待降節第二主日説教  2013/12/08
『ガリラヤからの神の子』

マルコ1:9-11
 
 神の御子イエス・キリストの御降誕を待ち望む待降節、アドベントの第二週に入りました。暗闇の力が勢いづくこの時代の只中にあって、それでもなお闇に打ち勝ってくださった光の光であられる御子イエスをただ一人の主と告白する信仰に固く立って、今日も心から主を礼拝し、その御声に聴いてまいりましょう。
 この朝も主イエス・キリストが愛をもってここに呼び集めてくださった皆さんお一人一人の上に、主の祝福が豊かにありますように祈ります。

(1)マルコのクリスマス
 今年の待降節からクリスマスにかけての礼拝では、「ガリラヤ」という地名を中心に御言葉に聴いていこうとしていますが、この朝与えられているのは、マルコ福音書1章9節から11節の御言葉です。「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。そして自ら上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。そして天から声がした。『あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ』」。
 ここでまずアドベントになぜマルコ、なぜこの御言葉なのか、ということを申し上げる必要があるでしょう。なぜならご覧の通りマルコ福音書の始まりには、クリスマスには欠かせないイエス・キリストの誕生物語がまったく触れられていないからです。そこにはマタイ福音書の記す東方の博士たちの訪れも、ルカ福音書が描くマリヤへの不思議な受胎告知、ベツレヘムの馬小屋での様子も羊飼いによる最初の礼拝の姿も、あるいはヨハネ福音書のような深遠な「ことば」、「ひかり」の到来の物語も、それらは一切記されていません。その意味ではマルコ福音書というのは四つの福音書の中でもっともクリスマスには縁遠い書物ということにもなるでしょう。実際にマルコ福音書において主イエスが一番最初にお姿を表すのは、今日の9節、つまり幼年期から青年期を過ぎて公生涯に入られた30歳の頃のことなのです。
 ではマルコ福音書は「はじめ」の事柄を記すことがないのかと言えば、そうではありません。むしろマルコこそこの福音書を「はじめ」の言葉で書き始めているのです。1章1節。「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」。マルコが記そうとする「はじめ」とは福音のはじめであるというのです。「福音のはじめ」。大変印象深い言葉です。私たちはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音を手にしていますが、この「福音書」と呼ばれる書物の中で、自らを指して「福音」と呼ぶのはこのマルコだけです。四つの福音書の中で一番簡素で、短く、あっさりとした、時に荒削りとも言えるようなこの書物が、しかしその中で最も力を込めて伝えたいこととして語り出そうとしているのが、この「神の子イエス・キリストの福音」についてなのであり、マルコはそれをこのはじまりをもって書こうとしているのです。確かに主イエスの物語の始まりについては何ら語られてはいないけれども、私たちはここに確かに「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」、いや「神の子イエス・キリストこそが福音の始め、根源だということを受け取りたいのです。
(2)ガリラヤの人、ナザレの人
 マルコ福音書は「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来られ」と記します。主イエスのお生まれはエルサレム郊外のベツレヘムでした。しかし主イエスはその生涯にわたって「ガリラヤの人」であり「ナザレの人」でありました。このことの意味はあらためてクリスマス礼拝で取り上げる予定ですが、ともかく、そこには人となられた神の御子イエス・キリストの存在の有り様があらわされているのです。
 私たちはしばしば自分の生まれた生い立ち、環境、その後の育って来た境遇によって人生がかたち付けられ、人格形成にも大きく影響を受けるものです。実際のところそれがどれぐらいの影響力を持つのかを客観的に知る術はあまりないのですが、それでもそれらの一つ一つの出来事によって、今の自分に自信を持てたり、あるいは引け目を感じたり、自分を肯定できたり、できなかったり。なかなか人間の心というのは微妙なものです。時には自分の出生をことさらに語ることが、自分のなにがしかのアピールとして作用するということもあるでしょう。宗教改革者ルターは折に触れて自分自身のことを語る際に「農民の子」と言いました。しかし実際にはルターの父親は確かに農民の出身であったものの、早くから志をもって町に出ては新しい仕事を見つけ、当時においては立身出世を果たした人物です。ですから「農民の子」という呼び名はルターに必ずしも相応しいものとは言えないのですが、それでもルターが自らを「農民の子」と言い続けたのは、自分も庶民の一人、普通の人の一人に過ぎないことを示して、民衆たちと同一の地平で生きようとしたことの表れであったかもしれませんし、それによって人々に受け入れられやすいようにという計算も働いていたかもしれません。
 また私たちはそのようにして生きてきた自分の歩みを、時には人の前に示して誇りたい気持ちに駆られたり、ある場合にはそれが今の自分を決定してしまっているとして過去を恨んだり、悲しんだり、いずれにしても自分の生きてきた過去からなかなか自由になることができませんし、人をも過去という牢獄に閉じこめようとするものです。ところがマルコ福音書が描き出す主イエスのお姿は、そのような言わば誕生してから公生涯に入るまでの30年近い生涯については一切口を閉ざしたまま、誇ることもなければ、その過去に縛られることもないのです。もちろん主イエスだって人としてはヨセフ、マリヤのもとで30年間を生きる中で人として味わう楽しみや喜びもあったでしょうし、またそれだけ様々な悲哀、痛み、涙、悔しさ、傷も味わわれたことでしょう。しかし聖書はそれらには触れずにただ一言、「イエスはガリラヤのナザレから来られた」とだけ記すのです。それは一方ではマルコにとってこれより以前の主イエスの歩みがどうであったかではなく、この三年と少しの日々こそが何よりも重要な伝え残すべきメッセージであったということでもあったでしょう。しかしもう一方では、「イエスはガリラヤのナザレから来られた」と記すだけで十分に分かる。ガリラヤという地名、ナザレという地名だけで、そこで生きて来たというだけで、主イエスがどんな歩みをして、どんな人生を生き抜いて今ここに立っているかが十分過ぎるほどに分かったということなのではないでしょうか。
 辺境の地ガリラヤ、周辺の地ガリラヤ、異邦人の地ガリラヤ。そこで生まれ、そこで生きて来られた主イエス。それは私たちへの近さのしるしです。権力者でもない、中央の人でもない、富める人でもない。強い人でもない。「ただの人」として私たちの所に来てくださり、「ただの人」として私たちと一緒に生きてくださった主イエス・キリスト。そしえ十字架に死に、よみがえってくださった主イエス・キリスト。このお方の前に私たちはぬかずくのです。

