夕拝(バルメン宣言による説教4) 2004/07/11
『かしらなるキリストへ』

エペソ4:15-16

 今日はバルメン宣言第三項に掲げられたエペソ人への手紙の御言葉を通して、かしらであられる主イエス・キリストが、聖霊によって導かれる主の教会の本質と使命について御言葉から教えられて行きたいと思います。

(1)教会の本質
 今日開かれているエペソ書4章15節、16節をお読みします。「むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです」。この御言葉は、使徒パウロが教会の本質と使命とを教えている新約聖書の中でも重要な箇所です。パウロはここで教会をキリストをかしらとした身体に例え、私たち一人一人がこのキリストの身体を構成する各部分として愛のうちに成長していくことによって、教会が成長していく様を生き生きと描き出しているのです。そしてこの聖書の教える教会像、すなわちキリストをかしらとした教会の姿をもって緊迫した時代と向き合ったのが、今日取り上げるバルメン宣言の第三項です。そこには次のように記されていました。「『愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。また、キリストを基として、全身はすべての節々の助けにより、しっかりと組み合わされる』(エペソ4:15,16)。キリスト教会は、イエス・キリストが御言葉とサクラメントにおいて、聖霊によって、主として、今日も働きたもう兄弟たちの共同体である。教会は、その服従によっても、またその信仰によっても、その秩序によっても、またその使信によっても、罪のこの世にあって、恵みを受けた罪人の教会として、自分がただイエス・キリストの所有であり、ただ彼の慰めと指示によってだけ彼が現れたもうことを期待しつつ生きているということ、生きたいと願っていることを証ししなければならない。教会が、その使信やその秩序の形を、教会自身の好むところに任せてよいとか、その時々に支配的な世界観的確信や政治的確信の変化に任せてよいなどというような誤った教えを、我々は斥ける」。
ここでまず語られていることは、教会の一体何であり、その主人、所有者は誰であり、その姿はどのようなものであるかという、いわば「教会の本質」についての言明です。教会は、そのかしらであり主であられるイエス・キリストの所有であり、主イエスはご自身の教会を聖霊によって支配し、統治なさいます。そしてその支配と統治のために用いられる手段は御言葉の説教と聖礼典によるのです。このようにキリストが聖霊により、御言葉と聖礼典を通してご自身の民を集め、保ち、全うされるもの、そしてそのようにして集められる兄弟たちの共同体、キリストの贖いの恵みによって罪赦された者として互いに一つに結び合わされた真実な兄弟姉妹の交わりの集いこそが、教会の本質であると教えられているのです。

(2)教会の使命
 さらにバルメン宣言第三項は教会の使命についても語っています。「教会は、その服従によっても、またその信仰によっても、その秩序によっても、またその使信によっても、罪のこの世にあって、恵みを受けた罪人の教会として、自分がただイエス・キリストの所有であり、ただ彼の慰めと指示によってだけ彼が現れたもうことを期待しつつ生きているということ、生きたいと願っていることを証ししなければならない」。この第三項は第一、二項で明らかにされたキリストのみを主と告白し、その御声に聞き従い、その慰めを受けつつ、神の要求に応えて生きる信仰者の営みが、単に信仰者個人としてだけでなく、教会としての営みであることを教えるものです。私たちがキリストの所有として、キリストに結ばれて生きること。このキリストとの結合は、単に「私」という個人的な領域のことでなく、互いが聖霊によって結び合わされた「私たち」が、一つのキリストの身体、罪赦された者たちの共同体としてかしらなるキリストの慰めと導きにあずかりながら、ますます緊密にキリストと結び合わされることによって成し遂げられていくものなのであり、終末における完成を目指して、この地上にありながら天のキリストに向かって生きることを証ししつつ進むところに、教会の使命があるのです。
 それゆえに、「教会が、その使信やその秩序の形を、教会自身の好むところに任せてよいとか、その時々に支配的な世界観的確信や政治的確信の変化に任せてよいなどというような誤った教えを、我々は斥ける」とのバルメン宣言の排斥の言葉もまた重い意味を持つものです。教会は誰の所有か、誰の支配のもとにあるのか。教会の主、かしらは誰なのか。このことは、決して自明のことではありません。バルメンの会議に集まったドイツ告白教会が直面していた戦いは、まさにこの「その時々に支配的な世界観的確信や政治的確信」に向かい合うものだったのです。教会が悪魔化していく国家のシステムの中に組み込まれていこうとする時代の中にあって、政治的な権力が教会の自律を犯そうと、その強大な力を背景に教会の領域に踏み込もうとする時代の中にあって、かつてドイツの教会が自らの主は誰であるのかを主張していったように、私たちもまた、教会のかしらがただ主イエス・キリストお一人であられること、このお方は教会のかしらであられるとともに、全世界の主であられることを繰り返し明らかにしていかなければならないのです。バルメン宣言の中心的な草案執筆者であったカール・バルトは、第二次大戦後にこの時を振り返った論文の中で次のような言葉を残しました。「教会はその使信と秩序において、その時々に支配的な精神的な力の神殿としてではなく、イエス・キリストの教会として自らを示さねばならないのである」。そしてこのために記されたバルメン宣言第三項は、「教会とはイエス・キリストのものであり、教会はイエス・キリストを証しするという全く単純な事柄を明らかにする」ものであったというのです。この全く単純な事柄を、私たちは固く信じ、そして今のこの時代の状況のただ中にあって、この状況を超える言葉として、御言葉に聞きつつ、かしらなるキリストを告白し続けていきたいと願います。

 



日本同盟基督教団 徳丸町キリスト教会
〒175−0083
東京都板橋区徳丸6−24−10
TEL 03−3935−3405
FAX 03−3935−3445

メールでのお問い合わせ
管理人


Copyritht ©The Evangelical Alliance Mission Tokumarucho Christ Church All Rights Reserved.