エステル記講解その3 2011/07/17
『人の企て、神の計らい』

エステル記3:1-15

 今晩は、エステル記3章を通して、人の悪しき企てが続く中にあってなおご自身の民に対するお取り計らいを続けてくださる生ける神の御手の確かさについて教えられてまいりたいと思います。
 
(1)ハマンの登場
 1章、2章でエステル記の舞台設定が整ったところで、いよいよ本書のストーリーが動き始めます。そこで登場するのが本書の主な登場人物の一人である王の家臣ハマンです。1節。「これらの出来事の後、アハシュエロス王は、アガグ人ハメダタの子ハマンを重んじ、彼を昇進させて、その席を、彼とともにいるすべての首長たちの上に置いた」。何故に王がこのハマンたる人物をこれほどに重用したのかは定かではありませんが、人一倍名誉欲が深く、また上手に王の懐に飛び込んでいくような人たらしであった一方で、自分への絶対服従を強制するような権力欲に取り憑かれた俗物といってよい人物であったことが、続くエピソードから浮き彫りにされていきます。そしてそのことがモルデカイとの衝突を生むことになるのでした。2節から4節。「それで、王の門のところにいる王の家来たちはみな、ハマンに対してひざをかがめてひれ伏した。王が彼についてこのように命じたからである。しかし、モルデカイはひざもかがめず、ひれ伏そうともしなかった。王の門のところにいる王の家来たちはモルデカイに、『あなたはなぜ、王の命令にそむくのか。』と言った。彼らは、毎日そう言ったが、モルデカイが耳を貸さなかったので、モルデカイのこの態度が続けられてよいものかどうかを見ようと、これをハマンに告げた。モルデカイは自分がユダヤ人であることを彼らに打ち明けていたからである」。
 他の王の家来たちも、心からハマンにひざまづいていたとは思えません。心の内ではハマンへの不満がうごめいていたのではないかと思います。けれども表だって反抗する勇気がない。心の内の思いと外側に現れる振る舞いとを上手に使い分けながら、ハマンの顔色をうかがい、ご機嫌取りをし、彼にひざまづき、ひれ伏すのです。しかしその中で一人モルデカイだけが毅然とした態度をとり続けます。その理由をエステル書ははっきりとは記しませんが、しかしその点こそが本書における中心点となっていくものなのです。

(2)暴挙に出るハマン
 5節。「ハマンはモルデカイが自分に対してひざもかがめず、ひれ伏そうともしないのを見て、憤りに満たされた」。誰もが自分の権力の前には屈服するに違いないと思っていたハマンには、このモルデカイの行動は許し難いことだったでしょう。時の権力者がすべての民に絶対的な服従を求めるのは、実は彼が自分の権力の脆さを知っているからではないかと思います。一人でもそれに従わない者がいれば瞬く間に己れの権威は失墜する。それを知っているからこそ、躍起になって絶対的な服従を強制する。そこには権力者の中に見え隠れする実は小心者に過ぎない弱き人間の姿が映し出されているのではないでしょうか。
 こうして全く個人的な憤りに満ちたハマンの怒りの矛先は、恐ろしいことにモルデカイ一人に向かうにとどまらず、モルデカイを含む全ユダヤ人へ向けられるのです。6節。「ところが、ハマンはモルデカイひとりに手を下すことだけで満足しなかった。彼らがモルデカイの民族のことを、ハマンに知らせていたからである。それでハマンは、アハシュエロスの王国中のすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの民族を、根絶やしにしようとした」。一人の人間の怒りが、一つの民族を滅ぼすことへと繋がっていく。人間の罪の連鎖の恐ろしさを思います。私たちは個人の罪を蔑ろにすることができません。国家的犯罪もまたもとを辿れば全く個人的な憎しみ、妬み、偏見、差別意識に端を発するということを歴史は証明しています。人の企てが行き着く先がどこまでであるか、自らの罪の深さというものを私たちは決して見くびってはならないのだと思うのです。

(3)神の民のしるし
 こうしてハマンは自らの憤りに端を発したユダヤ人絶滅計画を、冷静沈着に、周到かつしたたかに進めていきます。まず彼がしたのは、もっともらしい理由を付けて王に法令を出させることでした。8節、9節。「あなたの王国のすべての州にいる諸民族の間に、散らされて離れ離れになっている一つの民族がいます。彼らの法令は、どの民族のものとも違っていて、彼らは王の命令を守っていません。それで、彼らをそのままにさせておくことは、王のためになりません。もしも王さま、よろしければ、彼らを滅ぼすようにと書いてください。私はその仕事をする者たちに銀一万タラントを量って渡します。そうして、それを王の金庫に納めさせましょう」。このハマンが語った言葉の中に、モルデカイがハマンにひざをかがめなかった理由が浮き彫りにされます。ハマンは言います。「あなたの王国のすべての州にいる諸民族の間に、散らされて離れ離れになっている一つの民族がいます。彼らの法令は、どの民族のものとも違っていて、彼らは王の命令を守っていません」。
 ここにはかつてバビロン捕囚で異教の地に連れて来られたユダヤ人たちが、その過酷な状況下にあっても神の民としてのあり方を捨てていなかったことが示されています。「彼らの法令は、どの民族のものとも違っていて」とは、まさに彼らが神の民の法に従って生きていたことの証しでしょう。モルデカイがハマンにひざをかがめなかったのも、それは真の神以外のものを拝むことをしない、律法の教えへの忠実さのゆえであったのです。そしてその神の民としてのアイデンティティーは結果として「王の命令を守っていません」ということにならざるを得なかったのです。ここに私たちは信仰のゆえの良心に従って生きる神の民の一つの姿をみることになります。「誰も皆、ハマンにひざをかがめているではないか。どうしてあなただけそうしないのか。心の中で何を信じても構わないが、外側では皆と同じに合わせるべきではないのか。あなたが神の民、ユダヤ人だと主張するのは構わないが、ここはユダヤではなくペルシャなのだ。郷に入りては郷に従えで、この国の流儀に従うのが当然のこと。違うことをするから目を付けられるのだ」。いかがでしょうか。これは決して遠い昔の遠い国の話しではないということが分かってくるのではないでしょうか。モルデカイ一人の取った態度がユダヤ民族全体の危機を招くことになる。どうしてモルデカイはそんなことをしたのか。おかげでいい迷惑だと、ユダヤ人は考えるのか。それともこれをユダヤ民族全体に突きつけられた信仰告白の事態として捉えるのか。ここが一つの正念場になります。人間の企てに対して神のお取り計らいがいかに為されていくのか。
神なき世界の中で、一人の神を信じる者の戦いが世界を動かしていくことになるのです。

 

 



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