夕拝(バルメン宣言による説教2) 2004/06/20
『道、真理、いのち』

ヨハネ14:6

 先週から、1930年代のドイツにおいてナチ政権のもとで信仰のために戦ったドイツ告白教会の宣言である「バルメン宣言」を取り上げています。今日はその第一項に掲げられたヨハネ福音書の御言葉を通して、私たちがイエス・キリストのみを主とし、その主の御言葉に聞き従うべきことを教えられて行きたいと思います。

(1)御言葉に貫かれた言葉
 まず最初にバルメン宣言の第一項を見ておきましょう。「『わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない』(ヨハネ14:6)。『よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。わたしよりも前に来た人は、みな盗人であり強盗である。わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる』(ヨハネ10:7,9)。聖書において我々に証しされているイエス・キリストは、我々が聞くべき、また我々が生と死において信頼し服従すべき神の唯一の御言葉である。教会がその宣教の源として、この神の唯一の御言葉のほかに、またそれと並んで、さらに他の出来事や力、現象や真理を、神の啓示として承認し得るとか、承認しなければならないなどという誤った教えを、我々は斥ける」。
バルメン宣言は全部で六項目からなる文書ですが、そこには共通した論じ方の型があります。まず最初に聖書の御言葉が掲げられ、続いて御言葉に基づいた教会の告白の言葉が語られ、そして最後に当時の誤った教説に対する鋭い拒否と排斥の言葉が語られるのです。ここでまず何よりも聖書の御言葉が掲げられることが重要です。これはバルメン宣言が自分たちの主義主張を聖書の言葉を借りて論じると言う性格のものではなく、あくまでも御言葉に教えられ、導かれ、押し出されてこれらのことを宣言しているということの表れです。またそれに続く部分で、「信じること、信じないこと」、「告白すべきこと、排斥すべきこと」という論じ方がされているのは、古代以来の信条の伝統に則したものとも言えるのであり、この宣言が単なる状況に向けての言葉に留まらず、教会の信条の伝統の中に位置していることを証ししているのです。さらに、各項目が御言葉によって支配されているだけでなく、全六項目の最初に神の御言葉の条項が置かれていることからして、御言葉の優位性がこの宣言の最初から終わりまでを貫いていることが分かります。神の御言葉を第一のものとする点で、この宣言は宗教改革的な信仰の言葉であるとも言えるのです。

(2)ただキリストだけが聞かれなければならない
 さて、このようにバルメン宣言第一項はその冒頭にヨハネ福音書の二つの御言葉を掲げましたが、後半の御言葉はこうです。ヨハネ福音書10章7節から9節。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。わたしの前に来た者はみな、盗人で強盗です。羊は彼らの言うことを聞かなかったのです。わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます」。ここでは主イエスは御自身を指して「わたしは羊の門です」と語られ、また続くところでは「わたしは良い牧者です」と言われます。主イエス・キリストだけが私たちを狼や盗人から守る囲いの門であり、また私たちを義の道に導く羊飼いであり、私たちが聞き従うべきはただこの主イエス・キリストの御声だけなのです。バルメン宣言がこのヨハネ10章の御言葉を掲げる背景には、当時のナチス・ドイツにおいて、神の私たちに対する語りかけが聖書の御言葉とは別に創造の秩序においてドイツ民族に与えられているという誤った主張がありました。このようなイエス・キリストの御言葉以外の所で特定の人種や民族の中に創造の当初から特別な語りかけが込められていると言う立場が、ドイツ民族の優位性とユダヤ人の排斥、ヒトラーの神格化などを支える考え方となっていたのです。しかし、バルメン宣言はこのような考え方に対してはっきりとした「否」を突きつけます。「教会がその宣教の源として、この神の唯一の御言葉のほかに、またそれと並んで、さらに他の出来事や力、現象や真理を、神の啓示として承認し得るとか、承認しなければならないなどという誤った教えを、我々は斥ける」。一体私たちは主イエス・キリストの御声をどこで聞くのでしょうか。ヨハネ10章はこの問いに対して、私たちが誰の声に聞き従うべきかを教える大切な御言葉です。私たちはただひたすら聖書に記された主イエス・キリストの御言葉にのみ聞き従う群れであり続けなければなりません。なぜなら御言葉こそが「生と死において信頼し服従すべき神の唯一の言葉」だからなのです。

(2)道、真理、いのち、キリスト
 バルメン宣言第一項が掲げるもう一つの御言葉はヨハネ14章6節です。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」。主イエス・キリストの示される道。それは主イエス・キリストの歩まれた道、苦難から栄光へと進まれる道、一人一人が自分の十字架を負ってつき従っていく道です。主イエス・キリストが招く道、それは滅びから救いへ、死からいのちへと至る道です。しかし何よりも、この御言葉で主イエス・キリストが私たちに明らかにしておられることは、主イエス・キリスト御自身が道であり、真理であり、いのちである、という確かな約束です。他の道ではない。「他の出来事や力、現象や真理」ではない。この道が、この道だけが、私たちを真のいのちに至らせるものなのであって、これこそがやがて使徒たちが挙げられた主イエス・キリストから約束の聖霊によって受け取った宣教の確信であり、またバルメンが言うように「教会の宣教の源」なのです。
 私たちが生きる現代において、このバルメン宣言第一項の確信はその重要性をますます増していると言わなければなりません。主イエス・キリストの御言葉以外のものが絶対的な神の声となって人々を支配していこうとするこの時、私たちは心して神の御言葉を宣べ伝え、この御言葉に聞き従い、この御言葉に生きるという決断を日々新たにしなければなりません。この時代のあらゆる形態を取る偶像の神々に囲まれて、しかもそれらの神的な出来事、力、現象、まことしやかな真理としてにじり寄ってくる事柄のただ中で、私たちは繰り返し「聖書において我々に証しされているイエス・キリストは、我々が聞くべき、また我々が生と死において信頼し服従すべき神の唯一の御言葉である」と言い表していくのです。なぜならこのイエス・キリストだけが、「道であり、真理であり、いのち」なるお方なのですから。  

 



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