エステル記講解その1  2011/06/19
『神なき世界の中で』

エステル記1:1-22

 今晩から、新たに旧約聖書エステル記をご一緒に読み進めたいと願っています。プロテスタント教会は「聖書のみ」と「聖書全体」という二つのことを大切にしますので、牧師として教会の皆さんに旧約聖書、新約聖書をバランスよく読んでいただきたいと願っていますし、聖書とともに教理も学んでいただきたいと願っています。そんな中で、出エジプト記を読み終えて、次なる説教について祈り、考える中で、エステル記へと導かれました。その主だった理由については、御言葉が説き明かされる中で自ずと明らかにされていくことと思いますが、最初に端的に申し上げると、異教の地ペルシャに生きる主人公エステルと、もう一人の重要な脇役であるモルデカイの姿が、同じく異教の地に少数者として生きる私たちに多くのことを教えている、という確信です。特に信仰の自由が脅かされ、少数者の声がかき消されていこうとする今のこの国にあって、主なる神を信じて生きるとはどのような生き様となるのか。そのことをこの全10章という決して大部ではない書物を通して教えられていきたいと願っています。
 
(1)エステル記という書物
 エステル記はいろいろな意味で旧約聖書39巻の中でも特色ある書物です。三つの点に触れておきたいと思います。第一の点は、旧約聖書の中で女性が主人公になる書物は珍しいのですが、この書物はルツ記とともにエステルという女性の名前が書名になっているという点です。第二の点は、聖書の中に数えられていながらこの書物の中には一度も「神」の名が出て来ないという点です。これは雅歌と並ぶ本書の特色です。そして第三の点は、この書において旧約律法の定めにはない新しい祭りである「プリムの祭り」が定められているという点です。これらの特色がどのような神様からのメッセージとなって私たちに届いてくるのか、期待して読み進めてまいりたいと思いますが、まずは初回ですので、少し本書の背景についても触れておきたいと思います。
 1節に「アハシュエロス王の時代のこと−このアハシュエロスは、ホドからクシュまで百二十七州を治めていた。−」とあります。旧約のイスラエルはサウル、ダビデ、ソロモンの時代の後に南北に分裂し、幾代もの王たちが主なる神に背いて行った結果、北王国は紀元前722年にアッシリヤ帝国によって、また南王国は紀元前586年にバビロン帝国によって滅ぼされます。その際に多くのイスラエルの民がバビロンに捕らえ移される、いわゆる「バビロン捕囚」が行われました。やがてクロス王に率いられたペルシャ帝国が勢力を増してバビロンを滅ぼし、捕囚の民をも解放するのですが、一部には異教の地ペルシャに残った民たちがいました。エステル記はこのペルシャのクロスから三代後の王アハシュエロス、別名クセルクセス王の時代が舞台となっています。それは旧約聖書でいうとエズラ記、ネヘミヤ記、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書といった時代に重なるものです。神の名すら出てこない世界の中で、まことに少数の民が、しかし目には見えずとも生きて働いておられる主なる神を見つめ、その御手に信頼し、民族の危機の時代に勇敢に立ち上がっていく。その信仰の証しの姿を、この「エステル」という一人の女性、聖書がその名を冠するようにして記憶したこの女性の生き様を通して学び取り、ユダヤ人たちが律法に命じられてはいなくても、これは民族の歴史として決して忘れてはならないと決めてプリムの祭りを定めたほどの出来事の持つ意味を、私たちも受け取っておきたいと思うのです。
 
(2)アハシュエロスとワシュティ
 さて、エステル記の主人公であるエステルが舞台に登場するのは次の2章からですが、今日の1章にはそこに至る経緯が記されています。事の発端はアハシュエロス王が催した盛大な宴会にありました。王権の絶頂を迎えていた王は自らの権力を国の内外に誇示する目的もあったでしょう。実に半年にも及ぶ盛大なものであり、特に極めつけは、シュシャンの城で開かれた七日間の宴席でした。きらびやかに飾り立てられた王宮で、金の杯に酒がふんだんに盛られ、人々は無礼講で飲めや歌えの大賑わいを楽しんでいたというのです。
 そんな宴のクライマックスに、主催者であるアハシュエロス王の面目を潰すような事件が起こります。10節から12節。「七日目に、王は酒で心が陽気になり、アハシュエロス王に仕える七人の宦官メフマン、ビゼタ、ハルボナ、ビグダ、アバグタ、ゼタル、カルカスに命じて、王妃ワシュティに王冠をかぶらせ、彼女を王の前に連れて来るようにと言った。それは、彼女の容姿が美しかったので、その美しさを民と首長たちに見せるためであった。しかし、王妃ワシュティが宦官から伝えられた王の命令を拒んで来ようとしなかったので、王は非常に怒り、その憤りが彼のうちで燃え立った」。どんな事情があったかは分かりません。王からすれば皆の前で王妃に顔を潰されたということでしょうが、王妃ワシュティの身になれば、酒の席での余興のような扱いを受けることが耐え難いことであったかもしれません。夫に不忠実な妻だとしてワシュティに批判的な読み方もありますが、ワシュティも王妃としてこれまで様々な席で王をサポートしてきたはずですから、その彼女をしてここまで拒絶させるということは、王が求めた振る舞いが酔った勢いでの常識外れなものであり、彼女の尊厳を冒すものであったと想像できます。ここでは自分の妻を人々の衆目にさらすような愚行を働いた王こそが責められるべきではないかと思うのです。しかし事態は王妃ワシュティに不利に動き始めます。宦官メムカンが中心となって王妃ワシュティを更迭する算段が始まるのです。王に従わない王妃をそのままにしては民たちに対して示しがつかず、妻たちが皆夫に反抗するようになるというのがその理由でした。こうして王はついに国中に書簡を送り、王妃ワシュティはその座を追われることになり、新たな王妃探しが始められることになるのです。
 これが続く2章においてエステルが登場するまえでの経緯です。1章を読んだだけでは先に申し上げた本書の特色の第二点、すなわちこの書物には神の名が一度も出てこないという点だけが印象に残ります。遠い異国で王と王妃の単なる痴話げんかに付き合わされているようなものとも言えなくはない。神の民の苦しみとは程遠い宴会騒ぎを遠くから眺めるばかりのような感覚になると言えなくもない。しかしそんな神なき世界の只中に、実は見えざる神の、確かに生きて働いておられる御手が動き始めようとしているのです。私たちも神なき世界の中に明日から遣わされていきます。どこに神がおられるのか。どこに神の御手が働いているのか。それがいつもさやかに見えているわけではない、いやむしろ見えないような時の方が多い毎日を、しかし私たちは生ける神を信じ、御子イエス・キリストを信じ、助け主の聖霊を信じる者として生きていく。その確信をいただきましょう。

 



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