事な決断をしてしまう弱さがあると見抜いていたのかもしれません。いくら王にユダヤ人絶滅命令を撤回してほしいと願っても後でハマンに丸め込められてしまっては元も子もない。むしろ王とハマンが一緒の席でこそ、この命令の撤回を求めなければならない。そのタイミングが訪れることを願っての繰り返される宴席ではなかったかと思うのです。しかし実際にはこのエステルの思慮深ささえ軽々と乗り越えて主なる神の救いの御手が差し伸ばされることになるのですが、それにはもう少し先を待たなければなりません。

(3)ハマンの浅薄さ
 エステルの思慮深さとは実に対照的になのがハマンの浅薄さです。9節。「ハマンはその日、喜び、上きげんで出て行った。ところが、ハマンは、王の門のところにいるモルデカイが立ち上がろうともせず、自分を少しも恐れていないのを見て、モルデカイに対する憤りに満たされた」。王妃からの特別の招きを受けて浮かれ気分のハマンですが、自分の権力に酔いしれる彼にとって玉に瑕なのが、相変わらず自分になびくことをしないモルデカイの存在でした。権力を握ると舞い上がる俗物は、必要以上にその権力をひけらかしたがり、皆がその権力に屈することを求めます。あたかも自分が全能者、神であるかのように錯覚して振る舞うのです。11節。「ハマンは自分の輝かしい富について、また、子どもが大ぜいいることや、王が自分を重んじ、王の首長や家臣たちの上に自分を昇進させてくれたことなどを全部彼らに話した」。こうしてみると恐らくハマンはアハシュエロス王のことも内心では見下していたのではないでしょうか。自分にとっては操りやすい無能な王だとさえ考えていたのではないかと思います。こうして有頂天のハマンは言うのです。12節、13節。「しかも、王妃エステルは、王妃が設けた宴会に、私のほかは誰も王といっしょに来させなかった。あすもまた、私は王といっしょに王妃に招かれている。しかし、私が、王の門のところにすわっているあのユダヤ人モルデカイを見なければならない間は、これらのことはいっさい私のためにならない」。
 たった一人の存在さえ気にかかってしょうがない。権力の絶頂にあるハマンの、しかし小心者の姿があらわにされます。そんな彼に妻や友人は言うのです。14節。「『高さ五十キュビトの柱を立てさせ、あしたの朝、王に話して、モルデカイをそれにかけ、それから、王といっしょに喜んでその宴会においでなさい。』この進言はハマンの気に入ったので、彼はその柱を立てさせた」。自分の気に入らない者は排除する。そんな彼の考えを正してくれる友は彼の周りにはいません。むしろ彼の権力を恐れ、あるいは媚びへつらい、それに首尾よく便乗しようという輩が彼の周りには集まっていました。そんな彼らの進言に、ハマンは便乗し、モルデカイを吊すための柱を用意させるにいたるのです。この柱がこのあとどのようになっていくのか。その次第ももう少し先になりますが、ここではエステルの思慮深さと、ハマンの浅薄さが見える対照的な姿を目にとめておきたいと思います。自分の願い、自分の望み、それを自己中心的に追求して突き進んでいく人間の罪の姿と、自分の願い、自分の望みを、単に自己中心な願いではなく、大きな神の御心の中に見つめていこうとする信仰者の姿とを、今晩よく心に刻んで、主から与えられる知恵を追い求めて、忍耐図よく生きる私たちでありたいと願うのです。

 

 



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