待降節第三主日夕拝説教  2017/12/17
『望みの神』

ローマ15:12-13
 
 待降節第三主日の幸いな一日を過ごして、夕べを迎えました。いよいよクリスマスが近づいてくる中で、慌ただしさの中にも心静めて御言葉を聴く恵みが与えられていることを感謝します。

(1)キリストを見つめよう
 今年のアドベントに「失うもの」に目を留めるという、いささか消極的なテーマを選びました。その理由の一つにこの10月以来経験させられてきた「喪失」の経験があったからです。しかしそのような中で聴いた一つの御言葉で、ようやく一つの心の区切りが与えられました。ヘブル書12章2節の「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい」。キリストを見つめよう、キリストに集中しよう。そう語られた御言葉が深く心に留まりました。自分のうちに溢れ出てくる悔い、自責の念、悲しみ、やりきれなさ、そういうものに支配されるのではなく、むしろそのような経験のただ中にキリストがいてくださる。このキリストに集中しようと語られたのでした。
 これは実に幸いな説教聴聞の経験でした。自分自身が失望、絶望の闇の中に捕らわれかけていたこと、慰めを必要としていたこと、そしてその慰めはただキリストからのみ来ることを、御言葉によって深く教えられたのです。私たちが絶望の闇の中から抜け出すために必要なこと、それは光のもとなる御子イエス・キリストをまっすぐに見つめることです。まさに「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」と教えられるとおりです。

(2)望みの神
 このアドベントの夜、もう一つ朝私たちが心に留めたい御言葉がローマ書15章12節、13節です。「さらにまた、イザヤがこう言っています。『エッサイの根が起こる。異邦人を治めるために立ち上がる方である。異邦人はこの方に望みをかける』」。これは旧約聖書イザヤ書11章10節の救い主メシヤの預言の言葉です。エッサイの根株から起こる若枝、それがダビデの子孫としてお生まれくださった神の御子イエス・キリストです。主イエスは今やすべての者たち、そこには異邦人である私たちも含まれていますが、この私たちを統べ治めてくださる王の王なるお方であられ、「異邦人はこの方に望みをかける」といのです。まさしく御子イエス・キリストこそが私たちの望みの神であられるのです。イスラエルの民はこのイザヤの預言の成就を待ち続けました。いったいどれだけ待ったのか、イザヤの時代から主イエスの誕生の時まではおおよそ七百年と言われます。そんな長い時間、しかし彼らは救い主の来られることに望みをかけてひたすら待ち続けたのです。
 アドベント第一週の朝の礼拝で学んだように、神さまの預言の言葉は、預言者マラキへを最後に途絶え、沈黙の時代に入ります。その間およそ四百年。メシヤの約束はいったいどうなってしまったのかと人々が訝るほどの長い沈黙です。しかもその間のユダヤの歴史は祖国の侵略、抵抗、独立戦争、そして敗北、属国への道を辿るという苦難を味わう激動の時代でした。それでもその時の間、人々は救い主を待ち続けた。諦めることをしなかったのです。
 しかしそれ以上に私たちが覚えたいのはこのことです。すなわち主なる神が私たちの救いを成し遂げると決意してくださり、そのために罪深い私たちの繰り返す罪にもかかわらず、私たちを見捨てず、私たちを諦めず、何としてもあなたを救うと決意し、それを実行してくださった。まさに神ご自身が忍耐の神であられ、そして希望を捨てない真実な神様なのです。それで御言葉は語ります。13節。「どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように」。私たちの神さまは「望みの神」であると聖書は語ります。私たちを愛し、私たちを救うために決して絶望しないお方です。私たちが何度神様に背き、何度神様を悲しませ、何度神様を裏切ってきたことか。にもかかわらず、父なる神は何度でも御子イエス・キリストの十字架の愛を示して、この愛の中に来るようにと招いてくださり、その愛の中に生きるようにと今、聖霊を私たちのうちに送っていてくださるのです。
 
(3)御言葉はゆらぐことがない
 私たちが今年も御子イエス・キリストの御降誕を待ち望んで生きることができるのは、御子を賜るほどに私たちを愛してくださる父なる神が、私たちへの望みを捨てずに、私たちに平和と喜びを満たし、今日もうちに住みたもう聖霊の神の恵みによって、私たちのうちに望みの神を待ち望む信仰を与えていてくださるからなのです。この希望は決して失望に終わらない。なぜなら私たちの望みの神が、聖霊によって今日もご自身の愛を皆さんお一人一人の心に注いでいてくださるのです。
 毎年、この時期にご紹介するドイツの賛美歌詩人ヨッヘン・クレッパーの詩集『キリエ』から、一つの詩を読みたいと思います。クレッパーはナチ・ドイツの時代に生きた信仰者で、聖書の御言葉とルターの言葉に根ざした優れた賛美歌詩人です。ユダヤ人迫害が熾烈になる中、妻子がユダヤ人であった彼は、39歳で家族共々死を選ぶという悲劇的な最期を遂げたのですが、彼の残した詩の中には、最後までキリストの愛を信じ、その愛にすがり、御言葉に対する信頼をゆるがせにしなかった彼の信仰が溢れ出ています。「夕べの慰めの歌」という詩です。「夜がわたしを脅かすたび必ずいつも、あなたの星が現れた。そして、主よ。あなたが仰せになると、あなたの天使がわたしに近づき、わたしに仕える。わたしがどんな苦境に置かれていたときも、あなたは力強い御言葉を送ってくださった。・・・わたしを囲むすべての夜々に、この身をあなたの腕に委ねることが許されている。あなたは愛のほかは何も想わず、わたしを見守り、すべての人を見守られる。あなたは闇の中でわたしを匿い、御言葉は死の床でも決して揺らぐことはない」。
 夜の闇の中にあっても、光なるキリストに望みを置き、ゆらぐことのない御言葉への信頼をもって歩んでまいりましょう。



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