夕拝(バルメン宣言による説教5) 2004/07/18
『仕える者となる』

マタイ20:25-26

 今日はバルメン宣言第四項に掲げられたマタイ福音書の主イエスの御言葉を通して、教会のかしらであられる主イエス・キリストに奉仕する私たち、キリストのからだなる教会の在り方について、ご一緒に御言葉から教えられて行きたいと思います。

(1)仕える務め
 まずはじめにバルメン宣言第四項を規定している聖書の御言葉を読みましょう。マタイ福音書20章25節、26節。「あなたがたも知っている通り、異邦人の指導者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者となりなさい」。この御言葉は、これからいよいよ十字架の待つエルサレムに向かおうとされる主イエスが受難の予告をされた後に語られたものですが、それは20節以降でゼベダイの母、すなわち十二弟子の中のヤコブとヨハネの母がイエスに、天の御国で二人の息子をイエスの御座の左右に着けて欲しいと願ったことに対するお答えでした。ここで主イエスはこの世の国の権威の仕組みや性質と神の国の権威の仕組みや性質との根本的な違いを示しておられるのです。この地上にあっては人の上に立ち、人に仕えられる立場に立つことを皆は目指すのですが、神の国にあっては、皆に仕える者が偉い者であると教えられているのです。これは聖書に見る不思議な法則の一つと言ってよいでしょう。上に行きたかったら裏方で汗をかけというような単なる処世術と取ってはなりません。それは神の国の権威の在り方を示す実にユニークな教えなのです。
 このような主イエスが言われる神の国の姿は、この地上においては教会の姿に置き換えて考えることが出来るでしょう。そうであるならば、この主イエスの教えられた御言葉は今日の教会における職務と権威、その秩序の在り方に当てはめて考えるべき主題となるのです。バルメン宣言も先の第三項でキリストが教会のかしらであり、教会はキリストにある兄弟の共同体であると宣べたことに対応して、続く今日の第四項で教会の職務について宣言するのです。バルメン宣言第四項を見ておきましょう。「『あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、使える人とならねばならない』(マタイ20:25,26)。教会に様々な職位があるということは、ある人々が他の人々を支配する根拠にはならない。それは教会全体に委ねられ命ぜられた奉仕を行うための根拠である。教会が、このような奉仕を離れて、支配権を与えられた特別の指導者を持ったり、与えられたりすることができるとか、そのようなことをしてもよいなどという誤った教えを、我々は斥ける」。第四項がここで明らかにしていることは、教会の働きには多様性があり、それぞれキリストのからだの各器官としての様々な役割があり、その職務にふさわしい権威が託されていますが、それはある特定の職務とそれに従事する者が他の者を支配するというような性格のものではなく、教会全体が唯一のかしらであられる主イエス・キリストに奉仕する務めであるということにおいて互いに仕え合う奉仕的な職務であるということです。私は牧師としてこの教会にあって御言葉を取り次ぎ、群れを牧する務めが与えられており、御言葉の権威に基づいた権威を託されていますが、しかしそれをもって教会の兄弟姉妹たちを自分の意のままに支配することは許されていません。むしろ牧師の務めは御言葉に仕え、教会に仕え、福音に仕える奉仕的な職務であると言えるのです。

(2)教会の使命
告白教会がバルメン宣言第四項にこの教会の権威と奉仕についての項目を掲げた理由は、当時のナチス・ドイツを支配する一つの独特な行動原理でした。それは「指導者原理」と呼ばれるもので、ワイマール時代の民主主義政治体制を批判したヒトラーが、むしろ一人の有能な指導者によって集団は統治されるべきとし、その絶対的指導者への忠誠を要求して自らの独裁政治体制を築き上げていった重要な原理です。そして当時のドイツ・キリスト者と呼ばれる体制側についた教会が「一つの国家、一つの教会、一人の監督」をかけ声として、この指導者原理を教会にも当てはめ、帝国教会監督による教会の一元的な管理を目論んだのでした。これに対してバルメン宣言は第三項で教会を「兄弟たちの共同体」と呼んで、教会がただかしらなる主イエス・キリストの所有であることを明らかにし、その使信や秩序を国家に委ねてはならないことを宣言したことに続いて、今日の第四項では、教会の職務や権威、秩序の目的はただ「教会全体に委ねられ命ぜられた奉仕を行うための根拠である」ことを明らかにし、ゆえに「教会が、このような奉仕を離れて、支配権を与えられた特別の指導者を持ったり、与えられたりすることができるとか、そのようなことをしてもよいなどという誤った教えを、我々は斥ける」と宣言して、御言葉の示す原理以外のもので教会が支配されるようになってはならないことを教えるのです。
 教会は誰かが誰かを支配するような場所ではない。人の声、この世の権威や権力、経済の力が神の言葉の権威以上に力を持ち、主イエスの御支配をまさる力を得ようとする時に、教会は主イエス御自身から託されているものを簡単に手放してしまってはならないのです。ここに教会の自律性を保持するための戦いがあると言えるでしょう。さらにまた教会はこの世にありながら、この世のものに属することのないキリストにある共同体として、この世界の只中にあって「被造物に対する自由な感謝に満ちた奉仕へと赴く」という大切な使命を与えられていることも忘れてはならないことです。教会はこの世界に奉仕するために建てられているのであり、福音の奉仕者として私たちはこの世の遣わされ、そこで日々の営みに従事しつつ、主の証しに生きるのです。そこで私たちが見つめるべき仕えるしもべの姿の原点は人となりたもうた神の御子イエス・キリスト御自身のお姿に他なりません。主イエスは言われます。「あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです」。仕えられるためでなく仕えるために、神の子の身分も特権も捨ててこの地上に来られたイエス・キリスト。その仕える姿の極みとして御自身のいのちを私たちのための贖いの代価として差し出された主イエス・キリスト。何よりもこの主イエス・キリストのお姿そのものが、私たちに「仕える」ということのリアリティーを証ししているのです。

 



日本同盟基督教団 徳丸町キリスト教会
〒175−0083
東京都板橋区徳丸6−24−10
TEL 03−3935−3405
FAX 03−3935−3445

メールでのお問い合わせ
管理人


Copyritht ©The Evangelical Alliance Mission Tokumarucho Christ Church All Rights Reserved.