降誕節記念主日夕拝説教 2011/12/25
『主イエスよ、来てください』

ヨハネ黙示録22:16-21
 
 幸いなクリスマスの一日を過ごし、もう一度夕べの礼拝に集められました。主の恵みを味わいつつ、朝に続いてヨハネ黙示録の御言葉に聞きたいと思います。

(1)ダビデのひこばえなる主イエス
 クリスマスに、私たちのもとに来てくださった御子イエス・キリストのことを、マタイ福音書は預言者イザヤの言葉によって、「インマヌエル」と呼びました。「見よ、わたしは世の終わりまでいつもあなたがたとともにいる」とのお約束の通り、主イエスは初めと終わりの間の時もまた我らとともにいましたもうお方です。主イエスは万物の初めであり、終わりをもたらすお方ですが、その時の間も、私たちと常にともにいてくださるお方です。それでヨハネ黙示録は1章8節でこう語るのです。「神である主、常にいまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである』」。
 御子イエスの初臨であるクリスマスとやがて再び来られる再臨の間、すなわち私たちが今生かされているこの時は、御子の不在の時ではありません。確かに御子イエスは今、天の御父の右の座に着いておられますが、同時に聖霊において私たちとともにおられるお方なのです。このやがて再び来たりたもう御子イエスについて、ヨハネは天から次のような御声を聞きました。16節。「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である」。イエス・キリストはダビデの根、ダビデのひこばえなるお方である。このことはすでに旧約聖書イザヤ書11章1節において次のように預言されていました。「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ」。切り倒された根株から生え出る新芽、それはやがて育って若枝となり、そしてついには実を結ぶ。預言者はここにやがてダビデの子孫として来るべき救い主メシヤの幻を見たのでした。初めであり、終わりである神の御子がこの地上に来て下さった。永遠、無限の神の御子が、有限な時間と空間の中に具体的な姿形をとって来て下さった。このクリスマスの驚きは、同時に、切り倒された切り株という大いなる断絶の経験にも関わらず、そこから生え出るひこばえのように、イスラエルという神の民の滅亡の歴史の中から、それでも死に絶えることなく再び芽生えた新芽のようにして始まった大いなる救いの出来事のもたらす驚きでもあるのです。
 
(2)十字架の贖い主イエス
 更に言えばこの大いなる断絶の経験は、クリスマスにお生まれになった御子イエス・キリストの御生涯においてもまた存在します。すなわちあのゴルゴダにおける十字架の死の経験です。しかし暗闇の中に死を迎えられたお方は、その死を打ち破り、死の断絶を超えて、朝の光の中によみがえられた復活の主、栄光の主、勝利の主であられます。そのように主なる神の大いなる救いのご計画は、切り倒されたエッサイの根株、ダビデの子孫から、暗闇の夜が明け初めて夜明け前に輝き始める明けの明星として始まるのだと黙示録は語るのです。熾烈を極める迫害の中で、それでも信仰のともしびを灯し続けた初代教会の信仰者たちが、この黙示録の語る御言葉を聞くことによってどれほど慰められ、また力づけられたかを思います。世界を覆い尽くす破壊と破滅と人々の心を支配する絶望と虚無の力によって切り倒され、後に残された切り株。しかしその暗黒の世界の中で人知れず切り株から小さな新芽が生え、やがてその芽が成長し、広がって豊かな実を結ぶ。私たちの救いのためにこの地に来たり給うた御子イエス・キリストこそが、この切り倒された根株から生え出るダビデのひこばえなるお方なのです。
 それゆえに私たちは時に人生の歩みを無理矢理中断させられること、人生の営みそのものを切り倒されるような経験の中に置かれたとしても、そのことのゆえに絶望してはならない。クリスマスという日は私たちをあきらめと絶望の地平から希望と信頼の高みへと再び立ち上がらせる約束の日です。すべてを初めからやり直してくださるお方として、主は暗闇の世界の中に約束の光を照り輝かせて下さるお方なのです。

(3)主よ、来てください
 最後に20節。「これらのことをあかしする方がこう言われる。『しかり。わたしはすぐに来る。』アーメン。主イエスよ、来てください」。これは私たちが御子イエス・キリストの降誕を祝うこの朝に、イエス・キリストが私たちに語りかけて下さる大いなる約束であり、また同時に私たちがイエス・キリストに捧げる切なる祈りです。既に来られた方、十字架にかかり、よみがえられ、天に上り、今は父なる神の右の座にあって聖霊を送り、私たちとともにいましたもうインマヌエルの主が、やがて再びこの地に来たり給うことを待ち望む祈りです。
私たちはこのクリスマスを祝う喜びの礼拝において、今一度、主イエス・キリストの大いなる約束の言葉を心に刻みたいと思うのです。「わたしはすぐに来る」。すでに主は来られた。そして今も我らとともにいます。けれどもまだすべては完成してはいないのです。まだその時が待ち望まれている。神の約束はその成就、完成の時を目ざしてなお私たちの歩みを前へと進めさせるのです。その歩みはまことに困難を極めます。忍耐を必要とします。祈る心も揺さぶられ、祈る言葉も失われるような時があります。そこには涙の祈りがあり、呻きの祈りもあるでしょう。けれども私たちはこの朝、互いにこう確信するものでありたい。我らの主イエス・キリストは初めであり、終わりである方、すべてを初めからやり直して下さり、成し遂げて下さる方、そして必ず再び来た給うて、神の救いの約束を実現してくださるお方なのだということを。「しかり、わたしはすぐに来る」。この主イエス・キリストのお約束をしっかりと握りしめて、その呼び掛けに私たちもこの生涯をかけて精一杯応答するものでありたいと願います。「アーメン。主イエスよ。来てください」。



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