降誕節記念主日夕拝説教  2013/12/22
『飼い葉桶のかたわらで』

ルカ2:8-20
 
  2013年の降誕節、クリスマスの夕べを迎えました。恵みと喜びに溢れた一日の終わりに、今一度、心静めて、御子の御降誕の恵みを御言葉によって味わいましょう。

(1)クリスマスを祝う人々
 クリスマスの礼拝の一日の締め括りにあらためて覚えたいのは、最初のクリスマスの喜びのおとずれを聞いた羊飼いたちの姿です。8節から11節。「さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。『恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです』」。羊飼いたちのもとに御使いがやって来たのは「すばらしい喜びを知らせに来た」というためでした。「この民全体のための素晴らしい喜び」。民全体のための大きな大きな喜びだというのです。しかも「その喜びを知らせに来た」とは「喜びの知らせを福音宣教しに来た」とも訳せる表現であり御子イエス・キリストの誕生を知らせる御使いの言葉が、そのまま教会の宣べ伝える宣教の言葉なのです。教会は一年通していつでもイエス・キリストの福音を宣べ伝えるために伝道に励みますが、とりわけクリスマスの季節に熱心に伝道に取り組むのはなぜか。それはクリスマスの出来事の中にこそ、もっとも鮮やかに福音のメッセージが込められているからなのです。
 こうして御使いは告げます。12節。「あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです」。大きな喜びの実体は小さな小さな飼葉おけに眠る幼子です。その喜びの訪れを知らされたのは暗闇の中で小さな光のもとに集まるまことに貧しく慎ましい人々であり、その喜びの舞台となったは「最も小さいもの」と呼ばれるベツレヘムであったというのです。そして御使いは「これがあなたがたがのためのしるし」だというのです。これまでに幾度もご紹介してきた言葉ですが、やはりこのクリスマスの季節に何度も味わいたいのが、この飼い葉桶のキリストの傍らに集まってくる人々について黙想したディートリヒ・ボンヘッファーの言葉です。
「われわれはあまりにも高慢になってしまっているのではないか。われわれはこの『みどりご』に、どのように出会おうとするのであろうか。われわれの手は日々の労働のためにあまりにも堅くなってしまい、あまりにも誇りに満ちたものとなってしまっているため、この子どもを見て祈るために手を合わせることができなくなってしまっているのではないか。われわれの頭は、多くの困難な問題を抱え込み、その問題を解くことであまりにも高慢になってしまっているのではないか。われわれは、自分の様々な努力や、業績、重要な事柄に気を奪われすぎているため、良い羊飼いや東方の博士たちとともに、飼葉桶の中の神の子の前にひざまずき、この子どもを見てわれわれの生全体が成就したのだということを感謝をもって認識することができなくなってしまっているのではないか。自分を誇りに思う強い人間がこの子どもの前で膝をかがめることや、単純な心を持ってこの子どもの中に救い主の面影を見出すことは、本当に希なことであろう」。
 
(2)飼い葉桶のかたわらで
 しかし羊飼いたちは違いました。彼らはすぐさま応答します。15節。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう」。彼らをこの応答に駆り立てたもの、彼らを単に聞くだけの者で終わらせなかったものは一体何だったのでしょうか。それは御使いが繰り返し語った「あなたがたのため」という言葉であります。「この民全体のためのすばらしい喜び」が、「あなたがたのために救い主が生まれた」という仕方で差し出され、飼い葉おけに眠るみどりごが、「あなたがたのためのしるし」であると語られた時、彼らはこれを「主が私たちに知らせてくださった」出来事と受け取ったのです。「福音」とは本来このような「私たちのための」、「私のための」語りかけです。それは上からの、外からの語りかけでありますが、しかしただ漠然と宙に漂う言葉ではありません。それは「あなたがたのため」という明確な的に向かって語り出される言葉です。そしてこの言葉が私たちの存在に触れる時、それは確かに「私たち」のうちに語り込まれ、鳴り響く言葉となり、さらには応答を引き起こす言葉となるのです。では羊飼いたちに引き起こされた応答とは何でしょうか。それは16節。「そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼い葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。」ということです。「すばらしい喜びの知らせ」が「あなたがたのために」告げられる時、その喜びの知らせは私たちをその場から立ち上がらせ、主イエス・キリストのもとへと急ぎ走らせるのです。そしてついに彼らは飼葉おけに眠る神の御子イエス・キリストとの出会いを果たすのでした。
 羊飼いたちは主イエスを捜し当てると、荒野での御使いたちの現れとそこで知らされた言葉、そこで与えられたしるし、それを頼りにこうしてここに辿り着くまでのいきさつをヨセフとマリヤに語ります。17節、18節。「それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことをしらせた。それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた」。さらに20節。「羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰っていった」。神をあがめ、賛美する羊飼いの姿。ここには主イエス・キリストとの出会いを経験した人々の中に引き起こされる喜びの礼拝の姿が描き出されています。彼らはそのように賛美しながら帰っていく。町囲みを出て、再び彼らは羊たちの待つ荒野に戻っていく。あの日常、人々から虐げられ、疎んじられた生活へと帰っていくのです。ではこの夜の出来事は何であったのか。一晩だけの夢のようなおとぎ話のような出来事であったのか。そうではありません。主イエス・キリストとの出会いを経験した人々は賛美と礼拝の人生を新しい人となって歩みを始めることができるのです。ここにクリスマスのもたらす祝福がある。私たちも飼い葉桶のかたわらにひざまずき、御子イエスを礼拝したならば、そこから立ち上がって賛美しながら新しい歩みを始めていく。そうやって主にある私たちの歩みはここから新しく導かれていくのです。



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