降誕節記念主日朝拝説教   2018/12/23
『ここに愛がある』

Iヨハネ4:7-10
 
 2018年のクリスマス礼拝を迎えました。私たちの救いのためにお出でくださった神のひとり子イエス・キリストの御降誕を喜び、主にあって心からのご挨拶を申し上げます。クリスマスおめでとうございます。この朝、御前に呼び集められた、愛するお一人一人の上に、主イエス・キリストの豊かな祝福がありますように祈ります。

(1)神の愛のあらわれ
 クリスマスに現れたもの、それは神さまの愛です。聖書の語る愛とは単なる抽象や概念ではありません。それは実に具体的であり、リアルなものです。神さまが私たちを愛しておられる。その愛がどれほどのものかを私たちにはっきりと分かる仕方で表してくださった。それが神の御子が人としてこの地上に来られたという驚くべき出来事の意味です。
 「おめでとう恵まれた方」と突然の御使いの訪問を受けたマリヤ。彼女は自分の人生の中に飛び込んで来た神の介入に対し、「おことば通りこの身になりますように」と受け入れていきました。それをもって聖書はマリヤを「恵まれた人」とする。自分の思い通りの人生を生きるということが恵まれたということでなく、神が私たちの人生の中に入り込んで来てくださることこそが恵み、驚くばかりの恵みだと語り、まさにそのような恵みの出来事が皆さんのうちにもたらされる、キリストが皆さんのもとに来てくださることが本当のクリスマスなのだと言うのです。
 また「あなたの妻は救い主を産む」と聖霊によって知らされたヨセフ。彼もまた思いもかけない唐突な知らせに恐れ惑いながらも、しかしただ黙ってあらわれた神の御心に従って行きます。神の救いの御心が実現することを信じ、「わたしはあなたとともにいる」という約束、インマヌエルの約束を握りしめて、ひたすら神の御心に従って行きました。それをもって聖書は、私たちが神の御心に従って生きる先に、神の御心の実現があることを指し示してくれています。
 さらに「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです」と天の使いを通して、「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」との知らせを受けた羊飼いたち。人々から蔑まれ、社会の隅に追いやられていた彼らに、この喜びの知らせは一番に「あなたがたのために」と伝えられました。それは、福音から最も離れたところにいると思っている私たち、光から最も遠いところにいると思っている私たちにこそ、クリスマスの喜びの知らせは届けられているという事実の確かなしるしです。
 つまり聖書はこれらクリスマスの出来事を総動員しながら、御子イエス・キリストにおいて表された神の愛は、ほかならぬ皆さんおひとりひとりに今日、注がれている。皆さんこそ神に愛される人であり、神の恵みを受け取り、神の御心に素直に従い、神の喜びを自分自身のものとして受け取る人こそが、まことのクリスマスを迎える人なのです。
(2)神の愛、イエス・キリスト
 クリスマスは人々が愛の心を持つ季節、互いに愛を表す時と言われます。確かに家族の間で、友人同士で、普段は面と向かって言えない感謝や愛の心を表し合う時とされます。しかしクリスマスが表す「愛」とはいったいどのようなものなのか。その消息をキチンと押さえることが必要です。それによっては私たちの持っている「愛」という言葉のイメージ、理解、その用い方が変わってくるかもしれない。いやむしろ今までの「愛」ということの意味が覆されて、本当の「愛」が見えてくる。それによってクリスマスの意味も変わり、また私たちの生き方そのものにまで変化をもたらすことになる。それほどに「愛」とは大いなるものです。
 そこでこの朝与えられているヨハネの手紙一4章7節から10節の御言葉に聴きましょう。「愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」。ヨハネはすでに福音書において神の愛についてもっともハッキリとしたことを書き記しました。ヨハネ福音書3章16節の御言葉です。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」。
 今日のヨハネの手紙一4章はこの福音書の御言葉と共鳴し合う大事な御言葉です。中でもこの朝特に大切に読みたいのが9節です。「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです」。まさにこれはクリスマスのことを指しています。神の御子イエス・キリストが人となって私たちのもとに来てくださった。これを聖書は「神の愛が私たちに示された」というのです。さらに10節ではこう言われます。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」。あのクリスマスに嬰児の姿でお生まれくださった御子イエス・キリストは、私たちの罪のための宥めのささげ物だというのです。これは来週から再開するローマ書の学びの中でも特に重要になる言葉です。私たちの犠牲となるために生まれたお方、それがイエス・キリストであり、この方こそが愛だ、ここに愛があるのだ、と聖書は私たちに迫ってくるのです。