(3)ガリラヤからの神の子
 マルコ福音書はここでクリスマスの出来事の代わりのようにして、主イエスがバプテスマを受け、聖霊が下った時の様子を記しました。9節、10節。「ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。そして自ら上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった」。まるでマリヤから生まれた「人の子」としての誕生の出来事の代わりに、聖霊によって新しく生まれた「神の子」としての誕生の出来事を記しているかのようです。そしてこの主イエスに向かって父なる神の御声が天から鳴り響きました。11節。「そして天から声がした。『あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ』」。ガリラヤの人として私たちのもとに来てくださった御子イエスを、父なる神は愛され、喜ばれた。ここに父の御心に生きる御子のお姿があります。当たり前のことですが、御父は御子を愛されたという事実を忘れてはならないでしょう。父なる神の私たちへの愛、御子イエスの私たちへの愛を本当に知るためには、御父が御子を愛し抜かれ、喜ばれたという御父と御子との深い愛の絆、聖霊によって結び合わされている絆に思い至らせないわけにはいきません。
 そしてその時にはじめて私たちは知るのです。この御子のお姿、御父に愛され、喜ばれ、水のバプテスマにおいて聖霊によってこの御父と深く結び合わされた御子のお姿は、この御子イエス・キリストを信じる私たちの姿であるという事実を、です。ガリラヤから来られた神の子イエス・キリストのおかげで、辺境の地に生きていた私たち、周辺において生きている私たちもまた、父なる神に愛され、喜ばれ、聖霊をいただいて、御子イエス・キリストしかもガリラヤの人としての生涯を全うされ、十字架に死なれ、三日目によみがえられた御子イエス・キリストと深く結び合わされて、このお方のいのちによって生きる者とされていくことができるのです。
 「救い主がガリラヤから、ナザレからなど出るものか」と言われるようなところから、神の子は表れてくださった。思いもかけないところから、神の救いはもたらされるのです。今、この国においても、ガリラヤからの光が、ガリラヤからの救いが必要です。十字架と復活の主イエスを信じ、聖霊によって神の子とされた私たちこそが、今週またそれぞれが遣わされていく地で、この神の救いを指し示していく。そのためにはガリラヤからの神の子を恥じることなく、むしろ大胆にこのお方を指し示し、この方のいのちに生きる喜びと自由の中で、主にある歩みを続けて参りましょう。



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