待降節第三主日説教  2014/12/14
『神の喜びを受ける人 羊飼いのクリスマス』

ルカ2:8-20
 
 待降節第三主日の朝を迎えています。二本目のろうそくに火が灯され、いよいよ御子イエス・キリストの到来を祝うクリスマスが近づいて来ました。今日の礼拝に続いて大切な教会総会が控えています。長年祈りを積み上げてきた大事な課題を取り扱おうとしています。これまでの主の導きを振り返りつつ、また一つ一つ道が開かれて今に至っていることを覚え、お一人一人を用いて、しかしその人間の力を超えて働いていてくださる主の御力に与り、生きておられる主の御栄光をともに拝してまいりたいと願っています。
 この朝も、御前に招かれた愛するお一人一人の上に、主の豊かな祝福がありますようにお祈りいたします。

(1)羊飼いたちへの喜びの知らせ
 今年のアドベントからクリスマスにかけての礼拝では、「神の恵みを受ける人」、「神の御心に従う人」、「神の喜びを受ける人」、「神に愛される人」という主題で御言葉に聴き続けていますが、今日はクリスマスの喜びの知らせを一番に伝えられた羊飼いたちの姿を、御言葉を通して見つめていきたいと思います。
 最初のクリスマスの知らせが届けられたのは小さな羊飼いたちの集いでした。羊飼いという職にある人々は、当時の社会にあってはその最も低い層に属する人々でした。町の囲いの外にあって昼夜を分かたず羊の世話をし、囲いの中で営まれる人々の日常から切り離された人々。囲いの中からは卑しい存在とされた虐げられた人々。王の王なる御方の誕生の出来事とは本来ならば最も遠い所に立っているような人々ですが、そのような羊飼いのもとに主の使いは現れて、驚くべき喜びの知らせを告げるのです。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」。
 ここにはとても重要な言葉がいくつも登場しています。一つ目は「すばらしい喜びを知らせに来た」という言葉、二つ目は「救い主」という言葉です。三つ目が「この方こそ主キリスト」という言葉、そして四つ目が「地には平和」という言葉です。最近の新約聖書の研究は、これらのクリスマスの出来事が、当時のローマ帝国の政治的状況との対比の中で記されたことを明らかにしています。そこでは一つ目の「すばらしい喜びを知らせに来た」というのは、もともとの表現では「大きな喜びを福音として告げる」というような言い回しになるのですが、当時の社会にあっての「福音」とは、神にも並ぶとされる偉大なローマ皇帝アウグストの誕生の知らせが帝国全域への「福音」とされたことに対抗するようにして語られたのです。二つ目の「救い主」も同じ文脈で考えられます。「救い主」という言い方はマタイ、マルコ、ルカの三つの福音書の中でルカだけが用いる言葉ですが、これはもともとローマ皇帝に対して使われる言葉です。しかしルカはこれを敢えて飼い葉桶のキリストに対して用いているのです。確かに皇帝アウグストは強大なローマを率いる権力者であり、ローマにおいては神格化された存在です。そのアウグストの前には飼い葉桶に眠る一人の赤ん坊など無きに等しい存在です。しかしこの無きに等しい存在が、実は私たちの救い主である。それで三つ目の「この方こそ、主キリストです」と言われる。「主」、「キュリオス」もまたローマ皇帝の称号でした。つまりルカ福音書はこれらの言葉によってことごとくローマ皇帝を凌駕するまことの救い主、主キリストの誕生というよき知らせ、福音が、当時の社会にあってもっとも虐げられた者たちであった羊飼いに、一番はじめに告げられた、この事実を記すのです。

(2)天には栄光、地には平和
 こうして御使いが喜びの知らせを告げたとき、天からの賛美の歌声が、荒野の闇の中に差し込んだ栄光の光とともに響き渡ります。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」。ここで四つ目の「地には平和」という言葉に注目したいと思います。ローマ帝国においては「平和」は皇帝がもたらすものでした。皇帝アウグストが成し遂げた平和、「ローマの平和」(パックス・ロマーナ)です。クロッサンという聖書学者が次のように言っています。「ローマの平和はすべての争いの終結を意味したのではありません。帝国拡大のための戦争、反乱者鎮圧のための戦いは続きます。被征服者や被抑圧者の視点からは、帝国の平和はまったく違った意味を持ちました」。
 また、古代の歴史家タキトゥスの言葉を引用してこうも言います。「世界の略奪者たるローマ人たちは、すべてを荒らし回って陸地を見捨てた後に、今は海を探し求めている。・・・すべてのものの中で彼らだけが、富と困窮とを同じ情熱で欲している。略奪し殺戮し強奪することを、偽りの名で平和と呼び、無人の野を作ると平和と呼ぶ」。このようにローマ帝国の言う平和は、剣による平和、武力による平和、敵を征服し、支配し、滅ぼした上に成り立つ平和です。そういう「平和」の思想というものに立ち向かうメッセージを御使いは告げた。それが「天には栄光、地には平和」の歌声です。今日、衆議院選挙が行われています。消費税が論点、経済が争点と言われます。しかしそれだけではないでしょう。むしろ平和の問題が大きな争点です。安倍内閣は「積極的平和主義」という名の下に集団的自衛権容認の閣議決定、武器輸出の緩和、国内における米軍の存在感の強化、そしてそのような国造りのための教育政策を次々と打ち出しています。今回の選挙結果次第では憲法9条を中心とした憲法改正は現実味を帯びてくるでしょう。そこでの「平和」はまさにローマ帝国における「平和」に他なりません。
 しかし天の軍勢たちが歌う賛美は、それらローマの平和とは全く異なる響きをもって羊飼いたちの上に届きました。自らを神とするローマ皇帝による圧倒的な軍事力によってもたらされる抑圧と暴力による平和でなく、まことの神の御子、救い主、主イエス・キリストによってもたらされる平和。神との和解をもたらし、地上の敵意を葬り去り、虐げられた者に喜びを告げ知らせ、正義と公正を打ち立てる平和。それこそ羊飼いたちにもたらされた真の喜びの知らせなのです。