(3)教会に生きる喜び
 今日の週報の「牧師室だより」にも書きましたが、12月23日は私たち夫婦の受洗記念日です。34年前の1984年12月23日、私は高校一年生で洗礼を受け、キリスト者になりました。洗礼式には松戸福音教会の齋藤成美先生が来てくださって、司式をしてくださいました。全員で8名の洗礼式だったと記憶しています。
 これも今日の週報の報告欄に記したことですが、この度、教文館から『教会に生きる喜び 牧師と信徒のための教会論入門』という本を出版することができました。高木兄が編集者として最初の企画段階から伴走してくださり、三年越しでようやく出来上がったものです。タイトルにした『教会に生きる喜び』というのは、当初から考えていたもので、それは私自身の深い実感によるものです。私にとって教会に生きることは生まれ育った土浦めぐみ教会から、牧師として仕えた西大寺キリスト教会、東岡山キリスト教会そしてこの徳丸町キリスト教会と、いつも大きな喜びでした。そして自分は本当に教会によって生かされて来たと思います。それは抽象的なことでなく、具体的なことです。この本の中でも書いたことですが、洗礼を受けた1984年のクリスマスの一週間後に父が召されました。年が明けて1月4日に葬儀があり、色々と片付け終わり、もう三学期が始まるという冬休みの最後だったと思います。久しぶりに母と四人兄弟だけになった牧師館の居間のこたつにあたりながら、今後のことを話し合ったことがありました。ここは牧師館であって我が家ではないこと、後任牧師が来たら出なければならないこと、家族が一緒に居られるかわからないこと、今にして思うと随分重たい話しですが、しかしその後、土浦の教会が母を後任牧師として迎えてくださったことで、そのまま牧師館に住み続け、生活も支えられ、それぞれ兄弟たちも養ってもらうことができました。まさに教会に生かされて来たのです。
 神さまの愛、クリスマスに現れた御子イエス・キリストを通しての愛。それらを教会の交わりの中で体験してきたのです。教会がなかったら今の自分はなかったし、教会がなかったら私たちはここにいない。神の愛の確かさは、この交わりにおいて鮮やかに姿を現しています。確かに教会という交わりは完全ではありません。いろいろな欠けがあり、弱さがあります。教会の中にも様々な考えがあり、時には一つになることが難しいこともある。しかしそれでも疑い得ないことは、ここに集う皆さんだれもが間違いなく神に愛されている尊い一人一人であり、また皆さんもその愛で愛されているがゆえに、神を愛し教会を愛するお一人一人だということです。その愛の現れ方には違いがあるかもしれないし、時にはその違いが緊張を孕むことがあるかもしれない。でも神によって愛され、神を愛する者たちだということはいつでも確かめておきたい。イエス・キリストによって示された神の愛を受けた者たちとして、私たちは今ここに生かされているのです。

(4)ここに愛がある
 私たちは今、一年の締めくくりの時を過ごしていますが、教会の暦では待降節から新しい一年の歩みがスタートしました。終わりではなく、始まったばかりです。そしてこのクリスマスからの歩みは明確にイースターに向けて進められていきます。そこには主イエスの地上の御生涯、すなわち十字架への道が横たわっているのです。キリスト者になるということはイエス・キリストのみを主と告白して生きる者となるということです。特にこれからの時代、この国でキリスト者として主を告白して生きることには困難が伴うようになる、迫害の時代が必ずやって来ます。私たちがここから歩み出す道は完成に向かう道ですが、しかし愛に至るには十字架を忍んで歩まなければなりません。私たちが今日から歩み出す日々は、十字架を通って復活に至る道です。苦難を通って栄光に繋がる道です。だからこそ信仰が必要であり、希望が必要であり、そして何といっても愛が、愛が必要なのです。
 私たちは迎える2019年をどのように生きていくでしょうか。徳丸町キリスト教会は迎える年、どんな歩みをしていくでしょうか。徳丸町キリスト教会が、神に愛された人々の群れとして、この愛を確信を持って証しする教会でありたいと願う。愛に飢え渇く人々に、愛に絶望する人々に、愛を疑う人々に、愛を求める人々に、「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」と語り続ける群れでありたい。
 そのためにも私たちの間の互いの愛がキリストの愛を表す者とされていきたいと願います。「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです」。クリスマスの祝福が愛する皆さんお一人一人の上に豊かにありますように。



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