(3)私たちへの喜びの知らせ
 この喜びの知らせは、「今日」、私たちに届けられています。「今日、ダビデの町であなたがたのために」と御使いは告げるとルカ福音書は記します。ルカにおける「今日」は聖霊によって絶えず現在化される今日。まさに今のこの私たちに向けて語られる「今日」です。そして御使いは羊飼いたちを「御心にかなう人」と呼びました。平和が御心にかなう人々にあるように」というのです。そしてこのメッセージをこの朝、私たちは私たちへの喜びの知らせとして受け取りたいのです。
 御心にかなう人とは一体誰でしょうか。神様の側に何かしらの条件があって、それをクリアして神様のお眼鏡にかなった人でしょうか。神様の気に入る何かでその身を飾っている人でしょうか。もしそうであるならば、この歌声はこの夜、この荒野で響き渡ることはなかったでしょう。羊飼いたちはそのような基準で言えば真っ先にはねられてしまうような人々でありました。では御心にかなう人とは誰か。それは「神様がよしとされる人」ということです。神様がただ全く自由なご自身の恵みにおいて、私たちに好意を寄せてくださり、私たちを喜んでくださる。この神様の喜びの御旨の中にある人が、「御旨にかなった人」です。この神の私たちへの喜びの御旨が、飼葉おけのキリストにおいて形を取ってくださったのです。
 「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主が生まれた」と御使いが語る「きょう」は、このすばらしい喜びの福音が教会を通して宣べ伝えられるどこにあっても、その御言葉の前に招かれている一人一人にとっての「きょう」なのであり、そしてこの「きょう」という時、飼葉おけのキリストが私たちに求めてやまない一つの応答があるのです。それは一つの言葉、一つの信仰の言葉、しかし一つの言葉でありながら私たちを新たに作り替える言葉です。それが「この方こそ主キリストです」との信仰告白の言葉なのです。神の喜びを受ける人、それはこの方こそ主キリストですと告白する人です。まことの救い主を信じ、まことの福音を受け入れ、まことの平和を祈り求め、その平和に生きる者たちです。
 「羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰っていった」。主イエス・キリストとの出会いを経験した人々の中に引き起こされる礼拝の姿が描き出されます。神をあがめ、賛美する羊飼いの姿。それは天の軍勢の賛美の歌声に応ずる地上からの賛美の声であります。天から地へと賛美の声が歌われたように、この時、みどりごイエス・キリストに出会った羊飼いたちの口から、天に向けて神様の栄光をたたえる賛美の声が上げられていくのです。町囲みを出て、再び彼らは羊たちの待つ荒野に戻っていく。あの日常、人々から虐げられ、疎んじられた生活へと帰っていくのです。しかしそれはまことの喜びを受け取った人の新しい歩みです。闇の時代に、キリストの光を携えて、平和の光を携えて、ここから遣わされていく私たちでありたいと願います。最後の今から60年ほど前にスイスの一人の牧師が祈った祈りの言葉をもって私たちの祈りのとしたいと願います。
 「私たちの主、イエス・キリストによる愛する父よ。私たち人間が良く成し得ないことを成し遂げて下さい。全く不完全きわまるこの礼拝をも、また私たちがこれから迎えようとしている降誕祭をも、どうかより良きものとしてください。どうか私たちを無関心の眠りから、また私たちの不敬虔な情熱や欲望の悪しき夢から、何度も繰り返し目覚めさせて下さい。どうか私たちを何度も何度もあなたの道に連れ戻すのに、お飽きにならないで下さい。どうか今日諸民族の世界を実に恐るべき危機の中に連れ込んでいく、冷たい戦争とか相互の威嚇といった馬鹿げた仕事をとどめて下さい。政府の当局者や、世論に対し責任ある人々に、今日必要とされている新しい知恵、忍耐、決断力を与えて下さり、あなたの美しい大地の上に、あなたの義を打ち立て、また維持するようにさせて下さい。私たちの町、私たちの教会、私たちの大学、私たちの学校で行われていることが、あなたの光とあなたの祝福によってこそ初めて人間の幸せとあなたの栄光とをもたらすようになることを、私たちは願います。とりわけ今、クリスマスを言うことが難しいに違いないと思われる多くの人々のために、また、私たちの知っており、また知らずにいる貧しい人々のために、孤独の内に年老いている人々のために、身体と心を病める人々のために、獄につながれている人々のために、これらすべての逆境にも関わらず、たとえ僅かでも光が照り輝くよう、願い求めます。最後に、近くにいるまたは遠くにいる私たちの家族や、さらにまた私たちすべてをあなたの御手に委ねます。どうか私たちの人生の歩みを、またいつかはやってくる人生の終わりを、あなたの御手が恵み深くつかんでいてくださいますように。主よ、私たちを憐れんでください。あなたの御名が崇められますように。今も、またこれからも、とこしえに崇められますように」。アーメン。



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